第3話


「一体どうすりゃ良いんだよ……」


 缶ビールを片手に、ひとり部屋でうな垂れる。

 足元には既に役目を終えたウイスキーの空瓶が一本と、350ccの空き缶が数本転がっているけれど不思議と意識だけはしっかりしている。

 それはつまり、酒に逃げるなんて事は許されていないという訳だ。


 あれから谷岡女史は言った通り、詳細を説明してくれた。

 彼女の父は、かつてここいら一帯にその名を轟かせた、伝説の任侠だった事。

 その伝説の、老いらくの子として産まれ育った彼女の事。

 父親が病に倒れてからは彼女がその細腕で、彼女の言うところの『会社』を切り盛りしてきたという事。

 そして長い闘病を続けている父が最近特に弱って来て、人生の最後にと無茶な要求をし続けている事。


 ――ああいった無頼の輩が、畳の上で死ねるだけでも幸運だとは思うけど。それでも子供としては、できるなら願いを叶えてあげたいんだ――


 ――あなたの事なら大丈夫。息のかかった病院もあるし、父の死因が世に出る事はまず無い。その点については安心してほしい――


 ――もしかしたら、あなたは自分が料理で人を殺す事を恐れているのかも知れないけれど、それは違うんだ。我々の世界では、自らが望んだ死に方で死ねるってのは得難い幸運なんだよ。つまり、あなたは私の父の魂を救う事のできる、唯一の人なんだ――



 いつの間にか空いていた缶を放り投げ、新しいビールを開ける。

 酔う程に、先程の谷岡女史の言葉が頭の中をぐるぐると回った。

 彼女の、そして彼女の父親の言い分は、正直分らないでも無い。

 俺だって板前の端くれだ。幻の珍味と言われているフグの肝なんて、食えるものなら食ってみたい。もしも自分が不治の病だと知ったら、それを食って死にたいと自分が考えないとは決して断言できない。


 とは言え、板前の端くれである俺としてはやはり、たとえそれが望んだ事だと言っても自分の作った料理で人が命を落とすという事には耐えられない。

 食というのは命の根源だ。人が生きていく為の、文字通り『糧』だ。

 それを、食べたら死ぬ事が確定している毒料理として人様に呈するなんて、料理人がやって良い事なのか。


 さりとて彼女の言う、魂の救済という点には不思議な説得力みたいなものすら感じもするし。


 ――ああもう俺どうすりゃいいんだよ。


 もう何本目かも判らない缶ビールのプルを開け、俺はアルコールの導くままに堂々巡りの旅を続けた。

「……ていうか。彼女の本心は一体どうなんだ?」

 話から察する限り、谷岡女史は父に対して深い愛情を持っている様に感じる。

 できればそんな死に方をさせたくは無いのではなかろうか、というのは俺みたいな素人の勝手な思い込みだろうか。

「ああもう、めんどくせえなあ」

任侠の世界に生きている人間の気持ちなんか、一介の板前なんぞにはわからない。

「……そうか。わからないなら、聞きゃあいいじゃんか」

 これがアルコールの魔力というものか。

 それとも追い詰められた男の底力なのか。

「呼び出して、問い詰めてやる」

 普段だったら絶対に取らない行動を、この時俺はした。

 新たなビールを開けながら手元のスマートフォンを取り、電話帳を開く。

 そこの『谷岡』の項をタップすると、当然呼び出しの電子音が鳴り――

「はい、谷岡です。三浦さん? あなたから掛けてくるなんて珍しいね」

 涼やかでありながら、凛とした彼女の声。

 そのヤクザの跡取り娘である谷岡女史に、酔いの力に身を任せて。

「谷岡さん。明日俺とデートしませんか?」

 気が付いたら俺はそんな事を口走っていた。

 数秒の沈黙の後。

「あっははははは! デート! 私とデート!? すごいね三浦さん。私にそんな事言った人、ここ何年も居ないよ?」

 妙に嬉しそうな彼女の声に、俺も嬉しくなる。

「じゃあ、明日逢いましょう。場所と時間は――」

 酔いに任せたまま、ヤクザの令嬢相手にデートを取り付ける俺。

 それがどれだけ大それた事だったかを理解したのは、翌朝酒が抜けてからの事だった。

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