第4話

 翌日。

 昼の営業を終えて、夜の為の仕込みをヴネさんと行いながら。

「なあヴネさん。昨日俺、変なエルフの男に絡まれてさあ」

 俺は思い切って、昨夜の事を話してみた。

 彼女は俺の言葉に思わず息を飲むと、スっと目を細くして見つめて来る。

「……『ここを辞めろ』とか言われましたか?」

「うん。『金なら恵んでやるから去れ』って、すっげえ上から目線で」

「それで、シンゴさんは何て答えたのです?」

「もちろんそんなの聞く訳無ぇじゃん。只でさえマダムには拾ってもらった恩があるのに、何であんな横暴な奴の言う事聞かなきゃならんのよ」

 手はレピレピを三枚に下ろしながら、ヴネさんに向かってきっぱりと言い切る。

「そうですか……やっぱりあなたの所にも……」

 彼女はなんかヒヤヒヤした目で俺の手元を見ていたけれど、金目鯛なんか今まで嫌っていう程捌いて来たからこんなもん寝てても出来る。

「て言うかあいつ何なの? この店に料理人が居付かなかったのって絶対にあいつのせいでしょ?」

 昨夜のいけ好かないエルフと、配下のチンピラ達。

 あのいかにも小悪党な連中が、俺以前の料理人を買収したり難癖付けて追い出す姿が容易に想像できる。

「そうですね……」

 俺の想像はきっと正解なのだろう。ヴネさんは溜息と共に語り出した。

「先代のリーンハイム子爵はこの地で捕れる新鮮な海産物を使い、街に更なる発展を遂げさせようと様々な事業を手掛けておられました。この店もその一環として作られたのです。領主自らが手を掛けたお店でしたから、それはもう大変な賑わいを見せていましたよ……先代が生きてらした頃は何人もの料理人や使用人を雇っていたのですが、今はご覧の有り様」

「あのエルフが嫌がらせをしてるから?」

「ええ。先代が育てた料理人達も、使用人達も皆逃げる様に辞めてしまいました。私はかつて、かっぱらいで生計を立てていた小娘の時分に、丁度あなたの様に先代に拾って頂いたご恩がありまして。それに幼い頃にお母様を亡くされたお嬢様がとても懐いて下さいましたから、とうてい見捨てる事など出来ませんでした……」

 話している内に、ヴネさんの瞳からすぅっとひと筋、涙が零れ落ちる。陽気でお茶目なおばちゃんだと思っていてけれど、この人もそれなりに苦労して来たんだな。

「で、結局あいつは何者なの?」

「あの男はフレイマージェ男爵。この街の、今の領主です」

「領主!? 領主っていうと、この街で一番偉いの? あのチンケな小悪党みたいな野郎が?」

「ええ。フレイマージェ男爵は数年前、没落したリーンハイム家に成り代わりこの街の領主になったのですが……仰る通りの性格で、更に無類の女好き。そしてお嬢様はあの器量ですから、以前から目を付けられていて……」

 ああ、その先はもう判った。

「没落したマダムに、更に追い打ちをかけて困窮させてから囲おうって魂胆か」

「ええ。資産のほぼ全てを没収され屋敷すら失ったお嬢様の、最後の財産であるこの店が立ちいかなくなったら……もうあのお方には何も残りません……」


「もしもそうなったとしたら、私は自ら命を絶ちます」


 突然響いた鋭い声に、思わず振り返る。

 厨房と店内を仕切る扉の前に、いつの間にかエレーナさんが立っていた。今まで見た事の無い、鋭い顔つきで。

「誰が父を貶め、リーンハイム家を没落させた張本人になど降るものですか」

 今まで聞いた事の無い、鋭い声で。

「御先代を……貶めた?」

 思わず零した俺の言葉に、碧い瞳に憎悪の光を湛えながら彼女が応える。

「ええ。この街で捕れる新鮮で質の良い魚は、長い事王室に献上品として納める栄誉を賜っていたのですが……数年前に献上した魚の中に、あろう事か『水吐き魚』が混ざっていたのです」

「水吐き魚?」

「猛毒の魚です。もちろん、この港町に住まう者でそれを知らない者など居りません。誰かに意図的に混入させられたのです。父はその責を咎められ、もちろん無罪を主張しましたが聞き入れて貰えず……家と名誉を守る為、服毒して自ら命を絶ちました……その結果、取り潰しこそ免れたものの当家は領地も財産も殆どを失い……」

「それをやったのが、あのエルフの男爵……」

「ええ。間違いありません。当家とフレイマージェ家は長年この街の支配権を争ってきた間柄です。それに、あれだけ領民に愛されていた父が、その領民達に裏切られる筈はありません」

 ギリ……と歯ぎしりすらしながら。今まで見た事が無い程の、憎悪の表情を彼女は隠そうともしない。それだけあのエルフを憎んでいるという事が、そこからひしひしと伝わってきた。

「権謀術策も貴族の作法と言われれば、それまでかも知れませんが……ですが、それにしてもやり方が悪辣過ぎます。私はかの者に、決して屈する訳にはまいりません! 決して許す訳にはまいりません! いざとなったら、刺し違えてでもあの者を……」

 憤怒の形相で呪詛の言葉を吐く彼女を観る程に、なんだかとても悲しくなって。切なくなって。

 気が付いたら、俺は彼女を胸に抱いていた。

「シンゴ……さん?」

 急に我に返った声で、彼女が息を飲む。

 そんな彼女の細い身体を抱きしめながら。

「マダム……いえ、子爵婦人……いえ、エレーナさん……どうか、お願いですから、憎しみに囚われないでください……俺はあなたに拾って頂いて、助けられました。あなたの笑顔に助けられました……あなたは俺に取って、女神様なんです……ですからどうか、そんな顔をしないでください」

 激昂する彼女の気持ちは、もちろん判らない事では無い。特に相手があの野郎だと思えば俺も怒りしか湧いてこない。

 だけど。それでも。

 俺は彼女に、こんな顔をして欲しくは無かった。あの日、女神の様に感じた彼女のままで居て欲しかった。

 だから――

「俺が頑張ります。俺がこの店を盛り立てます。あなたに、決してそんな顔をさせる事の無い様に……ですから……どうか……」

 胸に抱いた彼女に、俺は自分の思いの丈を彼女に語っていた。

「シンゴ……さん……」

 エレーナさんも、俺の身体に腕を回してきゅっと力を籠めてくれた。

 そして……


「ぅえっふんっ!」


 ヴネさんの、わざとらしい程に大きい咳払いが響いた。

「おうっ!?」

「ぴゃあっ!?」

 思わず我に返った俺達は光の速さで距離を取る。

「で、ではおふたりともっ、夜の営業もよろしくおねがいしますねっ!」

 言うや、彼女は茹で上がったカニみたいに顔を真っ赤に染めて、足早に去って行った。


「……あー」

「何が『あー』ですか。お嬢様はお年頃ですが、殿方には全くと言って良い程耐性がありません。あまり刺激的な事は控えてくださいな」

 じっとりとした目でヴネさんが俺を見る。

「えーと、その。すみません」

 思わず衝動に駆られて胸に抱いてしまったが、相手は雇用主であり没落したとは言え貴族様。うん、さすがに不用意過ぎた。

「まあ、お嬢様もまんざらでも無さそうでしたから、別に良いんですけれど……ねえシンゴさん。海龍の鱗を御存知?」

「は? 店名に由来があるんですか?」

 突然話題を変えて来たヴネさんに、若干の困惑を覚えながら返す。

「その名の通りのものです。この海のどこかに住まう海龍様が時折落とす鱗で、それを手にした者には幸せが訪れると言われています」

「おとぎ話?」

「いいえ。本当にごく稀に、海岸で見つかる事があるそうです。私は見た事ありませんけど。それはコインくらいの大きさの虹色に光る美しい鱗で、陽にかざせばとてもまばゆく輝き、手に取ればとても芳しい香りを放つそうです」

「はあ」

 なるほど。前世の漁師から聞いた事のある『海亀の枕』と同じ類の縁起物か、あるいは竜涎香みたいな物なんだろうか。

「それが転じて、この辺りでは吉祥を招く物や人の事を『海龍の鱗』と呼ぶのです。私はあなたが……お嬢様に取っての海龍の鱗であって欲しいと願っていますよ」

 それはまるで、子の幸せを願う母の様に。

 先程の、まるでゴミでも見る様なそれとは全然違う優しい瞳になって、彼女はそう呟いた。思わず顔が熱くなる。

「えー。それは困ったなあ。俺は何としてもヴネさんを口説いてモノにしようってずっと考えていたのに」

「あらあらまあまあ。そんな事を言われてしまったら、私も亭主と子供を捨てなければなりませんねえ。こんな若い人までも虜にしてしまうなんて、私ったら何て罪深い女なのかしら」

 苦し紛れに放った冗談に、それでも笑顔で応えてくれるヴネさん。

 この居心地の良い空間を守る為に、頑張ろう。

 決意も新たに、仕込みを再開する。

 あと一刻も経てば夜の営業。最近は俺の料理の評判も鰻登りで客足が絶えない。

 自分の料理でエレーナさんに恩返しが出来ているという事に、俺はとても誇らしい気持ちを覚えていた。

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