第1話


「へえ……お兄さん達は料理人なんだ」

「はい。駅前の吉超という店で板場を努めさせて頂いてます、三浦慎吾と申します。こっちは追い回しの伊藤です」

 放心状態でひぐひぐと泣き続けている後輩の伊藤を尻目に、俺は連れて来られた『事務所』で件の相手と差向っていた。

 もちろん、どこかのオフィスビルの一部屋、という訳では無い。

 お城みたいな佇まいの、巨大な日本家屋の一室。まるで美術品みたいに立派な襖と言い、青々と美しい畳と言い、素人目にもひとつひとつにとんでもないお金が掛かっている事が簡単に想像できる。

 その『事務所』の上座に腰を降ろしているのが、俺達が突っ込んだ車の持ち主であるらしい、谷岡と名乗った女性。配下の黒服達から「お嬢」と呼ばれているのを察するに、ここの跡取り的な人なのだろう。

 その谷岡女史に対して、改めて頭を下げつつ、

「今回の事故は私共の完全な落ち度でございます。そしてこの伊藤はまだ未成年でありますので、責任は全て私が取らせて頂きます。誠心誠意謝罪させて頂きますので、なにとぞ」

 伊藤の頭をむんずと掴んで一緒に下げさせながら、必死の思いで謝罪する。

 もちろんこんな事で事態が収まるとは微塵も思っていないけれど、しかし現状俺達にできる事は頭を下げる事ぐらいしか無い。

 

 ――大丈夫。今はもう二十一世紀なんだ。一昔前のヤクザみたいに理不尽な難癖つけてとんでもない金額脅し取るとか、落とし前に小指寄こせとかは言って来ない筈――


 そう、自分に言い聞かせながら。

 そんな俺をまるで楽しむ様な、そして値踏みでもする様な目で見ていた谷岡女史は、吸いつけの電子煙草をくゆらせながら言った。

「最近、この辺りの業界も中々込み入っていてね。てっきりお兄さん達がどこかの会社の若い衆じゃないかと勘ぐってもいたんだけど……そうなんだ。料理人かぁ」

 にこやかに微笑みながら。

「は、はあ……」

 この人達の言う『会社』って、きっとそういう系の事なんだろうな。

「まあ、なんだ。私達も今のご時世、あんまり目立つ事はしたくない。単なる追突事故だし怪我人も居ない。ここはひとつ穏便に示談としようか。別にゴネるつもりも無から、あとはお互い保険屋に任せよう」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」

 再び伊藤の頭を引っ掴み、一緒にぐりぐりと頭を畳みにこすり付けんばかりに土下座する。どうにか最悪の事態は免れた様だ。

「ところで、あなた。三浦さんと言ったね」

「はい?」

 頭を上げて彼女に視線を戻す。

「私には色々な友人が居るけど、まだ板前さんは居なくてね。しかも吉超なんて言ったら中々の名店じゃないか。どうだろう、これを機会に私の友人になってくれないかな?」

「友人……ですか?」

「うん、『友人』だよ。友として、色々と『相談に乗って』もらえると、とてもありがたいんだけどね」

 相変わらず、にこやかに微笑みながら。

 しかし、その瞳は何故か笑っている様には見えない。

 それどころか『断ったらお前を消しても良いんだぞ』とでも言われている様な、とてつもないプレッシャーがその視線からは発せられている。

 もちろん、彼女の言う『友人』が単なるお友達とは思えない。

 おそらくは、こういう目に見えづらい、ふわっとした脅し方で言う事を聞かそうというのが彼等のやり口なのだろう。

 だからと言って、俺に選択肢がある訳も無く。

「よ、よろしくお願いします……」

「うん、よろしく頼むよ」

 おっかない笑顔のまま差し出された右手を、一瞬だけ躊躇した後握り返した。


 こうして俺は――

 ヤクザの跡取り娘と『お友達』になるという、全く以て思いもよらない人生の転機を迎える事となった。

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