第26話 始まりの鼓動
堀川が明盛を叱ったと、春乃は関からの報告で聞いた。
その事を診察の時に春乃は堀川に聞いてみた。堀川が日高に対して、何かもっと本音を隠してないか聞くためだった。
「日高さんは正直に言うと、堀川さんの負担じゃないんですか?」
「そりゃあ、負担ですよ。覚えてほしい事はたくさんあるし、ブログじゃなくて、もっと収入になるサイトを作るのを手伝ってほしい。もっと頼みたい事を我慢しているし、今の日高さんのペースじゃあ、正直日高さんの給料ぐらいは稼げるけど、会社の利益が出ない。そうなると資金がきつくなりますからね。経費がかかるので。うちは銀行にお金を借りたりはしたくないので」
春乃の予感は的中していた。
「でもそれで日高さんに苛立っているわけじゃないです。俺も強迫性障害が良くなって、仕事に復帰してから、しばらく思うように仕事ができなかった。でも我慢して使ってくれた人がいた。誰かが我慢強く見守ってくれたから、今があるんですよ。仕事を覚えてもらうには、そういう時期が必要なんです」
「日高さんの事で、堀川さんは心配が増えていませんか?」
「そりゃあ、増えましたよ。いつも不安と戦っています。また一人、人を預かったので。もう簡単に潰せる会社じゃなくなりましたから」
「それは堀川さんの病気に響きませんか?」
「でも今更、誰も日高さんをクビにしろとは言えないでしょう。大丈夫。俺は星先生を信じています。俺が元気なら、とりあえず大丈夫です。それに不安と付き合うのも社長の仕事なんですよ」
明盛を雇うと決めてから、堀川は腹をくくっていた。
「私には不安は隠さないでください。商売の事はわかりませんが」
「はい。星先生やこの病院の先生はちゃんと信頼しています」
堀川は機嫌よく笑っていた。堀川は本心でそう言っていた。
月日はもう七月になった。午後二時、十勝の帯広は三十度を超す暑さになってゆく。勤務が二か月目になった明盛は、デイケアでアイスを食べた後、ソファーで寝ころんだ。時間は午後二時だった。その日の明盛はもうとても仕事ができそうになかった。デイケア棟の空調はそんなに快適でなかった。
堀川が関に連絡をいれていた。明盛に暑いから今日はもう休んでほしいというものだった。ただし給料はちゃんと出すと。
春乃は桑田に用件があり、たまたまデイケア棟を訪れていた。ゆっくりと夏を感じていた、寝ころんだ明盛の穏やかな表情を春乃は見る事ができた。
その七月のある週末の夜、春乃は男とレストランにいた。男の名前は石田と言い、自動車メーカーの販売店で営業をしていた。主に新車の営業をしていた石田は、車にずぼらな春乃に色々と助言していた。石田は食事中に、次の車の整備時期を教えてくる。
帯広に住んでいた春乃の同級生が、二人を引き合わせた。
二人きりで会うのはもう三回目だ。石田といると落ち着く自分を春乃は見つける。
「すごい仲間意識だよね。その三人」
本当はいけないのだが、春乃は明盛の話を石田に話した。もちろん名前は仮名にした。
「同じ病気だと不思議と通じるものができるみたいなんです。二人は特別に仲が良かったわけではないのに、今は一緒に働いているんです」
「人間って、なんかあるよね。自然に引き寄せ合う力が」
「それはありますね。私も今までに何度も、この先生がいたから自分は成長できたんだと、そう思った先生が何人もいます」
福島と札幌での研修、そして苫小牧時代を経て、今の春乃は存在している。
レストランの後、春乃が車で石田を送る約束になっていた。コインパーキングまでの道で二人は歩いていく。石田は少し飲んでいた。春乃は酒があまり強くなく、明日から明後日までは当直がある連続勤務だったので、酒は一滴も飲まなかった。だから春乃が車で石田を送る事になる。
「普通逆だよね。男が女性を送るのが普通なのに」
「私、昔から感覚が変なんです。アイドル好きとか」
「ああ、アイドルね。女性アイドル。最近は多いみたいだね。女性が女性を応援するのは」
アニメも見ない、ヲタクではない石田がなぜかそんな事を知っている。そしてそういう新しい感覚を石田は受け入れる事ができる。
「今度、うちに見に来てください。今週末とかどうですか?」
「ああ、大丈夫だけど、入っていいの」
「ちゃんと着替えを持ってきてくださいね。汚いのは嫌いなので」
春乃は石田をじっと見つめて言う。
「先週、できれば付き合いたいとちゃんと言ってくれましたから」
春乃の心のエンジンは、スポーツカーのように加速する場合がある。
「本当に? ありがとう。よろしくね」
石田は本当に嬉しそうに笑う。
石田が春乃の愛車の助手席に乗る。春乃は車のエンジンをかける。ふと、春乃には石田に話したかった事があった。
「少し聞いてください。今度話すのは辛いので」
春乃は心によぎった、苫小牧でのある出来事を話していく。
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