第7話 闇市

 父さんを隔離施設まで送り、そこから取って返して薬局へと向かったのだが、薬は無いとの事だった。


 そして、他の地域にある店舗から在庫を取り寄せるのにかかる時間は二週間近く。


 確実に、薬が切れているほど遠かった。


 もちろん、薬が切れたらすぐに史が死ぬなんてことはないが、喘息は確実に悪化してしまうだろう。


 史の苦しむ顔なんて見たくない。


 だから俺は……再び危険を冒す覚悟を決めた。


 この国の経済活動は全て国の管理下に置かれている。


 食料は各家庭に配給があり、最低限の職も用意されている。


 必要物資は共産主義的計画生産によって賄われていたが、それだけでは生きていけないのも事実だ。


 だから、人は政府から隠れてこっそりと物の売り買いを行っている。


 それが、闇市。


 非合法に物の売り買いを行う場所。


 この闇市が存在するおかげで足りないものを購入することが出来、人はギリギリの生活を送れていた。


 俺が訪れた闇市は廃墟となった工場を利用し、一応こっそりと営まれているところで、だいたい7、8人のバイヤーが独自に出店し、その2、3倍程度の客が欲しい商品を買い求めるという形をとっていた。


 だが、いくら闇市といえど、免疫抑制剤なんてほとんど使われない物が売っている可能性は低い。


 しかも薬は大概売りに出されたその日のうちに全てはけてしまうから、販売されているのを見かけることも難しい。


 しかし、今日だけは、もしかしたら売っているかもしれないのだ。


 何故なら、俺が薬を盗まれたのはつい昨日のこと。


 もし薬として使えないと知ったのなら金に換えようとする可能性は高い。


 俺はそんな一縷の望みに賭けることにした。


「すみません」


 縦に長い工場の入口につっ立っている見張りらしき男――闇市を取り締まっているヤクザの一員――に声をかける。


「なんだ」


 男はともすれば風に紛れて消えてしまいそうなほど小さな声で返して来る。


 警邏中の自衛隊に見つからないようにしているわけではない。


 口元をハンカチで覆っていても、それでも唾液を飛ばさないように気を付けてなるべく口を開けないように喋っているからだ。


「薬は今日売りに出されてますか?」


 その問いに対する返答は、無言で差し出された手のひらだった。


 情報が欲しいのなら金を出せ、ということだろう。


 仕方なく俺は50円玉を取り出して男に渡す。


 パンデミック前ならば子どもの小遣い程度の額でしかないが、物資も現金も欠乏している今はこれでも十分な額なのだ。


「入って右側、三番目の男が仕入れたらしい」


「ありがとうございます」


 お礼を言いつつ入場料として更に50円玉一枚と10円玉二枚を手渡す。


 入場料は100円だから、男の儲けは20円。


 少し足りなかったかとも思ったが、こちらもできる限り出費は抑えたい。


 入れてくれなかったら更に数枚付け足そうかと思案していたら、男は肩を竦めた後、工場の入り口を開いて中へと入れてくれたのだった。


 工場の中はマス席のように区分けされ、バイヤーが思い思いの品をシートの上に置いて販売している。


 客は基本的には黙ったまま身振り手振りで意志を伝え、バイヤーは黒板にチョークや灰を使って文字を書き、値段や個数などの細かい交渉をすることになっている。


 俺は早速教えられたバイヤーの居る方へと視線を向け――思わず頬が引きつるのを感じた。


 そこにはこの工場内に居る全ての客が集まっているのではないかと思うほど人だかりが出来ており、なにか特別な事をやっている事が一目でわかる。


 薬が売りに出されるという事はこういうことなのだ。


 もしかしたら、という期待は嫌が応でも高まっていったが、はやる心を抑え、俺は近くにいるバイヤーへと小声で尋ねる。


「なにを売っているかご存知ですか?」


「風邪薬だとよ」


 バンダナから伸び放題のヒゲが覗いているバイヤーが、嫌そうに教えてくれた。


 そのバイヤーへとお礼を言って、もう少しだけ人だかりに近づく。


 風邪薬ということは、免疫抑制剤ではない……が、まだ可能性は残っている。


 名前だけでは素人が判別できないと考え、売り逃げする可能性もあるからだ。


 何より俺から薬を奪っていった男は風邪薬を欲しがっていた。


 これが偶然の一致だとは思えなかった。


 俺は人混みから少し外れてずっと待ち続ける。


 人混みの中では盛んに取引が行われているのか、ぼそぼそと小さな声でされていたやり取りが、だんだんと盛り上がっていた。


 やがて一人の男が人混みをかき分けて抜け出して来る。


 彼はゴーグル越しに分かるほど嬉しそうな気配を漂わせ、手の中になにかをぎゅっと握り込んでいた。


 恐らくは、薬。


 そう読んだ俺は、すみませんと男に声をかけた。


「……なんだよ」


 長方形のゴーグル越しの目が警戒を帯びる。


 この闇市自体、ヤクザが取り仕切っているが、絶対に何も起きないという保証はない。


 しかも彼は今誰もが欲しがる薬を手に入れたのだ。


 そういう反応をするのが普通だろう。


「その薬の名前って、なんですか?」


「……なんでそんなこと聞くんだよ」


「本当に風邪薬かどうか確かめたいので」


「はぁ? ここ取り仕切ってるのは春日組だぞ」


 闇市自体にも信用というものはある。


 偽物でも平気で売りつける様なバイヤーばかりいる場所もあれば、ある程度そういう輩を廃している信用度の高い場所もある。


 ここはその後者であり、トップの男がなにかトラブルを起こした者を厳しく追放するようにしていた。


 ただ、トラブルを起こした者を追放はするが、これからする者に対して万全とはいえない。


 他にも、バイヤー本人が騙された場合も同じことが言えた。


「それでも、です」


「……」


 せっかく高い金を出して買ったのだ。


 薬の真偽は気になるだろう。


 男はチラリと手の中を確認して、首を横に振った。


「書いてない」


「そんなはずはないです。薬は必ず裏に薬名が……」


「ねえんだよ、ほら」


 ほんの一瞬だけ見せてくれた薬は、まるで何かを隠すかのように小さくカットされ、薬の名前など分からなくなっていた。


 しかし、それを見て俺は自分の考えが正しかったことを確信する。


 わずかに残ったシートの色が、昨日盗られた薬と同じだったからだ。


「……何文字か残っていると思います。それが、今からいう薬の名前に当てはまるか確認してください」


 そう念押ししてから薬の名前を告げると、そのうちのどれかの文字が当てはまったのだろう。


 男の目つきが険しくなった。


 もういいだろうと判断した俺は、周りにも聞こえる様にわざと声を張り上げて真実を伝えてやる。


「その薬は恐らく風邪薬ではありません。免疫抑制剤と言って、抵抗力を下げる薬です」


 それが終われば、市の隅で見張っているヤクザに顔を向ける。


「すみません! 確かめてもらえますか!?」


 にわかに工場内が騒がしくなる。


 この信用で成り立っている闇市に偽物が売られているという情報は、それだけでこの場所の存在意義を根底から覆しかねないのだ。


 見張りのヤクザたちが慌てて事情を確かめようと、こちらへ走って来る。


「動くんじゃねえっ!」


 それを、雷鳴のような声が一喝してその場に縫い留めた。

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