第33話 大山捨松とあの春

 天守閣の頂上を降りて、二人はまた鶴ヶ城を味わってゆく。

「捨松さんもここにいたんだよね?」

 また資料を見ている途中、風菜が突然言った。

「わからないけど、たぶんいたはず」

 春乃は答える。話は聞いたが、会津戦争の話は全てを覚えきれない。

 明治維新の頃に大山捨松という女性がいた。捨松は会津の女性で、会津戦争の際は鶴ヶ城の中にいたという。会津戦争は戊辰戦争の中の一つだ。その際、鶴ヶ城は大砲で攻撃されていた。そして会津戦争が終わると、捨松は幼い津田梅子らとアメリカに留学していく。そして帰国後には帝国陸軍の大山巌と結婚し、「鹿鳴館の華」と呼ばれる事となる。鹿鳴館は明治時代に諸外国と日本の要人が集まり、ダンスなどをしながら、歴史を作る様々な会話を行った場所だった。

 その美貌と、アメリカで学んだ英会話能力にダンスで、捨松は各国の要人と日本との交渉に関わった。

「すごいよね、鶴ヶ城は。捨松さんや容保公が本当に動き回っていたんだから」

 その事実に風菜の心は踊る。

「しかし捨松さん、旦那に殺されるところだったんだよね?」

「そうそう。大砲で攻撃していたのが大山大将だから。運命ってわからないね」

 大山大将とは大山巌の事だ。大山巌は薩摩の武士で、後に帝国陸軍の幹部になる。西郷隆盛の従兄弟で、隆盛を慕い、隆盛から勉強を教わっていた。会津戦争の後は西南戦争を政府軍として戦い、帝国陸軍では日露戦争を指揮官として戦った人物だった。

「春乃はどう思う? 自分を殺そうとした男と結婚できる?」

「わからないけど、ありえないと思う。でも捨松さんはそうしたんだよね。大山大将と結婚して、信頼して、添い遂げたんだよね」

「戦争なんかなくて、今の普通のカップルだったら、もっと幸せだったのかな?」

「そうかもしれない。でも逆にそれじゃあ駄目だったかも。何もかもわからないから。人も人生も、運命も」

 春乃は言い切った。春乃はもう一度、容保公の肖像の前に行き、夏目を頼むように頭を下げると、鶴ヶ城を後にした。

 それを境に春乃の頭に夏目が浮かぶ回数はぐっと減っていく。

 会津三日目にして二人はやっと旅の目的を果たそうとする。

 会津若松市にはいくつか点在して、比較的真新しい集合住宅が建てられている。それは東日本大震災で被災した人々のための復興支援住宅だった。

 あの春、春乃は二月に国家試験を受け、決まっていた会津日新医科大学の卒業と国家試験の合格を待っていた。皮膚病のせいで北海道に残るか悩んだが、とりあえず二年間は福島に残って、研修医として働く予定だった。皮膚病さえ良くなれば、そのまま福島に残りたかった。

 あの日、あの時から北海道に帰るまでの二年、春乃は戦場で研修医をしていた。

 あの日、世界が変わった福島で、春乃は医師として動くように、会津日新医科大学の精神科医局から命じられた。

 国家試験に合格する前から、春乃は研修先の病院に向かうように言われる。まだ医療行為は何もできかったが、とにかく雑用をこなして動けと言われた。大震災が直撃した福島の、とある太平洋側の病院に春乃は送り込まれた。

 医師免許を取得すると、春乃は本格的に病院で寝泊まりする毎日になった。

 研修医の二年間で指導医から丁寧な指導を受け、自分の医師としての適性を見極める。そんな時間は春乃にはなかった。いつも誰かに怒鳴られながら、命じられた仕事などに食らいついていくしかなかった。病院は病院でもあの時の福島は野戦病院になっていた。

 病院のテレビにはいつも震災の情報や政府の方針が流れていた。

 北の馬鹿が集まる、コンピュータの専科大学の会津新技術大学さえも、放射能の被曝検査のために人々が集まっていた。

 激しく傷ついた福島は、混沌の渦に飲み込まれていた。

 その二年間で春乃は、自分のよく知らない患者、それも病院のカルテにも情報がほとんどないような患者の死亡診断書をいくつも書いた。

 同じく北帝大を卒業した風菜は、札幌で研修医になっていた。春乃には毎日連絡をしたが、返事はほとんどこなかった。

「ちゃんと読んでいるから」

 たまに返事があっても、春乃はその程度の短い返事しかできなかった。 返事をする余裕も気力も春乃にはなかった。

 大学時代から春乃に会うために、観光するために何度も会津を訪れた風菜も、福島のために何かしたかったが、研修医の毎日では募金ぐらいがせいぜいだった。

 研修医一年目の遅く短い夏休み、風菜は一人で会津にボランティアとして訪れた。春乃に夏休みなどあるはずがなかった。だから風菜はずっと一人だった。

 風菜は父に田安と連絡をとってもらい、会津日新医科大学のボランティア部隊に混ぜてもらった。その頃の会津日新医科大学の学生はほぼ全員がボランティアをしていた。春乃と仲が良かった後輩がいて、話は早かった。

 風菜は田安チームという、精神科志望の学生が集まるチームに入った。何かあった時に田安が応援に入るので、田安チームだった。

 ボランティアの場所は避難所や、ようやく作られてきた仮設住宅だった。

 一人だけ医師免許があった風菜は、血圧の測定や風邪などの診断という医療行為ができ、重宝された。札幌出身で精神科医志望、そして女医というのは被災者も心が開きやすかったのかもしれない。被災者達は風菜を受け入れた。まだカウンセリングなどできなかった風菜だが、とにかく熱心に話を聞いた。

 震災二年目の夏も風菜は会津を訪れた。その時は二日だけ春乃が一緒だった。二人で被災者の話相手をして回った。女医がコンビで被災者に近づくと、被災者も安心して話ができるようだった。

 春乃はすっかり変わり、風菜の横でも無言になるようになっていた。二人きりの時にやっと口を開いても、医療現場の事しか言わなかった。

 夕方、二人は会津駅前のホテルにいた。春乃はすでに会津から引っ越していた。

 春乃は疲れて、眠りこけていた。せっかくの休みを会津でのボランティアに費やし、すぐに研修先の宿舎に戻って休めば、また戦場だ。

「体が痛い」

 眠りから起きた春乃はそれに気づき、ホテルのマッサージを利用した。たっぷりと一時間半ほど、春乃は体だけでも労わった。アイドル志望で、学生の頃はダンスをするために習慣にしていたストレッチも、研修医時代にはその時間も気持ちもなくなっていた。

「ごめんね。久しぶりに会ったのに、こんなんで」

 マッサージを終えてから、春乃はまた眠気を覚えた。

「謝らないで。同じ医師なんだから」

 自分をそこで気遣えるようになった春乃を風菜はどう思えばいいかわからなかった。高校時代にファストフード店で、無邪気だった春乃ではなくなっていた。

 研修医の四年を終えて、北海道で専門医になったばかりの年も二人で会津に来ていた。皮膚病が良くならなかった春乃は、北海道に帰るしかなかった。それでも春乃は深すぎる傷を負った福島を心配し続けた。

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