第34話 明日のために今日を生きる

 会津を訪れて三日目の日、二人は朝からタクシーでとある復興住宅に向かった。その日と翌日でかつてボランティアをした際に知り合った人達に会ってゆく。

 復興住宅で野崎さんという女性が二人を迎えた。やや年配だが、顔の表情はいつも明るく、快活な人だった。

「お疲れさまです。先生、今回もよろしくお願いします」

 ダイエットなど何も必要がない、細身の体だが、野崎さんはエネルギーに溢れていた。

「先生はやめてくださいよ。前みたいにはるちゃんとふうちゃんがいいです」

 風菜が言う。何度も会ううちに、野崎さんと二人は気さくな関係になっていた。

「そう? もう研修医じゃないから、そんな呼び方だと失礼じゃない?」

「そんな呼び方でいいんです」

 春乃が笑顔で言う。自然な笑顔で、医師の笑顔ではない。

 野崎さんは大きなマンションになっている復興住宅で、代表者、世話役のような役割を勝手に行っている。自分も被災者なのにたくましかった。

 高齢者の多い復興住宅で、体調の優れない者や、少しひきこもりぎみの被災者を野崎さんは把握して、時折話し相手になっていた。だから二人は誰から優先して伺えばいいかを野崎さんから聞けた。今回の旅で二人が会津に滞在できるのは六日間だった。そのうち被災者と会えるのは二日間と少ししかない。時間がない中で気がかりな被災者から伺えるのは、二人にとってはとても助けになる。

 二人はボランティアで被災者の体調を診て、悩み事の相談相手になろうとしていた。

 二人は二手に分かれ、野崎さんが会ってもらいたい被災者を伺っていく。どの被災者も何度も訪問しているので面識があり、二人もアドバイスがしやすかった。

「ちょっと血圧が高いなぁ」

「そうなの? ちゃんとお薬は飲んでいるのにねぇ」

「ちょっと胸の音も聞かせて下さいね」

 春乃は聴診器で胸の音を聞いていく。高血圧に悩む老婆が住む部屋での出来事だった。精神科医だが、内科の簡単な診断なら春乃もできる。

「念のために早めに病院に行ってみてくださいね」

 そんなアドバイスを春乃はする。心配だが、はっきりとした診断結果は下せない。

「はるちゃん、ますます医者らしくなったね」

 一緒に付き添っていた野崎さんがそんな事を言う。

「だって医者ですもん」

 野崎さんと親しくなっていた春乃はそんな言い方をした。

 六年を過ごした会津で春乃は自然体になっていく。会津は春乃の心を落ち着かせた。いい思い出も、嫌な思い出もちゃんとあるのが春乃の会津だった。

「はるちゃん、なんかあった?」

 老婆の部屋を出ると、野崎さんが切り出した。

 春乃は少し迷った。もしあの事を言ったらどうなるのだろうかと。春乃は野崎さんに心配はされたくなかった。でも結局、春乃は野崎さんに聞いてほしくなった。

「担当したわけじゃないのですが、病院の患者で、生きるのを諦めた人が出たんです。カウンセリングぐらいは私もしました。私と同じ齢でした」

 快活な野崎さんの顔が曇る。

「全く予想していませんでした。でも大学時代には何度も聞かされた話でした。なんて言ったらいいのかわかりませんが、精神科医としてまず乗り越えなきゃいけなくて、色々考えたり思ったりしてるんです。でも本当は考えるのはいけないとわかってはるんです」

 春乃はもうわかっている。小原の言う通り、自分は今担当している患者に全力にならないといけないと。春乃が考えないといけないのは、自分の担当患者の事だ。

「愚鈍で不器用だから、時間がかかっているんです」

 マンションの廊下の事で、秋の柔らかな日差しが少し入ってきていた。

「はるちゃんならできるよ。大丈夫、大丈夫」

 根拠もないのに野崎さんは言い切った。ただ何ができるかは言わなかった。

 会津三日目の夜になろうとしていた。その日、最後の被災者に春乃は会う予定だった。もう夕方の五時半で、十一月だと街は暗かった。

 その被災者には風菜も合流して、二人で会う予定だった。

 内村礼香というその被災者は、左腕がない。それは生まれつきのものだった。両親はすでに他界して、まだ結婚もしておらず、一人で復興住宅に住んでいた。二人より年が一つ上で、会津のスナックで働きながら、生計をたてていた。

「おっそーい。約束の五時に遅刻だよ」

 二人が礼香の部屋の玄関を開けると、礼香は怒ったように立っていた。

「おかえりなさい、はる。ひさしぶりだね、ふう。二人ともありがとう」

 礼香は怒ったふりをしただけだった。すぐに笑顔で二人を部屋に招き入れた。

 一応、春乃は礼香の健診をしてみるが、さすがに若い礼香は何もひっかからない。

 健診をした後になってしまったが、二人は部屋にあった仏壇に手を合わせた。礼香の父は震災の前に病気で亡くなり、礼香の母は震災の後に元々悪かった心臓病が悪化して亡くなっていた。

 礼香は片腕で二人にお茶を出す。いつも誰かに手伝ってもらう事を嫌う。

「なんでもできるんだね、礼香さんは」

「なんでもじゃないよ。でも普段は何でもやっている。重い荷物とかは無理だけど、でも福島の人は優しいから、いつも誰かがいてくれるの」

 礼香は福島の浜通り、太平洋が近い地域の出身だった。

「小さい頃から、母はとにかく何でも私に一人でやらせようとしたから。できない事を少しでも減らそうとしてくれたから」

 二人は礼香が淹れたお茶を味わって飲んでいく。

「いいお母さん」

「私は子供の頃からきかなくて、我儘だったから、結婚できないと思われていたのよ。せめて器量は良くしたかったみたい」

 礼香はそう言って笑い飛ばす。

「しみったれた話なんかしたくない。全部初めからわかっていた事だし」

 礼香も野崎さんみたいにたくましい。両親は自分達が先立つのを想像しながら、礼香を育てていた。

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