第2話

「……て言うか……展開早過ぎじゃね?」


 なし崩し的に、女神様の奨めるままに異世界転移とやらを成し遂げた俺だったけれど。

 あまりの唐突さに、正直付いて行けない。ヤクザに撃たれて殺されたと思ったら違う世界に送り込まれるとか一体何なのこれ。

「そもそも俺、この世界の事なんにも知らねえじゃん」

 そう。あの女神様、ここの情報やら何やらを一切教えてくれなかったのだ。

 勢いに飲まれた俺が、「じゃあそれで」って言った途端、


『よくぞ決断してくれました。では慎吾、良き新生活を』


 とか言って手をさっと振り上げたと思ったら、次の瞬間俺はこの海岸に居て。

 恰好もダウンジャケットにチノパンという撃たれる直前のまま。

 これで一体どうすりゃ良いんだよ……

 あまりアフターサービスのよろしくない女神様をちょっとだけ恨みながら、改めて辺りを見回した。

 風光明媚。

 そう言って差し支えない、とても綺麗な所だった。波の穏やかな内湾の最奥部と思われる海岸で、沖合に小さな島が幾つも浮かんでいるその様は前の世界の松島に良く似ている。

 決定的に違うのは1kmくらい先に見える、地中海沿岸の街みたいに真っ白な外観を持ったお洒落な港町と、その港を行き来する大きな帆船。まさに大航海時代的な、それは今まで見た事の無い景色だった。そして良く見れば、街の建築様式や船の形も俺が知っているものとは微妙に違う。

「はぁぁ……本当に違う世界なんだなあ」

 自分が異なる世界に送り込まれたという事を徐々に実感しながら、ぼーっと辺りを見回していたその時。

『ぐぅ』と異音を発したのは俺の腹。

「そう言えば腹減ったな……」

 前世で最後の食事を取ったのは、あの日の昼。それから準備や何やらをこなしてヤクザ屋敷で料理を作ってハイエースされて撃たれて……うん、結構な時間が経っている筈。

「とりあえず……あの街まで行ってみるか」

 金も無ければ何の持ち物も無い。文字通り着の身着のままだけれど。

 取りあえず、あそこに行けばどうにかなるだろう。

 そう短絡的に考えて、俺はすきっ腹を抱え歩き出した。

 

 ――そしてどうにもならなかった。


「通行税ってなんだよ……」

 街は白い塀にまるごと囲われている。その出入り口には剣やら槍やらを持ったいかつい兵隊が守りを固め、行き来する人達から金を徴収していた。

 子供なんかも気軽に払っている所を見るに、きっと大した額では無いのだろうけど今の俺にはそれすら無い。

「くそ、使えねぇ……女神様使えねぇ……」

 もはや彼女に対する感謝の気持ちなど消え失せた。なんだよこの雑な扱いは! もっとこう、初心者パックみたいなの持たせてくれてもいいじゃんよ!

 なんて事を心の中で叫びながら。

 行きかう人達を恨めし気に睨みつつ、暫くそこでたむろして、挙句の果てには「その辺に小銭落ちてねえかな」とか辺りを見回すという極めて情けない真似までして。

 もちろんそんなものが落ちている筈も無く、ただ愕然と立ち尽くしているこの俺に。


「もし、そこのお方」


 背後から語り掛けてくる女性の声。

「なんでしょ……う……」

 振り向いた瞬間、心臓が止まる思いをした。

 長く美しい金髪。

 彫りの深い細面に、慈母の様な優しい瞳。

「め、女神さま!?」

 そう。

 ついさっき、『あの世』から俺をこの世界に送り込んだ女神様に瓜二つだったのだ。

 さすがにあの時に感じた、神々しさというか人外の迫力みたいなものこそ彼女には無いけど、その美しさは全く同じとすら言える。

 彼女は俺の発した言葉に、

「まあ」

 と恥ずかしそうに頬に手を置き、それでも微笑みを返してくれた。

 そしてそのたおやかな瞳で俺を見て。

「申し遅れました。私はリーンハイム子爵家の現当主、エレーナと申します。女神様と見間違われるとは畏れ多い事ですわ」

「あ、も、申し訳ありません。俺は三浦……シンゴと申します……て、ええと貴族様?」

「子爵とは名ばかりの、没落貴族ですよ。かつて私の父はこのサンサールガルドを治める領主でしたが、今の私には何の財も権限もありませんから」

 一瞬だけ複雑に笑った後、再び元の表情に戻った彼女。

 そして再び俺に向き合うと、美しい碧眼で俺を見つめて、

「差し支えなければ、お尋ねしたいのですが……あなたは今、何かに困っておいでではありませんか?」

 と、問いかけてきた。

「……は、はい。困ってます。めちゃくちゃ困ってます」

 その瞳に促されるがままに、俺は一銭も持っていない事、この街について何も知らない事、そもそもこの国の者では無い事などを彼女に話した。さすがに異世界から来たというのはいくらなんでも信用してもらえなそうなので、『記憶も無くした』という事にしておいたけれど。

 彼女は俺の話を聞く内に、どんどん瞳を大きく見開いて手を震わせて――


「シンゴさんと仰いましたね。どうか私に付いて来てくださいな」


 俺の手を取ると、門番を払い除けて街に入って行く。

 連れられるままに足を進めて行くと、そこはどうやら教会の様だった。

 宗教施設らしく荘厳な造りの建物で、中には何となく見た事ある様な、両手を広げた美しい女性の大きな像が納められている。

「ここは?」

「天地創造の女神様を奉るお社です。信徒である私は物心ついてから毎日欠かす事無く、ここで女神様にお祈りを捧げて参りました。すると昨晩、夢枕に女神様が現れて私に仰ったのです。『明日、街の前で困窮せし異邦人を見つけたら、これに手を差し伸べよ。されば汝の道は開かれん』と……」

「…………女神様ごめん。マジごめん」

 やっぱあのお方は女神様だった。ちゃんとアフターケアもばっちりだった。

 改めてお社の女神像とエレーナさんを見比べる。

 その像は確かにとても美しい女性の姿をしているけれど、エレーナさんとは正直あまり似ていない。

 きっと女神様は、この人を真似た姿で俺の前に現れたのだろううな。それにしても凄い美人だ。

「あ、あの……シンゴさん?」 

「あ、ごめんなさい。つい」

 思わずガン見してしまった。

 こんな失礼な俺に、それでも彼女は穏やかな笑みを絶やさずにいてくれる。マジ女神かよこの人。

「そういう訳ですので、もしもあなたを助けて差し上げる事が出来ればと思い、声を掛けさせて頂いたのです」

 そこから先は、まさにとんとん拍子。

 俺が板前……料理人で、目下仕事と住む所を探したいと言った所、彼女は今度こそ驚愕の形相となった。

 なんでも没落貴族である彼女の家の、残された唯一の財産が海鮮料理の店らしく、しかも丁度そこの料理人が辞めてしまい困っていたとの事。

 そして彼女は俺の手を取って、こう言った。

「シンゴさん、これはきっと女神様の思し召しです。どうか私の店で働いてくださいませんか?」

 真摯な瞳で、俺の目を正面からしっかりと見つめて。

 そんな彼女にドギマギしていたその時。

 不意に周りの全てが止まり、彼女の背後――お社の中の女神像からもの凄い気配を感じた。


『慎吾……聞こえますか……貴方の脳に直接語り掛けています……わたしです……使えない女神です……』


「うわああごめんなさいごめんなさいほんとごめんなさい!」


『……まあいいでしょう……良いですか、慎吾……わたしがしてあげられるのはここまでです……後は自らの力でお征きなさい……あなたが善き心を持って進めば、それは必ず善き路へと繋がるでしょう……』


「は、はい! 誠心誠意がんばります! 真っ当に生きます! 毎日街のゴミとか拾います!」


『その意気です……あなたのこれからに期待します……それと、その娘はわたしの大切な信徒です……くれぐれも不誠実な事はしない様、頼みますよ……』


 女神様の残響音が消えると共に再び世界が動き出して、そこでエレーナさんに手を握られている事を思い出し。

「こここ、こんな俺で良かったら、よろしくお願いしましゅ!」

 つい噛んでしまった俺に、笑顔で「こちらこそ」と返してくれるエレーナさん。


 ――嗚呼、女神様本当にごめんなさいもう二度と生意気言いません一生崇拝致します。


 俺はもう一度お社に身体を向けて、額をこすり付けんばかりに頭を下げた。


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