第2話

 それからしばらく経って年も明け、街もひと段落した頃。

『友人』の谷岡女史より呼び出しの連絡を受け、俺は再び事務所に訪れていた。


「やあ三浦さん。実は、相談に乗ってもらいたい事ができてね」

 例によってにこやかな、それでいて一切の反論を許さなそうな表情で俺を迎えた谷岡女史。

「相談って……何でしょうか。俺、単なる板前ですよ?」

「そう。だからこそあなたに相談したいんだ。あなた、フグ料理ってできるよね?」

「フグですか? ええ、そりゃあもちろん」

 俺が勤めている「吉超」は、この街では最高級の料亭。そこで板場を任されている俺が、フグを扱えないなんて事は当然有り得ない。むしろ関西で長く修業した俺に取って、フグは得意な食材とすら言える。

「私の父親がね、『死ぬ前に美味しいフグを食べたい』って我侭を言っていてねえ」

「お父君が……ええと、ご病気か何かで?」

「うん。まあ歳も歳だし、長年の闘病生活で最近覇気も無くてね。老い先短いのだったら、せめて食べたいものくらい食べさせてあげたいっていうのが人情じゃあないかな?」

「は、はあ」

「聞けば吉超のフグ料理は絶品だと言うじゃないか。そこで是非、あなたに腕を振るってもらいたいんだよねえ。ああ、もちろん相応の謝礼はさせてもらうよ?」

 ……なるほど。

 要は、俺を出張料理人として使いたいって事か。

 ヤクザの食事会を任されるなんて重責も良い所だけれど、きっと俺に拒否権なんか無いだろう。むしろこの程度で済むなら御の字とすら言える。

「わかりました。至らぬ身ですが、精一杯努めさせて頂きます」

 俺が即決した事が気に入ったのだろうか。彼女は初めて見せる様な屈託の無い笑顔で俺を見て、手を握ってくる。

「ありがとう三浦さん。きっと父も喜んでくれるよ。是非とも父に、美味しいフグの肝を食べさせてあげてくれないか」


 ……………………はい?


「ええと、今、何て?」

 俺の聞き間違いだろうか?

 いやきっとそうだろう。うん、まさかそんな事、ある筈が無い。

「いやぁ助かるよ。なんせ父がね、『どうせ死ぬなら最後に食ってみたいものを食って死にたい。是非ともフグの肝を食ってみたい』なんて言うからずっと辟易していたんだよ。まさかその辺の料理屋に行って、『この人死んでもいいからフグの肝食わせてくれ』なんて言う訳にも行かないしねえ」

 

 聞き間違いじゃなかった! 


 しかもこの人めっさ嬉しそう。

「え、ええと、フグの肝っていうのは、その」

「うん。猛毒だよねえ。普通、食べたら助からない。特に長年の闘病生活で弱り切った老人なんか、イチコロなんじゃあないかな」

 妙に楽しそうにそう言った谷岡女史は、そこで急にシリアスな雰囲気に表情を変えて。


「三浦さん、頼むよ。父に、最後にせめて食べたいものを食べさせてあげたいんだ」


 彼女は素手で、普通に座っているだけなのに。

 まるで喉元に刃を突き付けられている様な、凄まじいまでの殺気すら感じる。

「し、しかし……それは、板前として……」

 なんとか絞り出したその一言に、谷岡女史は大きく溜息を吐く。

「まあ、突然こんな事言われてもそうなるか。とにかく詳しい事はこれから話すから、良く考えてみて欲しい。そして出来れば私を助けてくれると嬉しいな」

 先刻の殺気がまるで嘘だったみたいに、彼女が微笑みを返す。

 しかし俺にはその微笑みの方が、逆に恐ろしく感じた。

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