第3話
そんな感じで彼女に拾ってもらった俺は、海龍の鱗亭で料理人として働く事になった。
最初は異なる世界というものに身構えていた俺だけれど、暮らしてみれば何という事は無い。前の世界より文明が遅れているから何かと不便ではあったけれど、人の営みである事に変わりは無いのだ。
エルフだのドワーフだの訳の分からない連中もいっぱい居るけれど、基本的には俺達人間とそう変わらなかった。もちろん文化やしきたりなんか違う所もあるけど、それも『まあこういうタイプの人達なのね』くらいの感覚で付き合う事ができる。
残念だったのは、そんなファンタジックな奴等が居るのに魔法らしい魔法が無い事だけれど、それもまあ生きるに当たっては大した問題じゃ無い。むしろ今までの常識が通用する世界なので安心できたくらいだ。
一番恐れていたのは、今まで居た世界と全く異なるこの世界で、俺の料理が一体どこまで通用するのかという所だったのだけれど。
なんとこれも、蓋を開けてみればどうという事は無かった。
食材、特に魚なんかの特性は前の世界と殆ど変らなかったのだ。
金目鯛にそっくりのレピレピは甘辛く煮るととても美味しかったし、メヒカリに似た六ツ目魚はやはり唐揚げにしたらバッチリ決まった。太刀魚を更に凶悪にした様なモリョールは塩焼きが素晴らしく美味しいし、ハマグリを二回りくらい大きくした様なゴリアテ貝は酒蒸しにすると絶品だ。
他にもどう見てもイカだったりタコだったりする生き物や、果ては鯨までもこの国では食べるみたいなので、元板前の俺としては全く困る事は無い。
それどころか、この世界の料理はどうやら前の世界よりもずいぶんと遅れているみたいで、俺の料理は大変に受けが良かった。
例えば魚は塩焼きか塩茹で、あとは素揚げくらいでしか食べられていなかったので甘辛い煮付けや酒蒸し、唐揚げなんかは彼等に取って驚愕の味だったらしい。
当然醤油や味噌といった調味料は無いので、完全な和食を再現する事はできないけれど。それでも俺は、そして板前の業は、この世界で認めて貰えた。
むしろ俺の作る料理は街中の評判となって、海龍の鱗亭は大繁盛となったのだ。
……これがおとぎ話なら、『シンゴはこの後幸せに暮らしましたとさ めでたしめでたし』なんて風に終わるんだろうけれど。
例えそこが異世界であろうとも、人の暮らす世界であればやはり色々と面倒な事は起こる訳で。
特に貴族なんていう方々が絡んでくると、それはもう大変な事になる訳で。
☆
「ふぃ~、ようやく看板の時間か。今日も忙しかったなあ」
厨房から最後の客を見送って、俺は安堵の溜息を吐いた。
「ドワーフ石工組合の方々、とてもご好評でしたよ。『また次の会合もここを使いたい』と仰ってました」
給仕のヴネさんも、流石に疲れた様子だったけれどもその声は明るい。とうに四十は回っている筈なのに、まるで小娘みたいにはつらつでお茶目な可愛いおばさんだ。
「うへぇ、あいつら出鱈目に食うからなあ。作る側としては複雑だよ」
「持っていく側も大変です」
ヴネさんと笑い合っていると、軒先まで最後の客を送り出していた店主(マダム)のエレーナ子爵婦人がやはり満足気な疲労顔で戻って来た。
そう。子爵という爵位すら持っている彼女が、我々と一緒に店に出て働いているのだ。
「シンゴさん、ヴネ。今日も一日ご苦労様でした」
そして雇用主である彼女は、従業員の俺達にもとても礼儀正しく、そして丁寧に接してくれる。その貴族らしい優雅な物腰と女神様を思わせるたおやかな笑顔は、何度見ても決して慣れる事ができない。俺はついつい見惚れてしまった。
「シンゴさん、顔が赤いですよ。いくらお嬢様が魅力的と言っても、そんなまじまじと見つめるもんじゃありません」
「う、うるさいなヴネさん。ああマダム、このおばさんの言う事は気にしないでください」
慌てて取り繕う俺と冷やかすヴネさんを少し困った笑顔で見ながら、
「ヴネ、あまりシンゴさんをからかうものではありませんよ。あといい加減『お嬢様』はやめて。もうわたしも当主なのですから」
頬に手を当てて恥ずかしそうに答える。その姿はとても二十歳を過ぎているとは思えない、可憐とすら言える仕草。俺は余計に耳が熱くなり、思わず視線を逸らしてしまう。
まったく、同じお嬢様でもどこかのヤクザとは大違いだ。
仕事を終えて、当面の住まいである下宿に帰る道すがら。
ちょっと一杯引っかけようかと寄った酒場での事だった。
「あんた、シンゴさんだろ? 海龍の鱗亭の」
ようやく馴染み始めたその酒場のカウンターで、ぶどう酒を傾けていた俺に話し掛けて来たのは、見るからにガラの悪い男。
「そうだったら?」
警戒しつつ応えると、男はくいっと顎を動かして。
「ちょっと付き合ってもらえねえかな。あんたと話をしたいってお人が居てね」
「なんで俺がそんな」
そう言いかけて、口を閉ざした。
気付けば、俺の反対側にやはりガラの悪い男が一人。そして椅子の後ろにもう一人。明らかに俺を囲んでいる。
「……ああもう。どこ行きゃいいの?」
溜息を吐いて立ち上がる。なんだよ異世界に来てもやくざもんの相手かよ。
「話が早くて助かるよ。こっちも手荒な真似はしたくねぇんだ」
最初に話し掛けてきた男はそう嘯くと、やはり顎をしゃくって『ついて来い』というゼスチャー。諦めて彼の後に続くと、店の奥の個室に通された。
意外と言うべきか。そこに居たのは相当に身なりの良い男だった。
スリムで背も高く、長く伸びた豪奢な金髪からは尖った長い耳が突き出ている。エルフだ。
その男は、俺を見るやまるで汚物でも見た様に顔をしかめる。
「全く。いくら没落したとてリーンハイム子爵婦人はどうしてこの様な男を……」
「あんた何者だよ。俺に何の用?」
彼のぶしつけなその態度に、さすがにカチンと来た俺は相応の態度で返す。
それが気に入らなかったのだろう。俺を連れて来た男が襟首を掴んで睨みつけて来た。
「おいてめえ、この方が誰か判って言ってんのか?」
「判ってねえから聞いてんだろうが。いいから用事を言えよ用事を」
負けじと睨み返すと、男は一瞬だけ怯んだ顔になった後それを恥じる様に顔をしかめる。
元々板前なんてのは荒っぽい世界だった。だから喧嘩なんてのも若い頃は日常茶飯事だったし、それになんと言ってもこちとら一度死んだ身だ。度胸だけは無駄な位に付いている。いざとなったらひと暴れする事も、今なら躊躇無くできるだろう。
「やめないか。まったく君達人間は野蛮でいけないな」
しかしそんな俺達を止めたのは例のエルフだった。
彼の言葉に、男は俺から手を離して脇に退ける。それを一瞥したエルフが、俺に改めて向かい直した。
切れ長の碧い眼で睨みつける様にして、口を開く。
「単刀直入に言おう。海龍の鱗亭から去れ。タダとは言わん。お前が一生掛かっても稼げぬ金を恵んでやろう」
……このひと喧嘩売ってるのかな?
「あんたにそんな事を言われる筋合いは無いんだけど?」
「ふむ。しかし何も知らぬ余所者のお前こそ、リーンハイムに肩入れする筋合いもあるまい。金ならやると言っているぞ?」
「あいにく一宿一飯の恩義ってもんが有ってね」
俺の返答に、エルフは失望した様に溜息を吐いて小さく頭を振った。
「これだから人間は……良い、帰れ。もうお前の顔など見たくも無い」
いきなり拉致しておいて随分な言い草だ。
その綺麗なお顔のひとつも蹴り上げてあげたい所だけれど、さすがにこの歳になるとそこまで喧嘩っ早くもなれない。
「へいへい。じゃあ、さいなら」
囲んでいたガラの悪い奴等を押し退けて、部屋を後にする。
結局その後は飲み直す気分にもなれず、そのまま下宿に帰った。
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