明転の先

Release

 これから帰ろうってところで委員会の仕事を押し付けてくる教師はマジでありえない。しかも駅前のクレープ屋が新作を出したから食べて帰ろうってミキと言ってたこの大事な日に。

 しかも、


「…………」

「…………」


 めっちゃ喋らない出口さんと一緒。

 この子全然理科委員じゃなかったはずなんだけど、どうも帰りがけにうまいこと捕まったらしい。気まずいことを除いてもありえない。可哀想じゃん? 義理がないっていうの、こういうやつ。

 冬休みの課題なんていっこも要らないプリント集をせっせとホッチキスで留めながら、早く終わんないかな、って言ってしまう。勉強はそこそこに出来る方だけど賢くないからすぐ思ったことが口に出る。でも出口さんがあたしに返事するわけなんかないから、気まずさがエグくなっておわりだ。もう、ほんと最悪。


「出口さんさ、下の名前なんだっけ」


 こうなったら相手が簡単に答えられる質問で場を繋ぐしかない。先に喋っちゃったあたしの役目だ。会話してたほうが絶対時間経つの早いし。

 出口さんはめちゃ小さい声で、みくも、と答える。正直あんま聞こえなかったけど、クラスメイトの名前だ、ぼんやり覚えてるからそれで思い出せた。「じゃあミクとか呼ばれたりするの?」


「し、しない……」

「普通にみくもちゃん?」

「そう、だね」


 歯切れ悪。普通に喋ればいいのに。


「今日ヒマだったの?」

「う、うん」

「サイナンだねー、委員会別でしょ? なんだっけ」

「環境美化……かな」


 かな、て。覚えてないんだろうか。ちらと様子を窺うと考え込むようにしながら粛々とプリント集を留めてた。大事そうに丁寧に、愛を込めてるみたいに。でもちょっと、遅い。理科の課題セットとか愛込めても誰も受け取ってくれないよ。

 思わず溜息もついちゃう。あーあ、クレープ食べたい。


「………すきなの?」


 問いかけられてぎょっとする。また口から出てたのはそうなんだけど、出口さんから喋ったのこれが今世紀初くらい。もしかして出口さんもクレープ好き?

 あたしはその質問はしないまま、今日は駅前の新作を食べる予定だったんだと話す。そしたら「また出たんだ」とこぼすので、やっぱクレープ好きなのかも、と思ってちょっと興味が湧いた。「出口さんもよく行くの?」


「えっと……まだ、行ったことなくて」

「マジウマだよ。行った方がいいよ」

「……ぜ、前回の。どうだった?」


 ああ、前回も気になってたのに行き逃したんだ。なんとなく駅前でおろおろする彼女の図が簡単に想像できてしまう。

 そういえば前回は一緒に行こうって約束した相手が全然誰か思い出せなくて、ミキにめちゃくちゃ馬鹿にされた。その日からあたしのお婆ちゃんネタが炸裂するようになったわけだけど、約束した人も言ってくれればいいのにさ。抜け駆け!って。

 出口さんには美味しかったと簡単に答えるけど、あまりに適当に答えすぎていやそんな薄っぺらい感動じゃなかった、と自分を許せなくなる。これはしっかり伝えておかないと、出口さんもやっぱりクレープとかいいかな、なんて思いかねない。


「マロンとスイートポテトのクレープだったんだけどね、スイートポテトちゃんと入れてくれてるの。あ、しかもあったかかった。外のぺらぺらしたやつは焼きたてだからあったかいの当たり前だけど、スイートポテトも焼きたてなんだよ。ヤバくない? で、ホイップはいつもより甘くないオトナなやつで、その代わりマロンクリームの……なんだっけ、ケーキあるじゃん、栗の」

「……モンブラン?」

「そう! それのクリームがひいてあって、栗もちゃんと入ってて、甘さも食感も神がかってた! え、もう絶対たべて? まだやってるけど、新しいの出したら一週間とかで消えるから!」


 喋ってたら死ぬほど食べたくなってきたし、食べそこね続けてる出口さんがいっそう不幸に思えてくる。それで熱弁をふるいまくったあたしを相手はぽかんと眺めているから、まあ当然だけど、二人して作業は止まってた。クレープの前ではこんなもの塵に等しい証拠じゃない? サボっていいかな。

 ふと、彼女がわらう。笑うとこはじめて見たからなんかまたびっくりしたけど、クレープの話してたら笑うに決まってるか、と納得しかけたあたしに。


「基村さん、おとなっぽく見えるのに、ときどきどうしようもなく可愛いね」


 と。

 紀元前から言われたことないような文句を本当にいとおしそうに綴って、何食わぬ顔で作業に戻っていく。いや。待って待って。待って待って待って。


「………口説いてる?」

「……ちょっと、ね」


 ――その日から、あたしの世界はささやかに、だけど劇的に変わってしまったのだ。

 いつか彼女と二人でクレープを食べてみたいって、そんな百億光年向こうにあって死ぬまでに抱かなかっただろう些細な夢が、急に目の前に、現れた。

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