第45話 堀川の本心

 自然体を装って那帆は堀川の横に座るが、全く自然ではない。喫煙所には二人しかいないし、那帆が堀川の横に座るなど今まではなかった事だ。

「どうしたの?」

 堀川はそう言って驚く。那帆は含み笑いをする。

「なにやっているんですか?」

「情報収集。会社の事業をもっと増やそうかなって」

「今のままじゃダメなんですか? 順調そうですけど」

「順調だけど、先を考えないと会社なんてすぐ潰れるから」

 堀川はブログの種類をまた一つ増やそうとしていた。とりあえずそのブログは自分が書こうと考えていた。明盛にはやらせない話だった。

「でも仕事、なんだか暇そうですね。日高さん、よくサボっているし」

「明盛、サボっているの?」

 堀川は那帆に確認する。那帆は口を滑らせたと、渋い顔になる。

「ちゃんとサボっているんだ。明盛には毎日、三十分はサボるように言っているから」

「なんでですか? 仕事ですよ」

「サボっても間に合うぐらいの仕事しかさせていないし、ここはデイケアだから。病気の回復のほうが大事でしょう? サボるというか、休みながら仕事をするのを覚えてほしいんだよね」

「サラリーマンがそんなんでいいんですか?」

「お金がほしいだけで、バリバリ仕事をしたいわけじゃないよ」

 堀川はそんな考えを当たり前のように言う。那帆には新鮮で、よくわからない考えだった。

「私はバリバリ、ピアノを弾いていたいな」

「プロのピアニストって、毎日どれくらい練習するの?」

「うーん、最低でも一日八時間ぐらいかな? でもそれは本当に一流の人だけで、プロになりたい人はもっと弾いていると思います」

 一日八時間というのはあるピアニストの例で、那帆は実はよくわからない。

「やっぱり芸術家は違うね。情熱的だ。そんなに練習するなんて」

「えー、時間があるなら、あるだけ弾きたいですよ」

 那帆は大学生の頃、一日十五時間以上練習した日があった。手が痛くなってやめたが、もっと練習したいぐらいだった。

「やっぱりね。芸術家は活動自体が目的だから、お金が目的の俺達と違う」

「でもテレビとか見ていると、サラリーマンはずっと仕事をするイメージですけど」

「ずっとなんかしないよ。一日八時間以内って、法律で決まっているんだから」

「本当にしないんですか?」

「俺はね、大事なのはお金であって、仕事じゃないと思っている。お金を稼いで、できるだけ健康に生きていきたい、それだけでいいと思っている。よく食べて、ちゃんと眠って。それから友達や彼女とゆっくりお喋りをして、好きなゲームをして、好きな本を読んで。生活が一番なんだよ。お金を短時間で稼げるなら、それでいいと思っている。あまり多すぎるお金は人を不幸にすると思っている」

「なんで多すぎるお金が人を不幸にするんですか?」

「百円のジュースが八十円で買える喜びがわからなくなるからだよ」

 堀川は一応社長をやっているのに、その感覚は主婦だ。

「少ないお金を貯めて、結婚したり、子供に使ったりするほうが、人間は幸せを感じやすくなるんだよ。あんまりお金があると、幸せに鈍感になるんだよ」

 その考えには那帆も共感できる。

「でもやっぱり、そういうのは、短時間で稼げるのは、堀川さんや日高さんみたいに、技術がある人ですよね?」

「那帆ちゃんにもあるじゃん、技術。ピアノがあるじゃん」

「ピアノなんかじゃ、稼げませんよ。プロでデビューしないと」

「今はプロでなくても稼げる時代じゃん」

 手早くスマホを操作して、堀川はある動画サイトを那帆に見せる。

「このサイトぐらい使うだろ?」

「毎日見ていますよ」

 その動画サイトは音楽で溢れている。那帆が知らないわけがない。

「この動画サイト、誰でも動画をアップできて、見てもらう度にお金をもらえるんだ。ここに藩さんの演奏をアップすればいい。まずはクラシックでも、ポップスのアレンジでもいい。でもそれだけなら誰でもできる。その動画に色んな解説をつけるんだ。作曲家の半生とか、潘さんがどんな狙いでその曲を弾いたとか。その動画をツイッターやフェイスブックで拡散して、友達に見てもらって、できれば動画に感想をもらうんだ。そのうちネットで有名になったら、潘さんが作曲した音楽をアップすれば、プロとやっている事は変わらない」

 堀川は熱弁する。確かにはそんな活動もいくらかにはなるだろうと那帆は思うが、そこまでうまくいくとは思えない。

 でも、やはり堀川は事業家なんだなと那帆は思う。

「わかります。でも私、パソコンに疎いですよ。字幕のやり方とかわかりませんよ」

「そんなの明盛でも俺でもできるし、慣れたら潘さんでもできるよ。スマホを操作できるなら、なんとか覚えられると思うよ」

 那帆はまさか堀川に、自分ができる仕事を教えられると思わなかった。

「まぁ、そのために絶対に必要な事があるけど」

 堀川が煙草を一本、吸い終えていた。

「なんですか? 難しいプログラミングとかですか?」

「そんなの全然いらないよ」

 那帆はまったく見当がつかない。

「健康だよ。それと少しの元気。煙草を吸っているのに言う事じゃないけど。あたりまえの事だけど、かなり難しい」

 その答えは当たり前すぎる答えだった。でも今の那帆には難しい。

「だから明盛にも無理はさせないんだよ」

 デイケアでキャバクラ好きの堀川で有名だったが、ちゃんとした事業家でもあった。

「潘さんは今、何も間違っていないよ。病気になったのはしょうがない。だったら治すか、少しでも良くするだけ。いつか潘さんにも、頑張れる時期がまたくるよ。それまで好きなだけ休めばいい」

 よく考えているなと那帆は思った。そして自分の二十年後、堀川のように頑張れるのかなと那帆は思う。

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