第5話

 それから暫くは、割と平穏な日々が続いた。

 エルフ野郎の差し金と思われる嫌がらせや面倒事も無いとは言い難いけれど、それも些末なもの。店はいよいよ繁盛し、毎日捌き切れない程のお客さんに来てもらっている。これだけ人目に付く店相手には、いくら領主と言えどもそうそう無茶な事はできないだろう。

 そう、考えていた。


 相手がどれだけ陰険でねちっこい奴だと、知りもしないで。



 そんなある日。

 今やすっかり馴染みとなった漁港で仕入れをしていた時。

 俺は以前からずっと心に引っかかっていた事を、ふと思い出した。

「なあ親父さん。『水吐き魚』って何だ?」

「!?」

 俺の発した言葉に、漁師の親父は急に剣呑な顔になった。

「兄ちゃん、滅多な事言うもんじゃ無え」

 周りに居た他の漁師達も俺を睨みつけてくる。

「おめぇ、先代の子爵様がどういう目に遭ったか聞いてねえのか?」

「……聞いたよ。でも、俺はその魚を知らないんだ」

 親父はげんなりした顔になって俺を見る。俺が余所者だという事を、改めて理解したのだろう。

 彼等の態度を見るに、おそらくエレーナさんのお父さん、先代のリーンハイム子爵は随分と慕われていたみたいだ。

「見ろ……あいつだ」

 親父は後ろを振り返り、彼の漁船のすぐ脇を泳いでいる大きな魚の群れを一瞥。

「ふてぶてしい奴だろう。あいつは何も恐れねえ。何にも食われる事なんて無ぇんだからな。鳥も、鮫も、人間も。あいつを食ったらみんな死ぬ」

 幾多の漁船が所狭しと係留されている漁港の中を、悠然と泳ぐでっぷりと太った魚達。

 黒い大きな斑紋模様を背負ったそいつらは、鰭をぱったぱったと動かしながら我が物顔といった風体で波間に遊んでいる。


 ――やっぱりこいつだったか。


 きっとこの世界にも居ると思っていたけど。

 俺は逢いたい人にようやく逢えた様な喜びと、嫌な奴に出会ってしまったような苦々しさを同時に味わいながら……悠然と泳いでいるトラフグに視線を送った。

「なあ。あいつ、本当はすげえ美味い魚だって言ったらどうする?」

 俺の言葉に、漁師達は心底嫌そうな顔になって吐き捨てる。

「はっ! いくら味が良くっても毒があるんじゃ話にならねえだろ! それに万一あれが食えたとしても、あの野郎のせいで先代の子爵様は亡くなられたんだぞ。この街でそんなの喜ぶのは『あいつら』くれぇなもんだ」

 ……まあ、そういう反応になるか。

 一瞬だけ、俺の培った腕でフグ料理を作り、この街の新しい名物にでもできないかと考えたんだけれど。これなら他の店にも絶対に真似される事は無いからあの高級魚を独占できるし……なんて。

 しかしまあ良く考えてみれば、先代領主が自殺するきっかけになった魚をこの街の人達が喜んで食う筈無いし、それ以前にエレーナさんが絶対に良い顔をしないだろう。


「……良いアイデアだと思ったんだけどなあ」


 港湾内を悠々と泳ぐトラフグ――水吐き魚を眺めながら、思わず呟く。

「おめえが何考えてんのか知らねえけどな。もうここでそいつの話はするんじゃねえ。せっかく今年からまた王室献上が復活するんだ。これでまた余計な事になったら今度は貴族の首が飛ぶくれえじゃ済まねえぞ」

「ああ、あの王様に魚を献上するってやつ?」

「そうだ。このサンサールガルドの誉れだ。今の領主が色々動いて、今年からようやく復活する事になったんだそうだ」

 複雑な表情でそう話す漁師達。

 きっと彼等に取って王室献上というのはこの上無い名誉なんだろうけれど、それをあのエルフ野郎の手柄にされる事には忸怩たる思いもあるのだろう。

「そういう事だから、これ以上俺達の邪魔するんじゃねえ。魚は後で店に届けてやる」

 俺は漁師の親父共に追い出される様にして港を後にした。



 その日の晩。


「料理人のシンゴは居るか!」


 相変わらずの賑わいを見せる店内に、突然大きな声が轟いた。

 瞬時に店内が静まり返る。

「ん? 俺? 一体何の用?」

 料理を中断して厨房から出てみると、そこには剣やら槍やらを手にした兵隊が三人。その中の一番偉そうな男が俺に向かって剣を突き付けて来た。

「貴様がシンゴか! 領主に対する反逆の罪で逮捕する!」

 同時に残りのふたりが両側から俺を挟み、腕を取る。

「ちょ!? 何だよ一体! どういう事だよ俺なんもしてねえぞ!」

「貴様が此度の王室献上に、再び水吐き魚を紛らせてようとしているとの密告があった」

「なっ!? おいふざけんな一体なんだよそりゃ!」

「貴様、今日港で漁師共に水吐き魚について色々と嗅ぎまわっていただろう。しかも『あれは本当は美味い魚だ』等と言ってそそのかしていたそうだな。何か申し開きがあるか」

 隊長とおぼしき男が剣をちらつかせながら、俺に迫る。


 ……なんてこった。あそこで、いやこれまでずっと俺は見張られていたのか。

 そして少しでも叩けそうな材料を見つけたら、難癖付けてしょっ引くつもりだったんだな。あのエルフ野郎、とことん陰険な奴だ。


「詳しい話は詰所で聞いてやる――連れて行け!」

 隊長は俺に一瞬だけ嫌らしい笑みを見せた後、左右の兵隊に指示を飛ばし、俺を連れ去ろうとした。

 その時――


「お待ちなさい!」


 店内に凛とした声が響き渡った。

 皆が一斉に振り返る。

 その声の主はもちろん、マダムのものだ。

「その者は我がリーンハイム家に仕える者です。そうと知っての狼藉ですか?」

 胸を張って腕を腰に当て、真正面からきつと兵隊を睨みつけて語るその様は、今まで見た事の無い貴族としての彼女の姿だった。例え着ている服が営業用のエプロンドレスであっても、彼女の威厳は微塵も揺るがない。

「子爵婦人……しかし、この者には反逆の罪の容疑が掛かっているのですぞ? しかもそれは水吐き魚に関するもの……ここだけの話、我が当主はこの者の黒幕はあなたではないか、とも疑っておいでです」

 貴族の持つ迫力に怯みながらも、隊長はその本性を出したとばかりに嫌らしい顔になって嘯く。

「なるほど……」

 エレーナさんはそのままツカツカとこっちまで歩み寄ると隊長の目の前に立ち、彼を睨みつけた。

「それはフレイマージェ男爵の意と取ってよろしいか?」

「……は?」

 碧眼に『貴き者』としての威厳と威圧を湛え、目の前の男を睨みつけながら。

「確たる証も無しに。密告の言葉を信じ。憶測のみで貴族に罪の是非を問う。それが領主たるフレイマージェ男爵の意か。そう聞いているのです」

 決して大きな声でも無い彼女の言葉に、しかし店内は凍り付いた。

 見れば、隊長は顔を真っ青にして目を逸らしている。

「答えなさい。私は聞いているのですよ」

「い……いえ……今のは、あくまでも私の個人的な……」

「では、この街の衛士は、確たる証も無く貴族に罪を問うのですか? 密告者などという唾棄すべき恥知らずの声を元に」

「いえ……」

「ならばその者を放しなさい。当家の者に反逆の罪を問うというのなら、それは私に問うのと同じ事。そうしたいのであらば、貴族としての作法を以て行いなさいとフレイマージェ男爵に伝えなさい」

「は、はっ!」

 兵隊達は逃げる様に店を去り、店内からは歓声が巻き起こった。

 この店に居る者は皆、エレーナさんの先代が無実だという事を信じてくれているのだろう。更には現領主に対する不満も相まってか、店内は喝采に包まれあちこちで彼女を称える乾杯が始まっている。

 そんな中。

「……まずいことになりましたね」

 いつの間にか隣に居たヴネさんが小さく零した。

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