第2話 奪い合い
「おい、押さえてろ!」
「分かってる!」
二人いた、なんてことを考えるよりも先に、後ろから伸びて来た腕が俺の体を拘束する。
薬を奪われるかもしれないという恐怖もそうだが、もう一つ別の恐怖もあった。
こんなに体を密着させてきたコイツは、はたしてルインウィルス感染者ではないのだろうか。
あの、人類を滅亡寸前にまで追い込んでしまった、災厄のウィルスに罹患してしまっていはいないだろうか、というものだ。
ただ、ルインウィルスは空気感染はせず、唾液などの飛沫感染しかしない。
だから俺は即座に息を止めて抵抗を止める。
少しでも口元を隠すバンダナと、目を守るゴーグルがズレることを避けたかったからだ。
「へへっ」
目の前に居た男は俺の腹をまさぐり、目的の物をかっさらっていく。
免疫抑制剤、3シート28錠を握りしめると、そのまま一目散に走り出した。
「じゃあなっ!」
絡みついていた男も、俺の体を地面に打ち捨ててから逃げて行く。
転がった俺は、あちこち痛む体を無視しして即座に立ち上がると、
「泥棒、待てっ!!」
大声をあげて走り出した。
10錠ならば許せても、さすがに根こそぎは許容できない。
妹――史が持っている薬は残り3、4錠だ。手元に残っている2錠を合わせても、次父さんが帰ってくるまでに使い切ってしまうのは目に見えていた。
史はアレルギー性の喘息を患っている。だからなんとしてでも薬が必要なのだ。
俺はせめて少しだけでも取り戻せないかと薬を奪った男の後を追った。
入り組んだ路地を右に左に曲がって俺を振り切ろうとするが、俺にはパンデミックが起きてから物資を求めて走り回ったため自然に鍛えあげられた健脚がある。
いくら殴られたり投げ飛ばされた後だとしても、
連中はいつまで経っても俺を振り切れない事に業を煮やしたか、住宅街から大通りに飛び出す。
広い所に出て、直接こちらに危害を加えて来る腹だろうかと警戒したのだが、大通りに出ても奴らは構わず走り続けた。
その前方数十メートルに、幾人かの男たちが道の真ん中でなにやら作業をしている。
仲間……ではないだろう。
シャベルやつるはし、土を盛った一輪車などが傍にある事から、道路の修理を行っている人たちのようだ。
ならばと俺は協力してもらおう為に、口元へ手を持って行き――。
「風邪薬だぞっ!」
それに先んじて、男が叫びながら労働者たちに向けてなにかを投げつける。
「抗生物質だ!」
更に、もう一つ二つと道になにかをばらまいて行った。
「薬だって!?」
「おい、マジか?」
「寄越せ!」
「あっちにもある!」
労働者たちは工事の道具をその場に放り投げ、道にばらまかれた薬のシートに群がり、奪い合いが始まってしまった。
「くそっ」
労働者たちを迂回すればまだ追えるだろうが、間違いなくその分だけ遅れをとってしまう。
更に、追いついても奴らは二人居るのだ。
こちらが戦力的に不利なのは否めない。
それに……今この場で取り合いをしている労働者たちから少しは取り返せるかもしれないなどと考えが浮かんだら……。
俺の足は、勝手に止まってしまっていた。
膝に手を置いて、大きく息を吸って呼吸を整える。
「それはアイツらに盗まれた物なんだ! 返してくれっ!!」
力の限り叫んでみても、争いは止まらない。
俺の言葉を無視して労働者たちは殴り合いの喧嘩を続ける。
目の前の薬に意識を奪われて、俺の言葉など耳に入らない様だった。
「それは風邪薬じゃないっ! 毒だぞっ!」
「うるせぇっ!」
返事はあったが本当とは思われなかったらしい。
だが、聞いてくれた。
だから俺はもう一度深呼吸をして、
「本当に死ぬぞ! それは免疫抑制剤なんだ!」
出来る限りの大声で叫び、説明を重ねていく。
同じことであろうと、何度も何度も。
それでようやく労働者たちの動きが治まっていく。
盗まれたと正義に訴えかけるより、そうやって猜疑心に訴えかけた方が効果が高いのは、なんとも言えない虚しさがあった。
「でもさっきのヤツは風邪薬だって……」
「じゃあアナタは飲めばいいじゃないですか。その代わりに風邪をこじらせて死ねばいい」
俺の言葉で労働者の
「今、乱闘騒ぎを起こしたせいで……」
ちょんちょんと口元を指さしてやる。
それでようやく彼らは気付いたようだ。
殴り合いの喧嘩なんかしたせいで、彼らのゴーグルが外れ、口元のハンカチが無くなってしまっている事に。
真っ青になった彼らは、慌てて防護用の道具を地面から拾い、装着していく。
だが、そんなのは遅すぎた。
罵倒しながら殴り合い、他人の唾液や汗にまみれている。
ということは……。
「あなた達は今仲良く持っていたウィルスを
抗生物質が生まれるまで、風邪を引くだけで死ぬ可能性もあった。
今は薬が滅多に手に入らないせいで、その時代に逆戻りしてしまっている。
それを全員がよく知っていた。
「返してください。それは俺の物で、あいつ等に盗まれたんです」
「でも……」
まだガタガタ抜かすのか。
せっかく手に入れた薬の魔力に、未練を断ち切れないのだろう。
「いいから返せ! お前たちの顔は全部見て覚えたんだ! 政府に通報するぞ!」
「…………」
こちらが口封じされるとは思わない。
いくら60%も人口が減ったとはいえ、全員ではないのだ。
大通りなんて目につきやすい場所で乱闘騒ぎがあったら、家から確認する人だって必ず居る。
それなのに労働者たちが俺に暴行を加えたり殺人を犯したら、間違いなく通報されるだろう。
そしてその通報は死を意味するのだ。
彼らが道の修理をしているということは、政府が雇い上げているのだから名前や住所などの個人情報は全て管理されている。
政府が今後彼らを雇う事はなくなるし、食料の配給だって止まる。
自分だけでなく、家族にも迷惑がかかってしまう。
そうなれば強盗などの悪質な犯罪に移行することも考えられるが、手に負えない犯罪の場合は容赦なく射殺されるのだ。
労働者たちにとって、あまりにもリスキーすぎた。
「お前のだって証拠がない」
「じゃあそれネコババしろよ。そして風邪の時に飲んで死ぬか、俺の通報で配給を停止された上に仕事を失って飢え死にするか選べ。こっちは薬局に俺が買ったって記録が残ってるんだ」
強く言ってから、俺は未だに薬のシートを握っていたことに気付く。
それを掲げながら、
「……お前たちの持ってる薬と同じだろ? 走って来た俺がこれを握ってるのが証拠だ。アイツらに盗まれたんだ」
最後のつもりで説得をする。
それでようやく彼らも理解したのか、しぶしぶといった感じで薬を手渡そうと近づいて来た。
「待て、薬はそっちの地面に置いてくれ」
直接手渡されるほどの至近距離に他人が近寄るなど、現在の状況では絶対に受け入れられることではない。
俺は薬を一か所に集めさせたあとに取りに行き――。
「マジかよ……」
一気に落胆した。
帰って来たのは1シートの5分の4。つまり8錠だ。
多分ばらまかれた全てが俺の手元に戻って来た。
しかし、労働者たちが奪い合った結果、どれもこれも包装が破れてしまっており、薬としてきちんと安全に服用できる状態にあるのはたった2錠だけだった。
俺は無事だったその2錠を拾い上げると、残りをその場に置いて立ち上がる。
「……それ、どうするんだ?」
薬として使い物にならない事は見れば分かるだろうに、それでもまだ未練があるようだった。
俺はため息をつきつつ彼らを睨みながら怒鳴りつける。
「持って帰って薬の名前を調べろよ。そして俺の言ってることが本当だって理解したら、次から二度とこんな真似するな! 薬がどれだけ貴重か分かってんだろ!? なのに無駄にしやがって……」
ゴーグルで隠された顔がどんな表情をしているのか、俺には分からない。
でも出来るだけ反省してくれればと、そう思ってならなかった。
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