Review

 また、目が合った。

 一拍ぶんの間を挟んでノートに視線を戻してから、昨日から数えてこれで何回目だろうと考える。すくなくとも彼女は、こちらの眼差しに気付くようになった。

 隣の席のろくに話したこともない女子生徒をなんとなく観察するくせは結構前から、それこそ席替えで隣になったときくらいからついていて、いちばん最初のこともよく覚えている。消しゴムを落とした。俺とは反対側のほうに。ぎりぎり手が伸びる無理な姿勢で拾ってから居た堪れなさそうに俯いた、たぶん手入れもあんまりしてない粗雑にからまる黒髪がなんとなく記憶に残って、それからたびたび彼女を視界に入れる。とくべつ意識を持ったわけでもなく、慈しみを覚えたわけでもなく、もしかしたらどちらかというと嗜虐的な感情に由来するかもしれないそれをけして持て余すこともなくて、だからただの癖どまりだったし、罪悪感を抱くこともなかった。今日も俯いてるな、今日も髪乱れてるな、今日も暗いな。みたいな。どうだろうか、縮こまってほとんど声を発さない隣にいるいきものが何なのか確認しないとこわいとか。どうだか。

 とにかくそんなふうに俺は不躾によく彼女を盗み見ていて、これまでは気づいている様子がなかったのに昨日あたりから相手も気づき始めた、というのが今の……状況、ってほど取り上げたい話題でもないので、そういう生活の一部の変質があった、くらいの話。見てると目が合うようになった。十日前より茎が明るくなった植物に対する感情と変わらない。


 そこから三日くらい同じ生活を続けた。俺が見て、彼女が気づいて、目を逸らす。一日に数回。累計で言ったらかなりの回数になってきたけど相手はなにも言わないので、だんだんこっちのほうがバツが悪くなってきて見ないことに努めるようにもなった。いやこっちのほうが、なんて言い方、おかしいか。失礼なのはそもそも俺なので。ただ、こちらが観察を控えるようになったしばらくの間は向こうのほうから視線がくることもしばしばあって、なんだ思ってたよりも度胸あるな、とか考えたりする。そういうことができない、弱々しいいきものだと認識していた。

 一ヶ月後にはそれもなくなって、隣の席の生徒はまた存在感を消すのが上手な沈黙するかたまりに戻った。せっかく抜けた癖だけど、居るのかどうか疑問に思って確認するようになってしまったのでたぶんまた同じ経緯を辿ることになりそうだ。

 と、思っていた。


 また目が合ったのは帰り支度をしているときで、また、あれもう隣は帰ったんだっけ、という存在確認で視線を遣ったときだった。ああバレた。今回は早かったな。

 久しぶりに顔を見たのでちょっとだけ逸らすまでが長かったように思う。その、ほんのわずかを、出口未雲はつかまえた。


「あ、の」

「………………、」


 正直驚いてしまって声が出なかった。人に話しかけることあるんだ、この女。


「……。なに?」

「み、見過ぎ………」

「え?」

「…て、るかなって、思って……」


 ごめんなさい、と続く言葉の意味がいまいちわからない。はじめは文句をつけられたのかと思ったけど結びが謝罪で。見過ぎてるかな、って思って、ごめんなさい? そのまま受け取るとまるで相手の方がこちらを盗み見する常習犯のようだ。逆だけど。……まさか、見られていたこと自体は気付いてなかったのだろうか。自分の方が見ているから目が合うって思ってる? まじかよ。どんくさ。

 別に、と返しながら荷をまとめた。なんとなく、早く彼女から離れたかった。つれない返事をしたのも、この性格だしさらに言葉を連ねてくることはないだろうと高を括ってのことだった。


「下川くん、て」

「………」まじかまだ話しかけてくんの。「…なに」


 自分から切り出したくせに彼女は数秒、ためらった。そして、「流し目じょうずだよね」という予想外も吹っ切った、およそ彼女から飛び出るべきではないような台詞を投げかけられた。当然、狼狽えた。なに、その、感想?


「あ……ごめん、変なこと言って……」

「………………べつに……」

「その、でも、いつも綺麗で、すきだなあって思う……ので…。見ちゃうの、」


 ごめんなさい。二度目(いや、三度目か)の謝罪をさすがに受け止め損ねる。人が取り繕おうとしてんのに、綺麗とか、好きとか、そういうのクラスメイトの異性に言うことか? ていうか、そういうの言えるタイプの人間なんだ?

(だめだわからない……………)

 出口未雲がわからない。この話だと結局俺から見ていることも承知していることになるし、その上で「視線を返してごめんなさい」って言ってることにならないだろうか。なんだそれ。なんでそうなる? それとも、遠回しに見るのをやめろと言っているのか。何にしても度胸がある。その、見積もっていたぶんよりも、という意味で。

 それでなんて返すべきだろうか。考えあぐねて、まあ、差し障りのないことを言っておくことにした。


「人がいいんだ、出口は」

「えっ」


 別のクラスの友人が戸口まで来てこちらを呼んだのでそれに応えて彼女とのやりとりを断ち切ってしまう。ああ、ちょっと明日が憂鬱。明日っていうか、通学路でも出口の乗るバスに追い越されるから、そこから。

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