第5話 幼馴染は目の保養
「あっちあっち!」
ロケットストーブから掻き出したジャガイモを手でお手玉しながら俺は台所と外を繋ぐ扉を叩く。
ジャガイモは少し焦げているが香ばしい匂いをさせているため、猛烈な飢餓感が沸き上がって来る。
「はーいはいはい。お兄ちゃんお皿持ってかないからだよ」
まだ少し赤い目をした史が、深皿を手に扉を開けてくれたので、俺は急いでその皿へジャガイモを投げ込んだ。
「いやまあ、ちょっと火力が強すぎてさ」
「あ、焦げてる~」
ちょくちょくロケットストーブを扱っているが、未だに火力の調整が上手く行かないのはご愛敬である。
燃やす物であったり、燃料投下のタイミング、空気の入れ方と、ガスコンロと違って火の扱いは難しいのだ。
「まだあるからちょっと持ってて」
どうせ火を使うならと、収穫したばかりのジャガイモを焼けるだけ焼いたのだ。
一応ガスが復旧したと言っても、パンデミック前のだいたい5、6倍とかなり値段は高いためできる限り節約はしたい。
俺はロケットストーブに取って返すと、火かき棒を使ってジャガイモを火の中から全て取り出し、再びお手玉しながら史の皿に運び入れた。
「これで全部?」
「ちょっと待って」
ジャガイモは全て焼けたが、まだ温めている物はある。
史にそのまま扉を開けていてくれるように頼み、俺は火の処理を済ませる。
それからロケットストーブの上部に置いておいたヤカンを取って家へと入った。
「ふー、熱かった」
「ごくろうさま、暦」
5月に入ったばかりといえど、火の前で作業するのはとんでもなく熱い。
それをよく分かっている母さんは、俺を労ってくれた。
「ん、いい匂い」
ただ、それに感謝するよりも先に、仄かに漂うミルクの香りに嗅覚が反応してしまう。
ジャガイモの香ばしい香りとシチューの香りが混然一体となってすきっ腹を急襲し、俺の腹がぐごごごと唸り声をあげた。
「ちょっと多めに
「ありがと」
お礼もそこそこに、急いで食卓に着く。
庭に植えていたレモングラスを煮出したお茶を各々のコップに
正直なところ、腹の虫はもう我慢の限界だった。
「いただきます」
母さんの号令に合わせてパンッと手を合わせると、食前のあいさつもそこそこに、俺はシチューをスプーンですくって口に入れた。
甘しょっぱいシチューの味とミルクの香りが味覚と嗅覚を同時にくすぐり、得も言われぬ多幸感が沸き上がる。
「ん~~っ」
「おいふぃ」
久しぶりに美味しい食事を食べられて、俺だけでなく史も顔がほころんでいく。
具材は豆と人参がほとんどで、肉なんて一欠けらも入っていないけれど、それでも俺はこのシチューに花丸をつけてしまうくらい満足していた。
「美味しい?」
まだ食べていないのに、母さんは充分満足したと言わんばかりの笑顔で俺たちを見ている。
「もちろん」
「うんうん」
兄妹二人そろって大きく頷くと、母さんは更に笑みを深くした。
きっと、俺たちが美味しいと言うことが嬉しいのだろう。
いつも変わらない味の料理しか出せない事を気にしていたのかもしれない。
「……そう。まだ熱いから気を付けて食べなさいよ」
今度から飽きたとかあまり言わないようにしようと心に止めつつ、俺はシチューに舌鼓を打ったのだった。
「片付けは私がしておくから」と言ってくれた母さんに甘え、歯磨きをきちんとした俺たちは、LEDランタンを片手に二階へと上がった。
電気が豊富に使えたパンデミック前と違って、今は太陽が落ちれば基本的に出来ることはほとんどない。
多少読書やボードゲームをしたり、談笑する程度だ。
今日は父さんに連絡するという用事もあって、少なくとも20時までは起きていなければならないのだが……。
俺の部屋の扉を開けて時計を確認すると、時計の針は午後7時を指していた。
今の1時間はかなり長い。
「どうする?」
LEDランタンの充電はさほど手間ではないため、別々に過ごしても問題はない。
ただ、出来ることはだいぶ少なくなってしまう。
「ん~…………」
史は眉根を寄せてしばらく思案していたのだが、それじゃあと口を開く。
「英単語を覚えられたかチェ――」
史の言葉を遮るように、コンコンッと窓が叩かれた。
俺の部屋は二階なのだが、その事に何も恐怖は覚えない。
何故ならこれは、よくある事なのだから。
「お、もしかしなくても千里かな」
史から発せられた少々不穏な言葉――もちろん俺にとっては、なのだが――から逃れるために、白々しいことを言いながら自分の部屋へ入っていった。
ちょっとばかり、史がむくれていたのは見なかったことにする。
「どしたー?」
ガラリと窓を開けるといきなり物干しざおの先端が出迎えてくれる。
長さ3メートルほどある物干し座を辿っていくと――。
「やほー、暦」
ボーイッシュな髪型に顔立ちをして、Tシャツから伸びる腕は健康的な小麦色に焼け、何より窓枠にどたぷんと乗せている大きな胸が特徴的な少女が居たのだった。
幼馴染である
その笑顔――と目の保養になる大きなロマンの塊――に癒されつつも、おうと挨拶を返した。
「あのさー、暇だからマンガ貸して欲しくってさ」
「いいけど全部読んだことあるだろ?」
こんなご時世だから千里とマンガの貸し借りは頻繁にしている。
WHOがパンデミックを宣言する前から学校は休みだったため、暇にあかせてマンガを買いあさったのだが、それでも全て読みつくしてしまう程度には時間が余っていた。
「そだけどさ……って、史ちゃんやっほー」
「おわっ」
いつの間にか気配を消した史が俺の背後に佇んでおり、俺の心臓は跳ね上がる。
「こんばんは、千里さん」
……もしかしたらだが、史は少しばかり怒っているかもしれない。
表情こそ笑顔なのだが、何となく纏っている雰囲気が……怖かった。
「あ、あー……と、とりあえず名作を最初っから読むか?」
「うん、そうする。ジャンルは暦が選んでよ」
俺は部屋に引っ込むと、大量のマンガが詰め込まれた本棚とにらめっこを始める。
千里はその外見と同じく男の子的な感性を持っており、比較的俺と好みが似ている。
だから……と思案していると、その間に史と千里が何やら談笑を始めてしまった。
「聞いてよ史ちゃん~。いっつも楽しみにしてたラジオ番組がさ、漫才の放送はもうしませんって言うんだよ」
「え、何でですか?」
「不謹慎だってクレームが入ったんだって。も~さ~……。こんな時だからこそお笑いって重要なのにさ~。クレーマーめぇ~、人の生きがいを奪いやがってぇ~」
やはり同性だからか、ふたりの会話はだいぶ弾んでいる様で、史も先ほどと違って明るい感じで受け答えしている。
なんとなく邪魔をするのも気が退けたので、俺は選考ついでにマンガをぱらぱらとめくりはじめたのだった。
「ほら暦! 千里ちゃん放って何やってんの!」
「おわっ」
耳元で大声を出され、本日2度目の悲鳴をあげた俺は、慌てて読みふけっていたマンガを閉じる。
大声を出した主である母さんは、腕組みをして俺を睨みつけていた。
「ごめん、母さん。つい夢中になってた」
既に内容を覚えるほど読んでいるのにそれでも夢中にさせてしまう魅力があるのはさすが名作と言ったところか。
ふと壁にかかった時計に目をやると、既に父さんと連絡をとる時間である20時になってしまっている。
だから母さんがやって来たのだろう。
「……薬のこともあるから、千里ちゃんにはちょっと、ね」
通信機は電波が遠くまで届く様に史の部屋に設置されているため、隣の家にいる千里にそうそう聞こえることは無いが、万が一ということもある。
もし父親が隔離施設で働いている医者ということを利用して史の薬を調達している事を知られたら……悪事を働いているわけではないので悪いということは無いが、やはり気まずい。
みんなは気軽に医者に診てもらうことなど出来ないのだから。
「暦~。ちょっと、しっかりしてよね~」
窓を隔てた向こうから、千里の間延びした声が飛び込んで来る。
さほど怒っている気配が感じられないのは史と会話を楽しんでいたからだろう。
「悪い悪い。とりあえず続きを読んだら貸すから」
「それ意味ないってば」
そんな風に他愛のないやり取りをしつつマンガを紙袋に詰め込む。
10冊ほど入れたところで紙袋がいっぱいになったため、そのまま窓際にまで持って行った。
「竿よこせ」
「ほい」
突き出された物干し竿の先端に紙袋を引っかけてから竿を掴む。
そのまま俺が持ち上げ、千里が下げることで紙袋はするすると移動していき、千里の手元に到着した。
「続きは読み終わったら貸すから」
「ありがとー」
「千里ちゃん、お礼を言うのはこっちの方よ。このバカ息子と話してくれてありがとうねぇ」
やはり母さんも女である。
話が出来るタイミングは決して逃さないのだ。
「いえいえ、今回は私がお世話になったわけですし」
「そんな事ないわよぉ。千里ちゃんが話しかけてくれないと、この子一生女の子と縁が無いじゃない?」
「おい」
こちらの抗議は軽く無視して母さんはそのまま2、3やり取りを交わし、自然な流れで会話を終えたのだった。
「それじゃあ、お父さんと通信しましょ」
「は~い」
1時間近く喋った後なのにも関わらず、まだまだ元気の残っている史と共に、通信機の下へと急いだのだった。
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