第31話 会津への帰路
その年、二〇一六年の十一月、春乃は福島上空を飛ぶ飛行機の中にいた。
福島県の会津若松市に行くためだった。その旅行を発案したのは風菜からだった。夏目の件で気落ちし、プライベートな連絡をしてこなくなった春乃のスマホに、メッセージを送り続けて、会津に行く事を提案した。
遅すぎる春乃と風菜の夏休みだった。春乃が北海道に戻ってきてから、二人は休みを合わせて、旅行をするようにしていた。ホテルなどの手配は風菜が引き受けた。
風菜は学生の頃から、春乃に会いに何度か会津を訪れていた。札幌とまるで違う会津の街並みを風菜は好んだ。歴史オタクの風菜が、徳川家康の孫である保科正之公が藩主だった会津を気に入るのは必然だった。江戸時代の名残を受け継ぐ会津だけでなく、磐梯山の豊かな自然や、吾妻高原なども風菜のお気に入りになる。
あの震災が起こるまでは、福島は二人の心を安定させる自然に溢れた世界だった。その自然を目当てに、多くの観光客も訪れる幸せな世界だった。
福島空港を春乃は気だるい気分でキャリーケースを引きずり歩く。十八歳の時のような感動はない。ただ春乃はひどい疲労感を味わっていた。
空港から郡山駅までのバスの中でも、春乃は疲労感で無言だった。
風菜はそんな親友が自然に口を開くのを、ただ待った。夏目の件は、春乃以外の医師から風菜に伝えられていた。
会津日新医科大学の田安が郡山駅に二人を迎えに来ていた。
「いつも本当にすみません。准教授に来ていただくなんて」
二人は丁寧にお辞儀をした。
「星はともかく、ふうにそんな言い方されるなんてな。俺はいつもふうの馬なのに」
「またその話ですか? いい加減やめてくださいよ」
幼い時から田安と面識があった風菜は、田安を馬にして、田安の背中に乗って遊んだ事もある。幼い頃はやんちゃなお姫様の風菜だった。風菜は子供の頃から田安に「ふう」と呼ばれ続けていた。
医師を意識しだした小学生時代の風菜は、田安から色々な話を聞き、医師としての心構えをなんとなく作っていった。風菜に精神科の世界を教えたのは、父だけでなかった。
風菜が助手席に座り、春乃は後部座席にぽつんと一人で座った。福島の風景を春乃はじっくりと眺めていく。ちょうど紅葉の頃だった。前の席で二人は仕事の話をするが、春乃はまだ無言で、広大な北海道とは違う景色を眺めていく。
大切な女性二人を会津に送り届けるために、田安は安全運転で走っていく。猪苗代湖が見えてきて、野口英世の生家を通り過ぎる。
途中で車は猪苗代湖の湖畔に止まる。春乃はただそのひたすらに大きく静かな湖を見る。
よく晴れていた。空に浮かぶ雲がのんきなものだった。
会津までくると、とりあえず春乃と風菜は、会津の温泉旅館に向かった。
「ずいぶん変わったな、会津。初めて来てからもう十年以上か」
会津の街を車で走っていく間に、春乃はやっと口を開いた。会津が春乃をそうさせた。
会津と言えばお酒だ。温泉旅館のおいしい料理を味わった二人は、タクシーで会津の繁華街に向かう。二人には行きつけのスナックがある。旅館からは歩くには遠かった。
二人が親しくしているスナックのママは、着物で接客をする、もう年配の会津の女性だ。けれども妙な色気があり、二人はどんな話もママにできた。スナックの予約も風菜が担当した。その時に風菜は夏目の件で、春乃が気落ちしている事を伝えた。
「教えてくれて、ありがとう。風菜さん」
ママは小娘にもきちんと敬称をつける人だ。
二人が店に到着すると、入り口に貸切という張り紙がしてあった。二人は首を傾げる。
店に入ると、店の明かりはいつも通りだったが、ママとすみれという二人と仲の良いスタッフしかいなかった。いつもはママを含めて、五人はいるそれなりの店だった。
「スタッフの子、すみれが虐めて、やめちゃったの」
二人を出迎えたママは、そんなジョークを言った。ママは二人のために店を勝手に貸切にしていた。他のスタッフは有給休暇にしていた。
十一月の会津はそれなりに冷える。でも店の中は暑いぐらいだった。
ママはいきなり春乃を抱きしめた。その力は結構な強さだった。
「よく帰ってきたね、春乃さん。おかえりなさい」
春乃もそれに答える。何も言わずに、ひたすらママを強く抱きしめてみる。
小さな女子会が始まっていく。
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