第25話 人への対価

 堀川はなかなか喫煙室から出てこない。明盛はそこに行くしかない。

「臭いがつくぞ。もう少ししたら行くから」

「いえ、いいです。ここで話したいです」

「後で桑田さんに消臭スプレーをかけてもらえばいいか」

 そう言うと堀川は一本目の煙草を吸い終え、二本目に火をつける。明盛は少し恐怖を感じながらも、堀川の横の椅子に座ってゆく。

「無理なんかするなよ。無理だけはするな。うちで働くなら鉄則が二つある。絶対に無理をしない事だ。それと関先生や他の先生のアドバイスは絶対に聞く事だ。何のためにここにいるのか、少し考えてくれ」

 静かに、ぶっきらぼうに堀川は言う。静かな口調が逆に明盛にインパクトを与える。

「すみませんでした…」

「謝らなくていいさ。気持ちはわかるから」

 堀川はそこで笑顔を作ってみせる。くしゃっとした顔になる笑顔だ。

「どうせ先月の給料を見て、気負ったんだろ?」

「びっくりしました。十一万五千二百円。時給が千八百円計算で振り込まれていました」

「日高さんにはそれだけ必要だと思ったから、振り込んだんだよ。年金でもらっていた六万五千円、就労支援施設でもらっていた三万円、それからこれからまた払う老齢年金の一万五千円を合わせたら、それくらいになるだろ?」

 障害年金をもらえなくなった明盛は、老齢年金を支払う必要があった。

 明盛は貰った給料を多いと思った。信じられない金額だった。それでも手元に残せるお金は、計算してみるとそれほどでもなかった。

「でもそのために時給を千八百円にするって。一日五時間、週四日勤務なのに」

「おかしいか? ゲーム会社でデバックやっていたぐらいの人間なら、それくらいもらってもおかしくないだろ?」

 煙草を吸う堀川の表情が、だんだんと優しいものに戻っていく。

「大事に育てられて、立派に大学を出て、気楽にやってもプログラムが書ける。アニメに関する知識も幅が広い。なにより日高さんは常識人だ。そういう人には時給千八百円を払っても、本当は安いぐらいなんだよ」

 明盛がその日までに書いたプログラムやブログを見て、堀川は明盛の経歴に嘘偽りがなかった事に驚いたぐらいだった。

「最低時給ぐらいしかもらえないんだと思っていたので」

「そんなもん、高校生に払う金額だよ。日高さんくらいの人をそんな金額で使っちゃいけないんだよ。それが俺が自分で会社をやる信念だよ」

 堀川は二本目の煙草を消す。少し遠くを見る目をする。

「それに日高さんがうちの会社を辞めても、うちの会社が潰れても、日高さんはずっと働いて生きていかなきゃいけない。人間は星のように大切なものなんだ。そういう事をわかってない経営者が多すぎる。俺は一時的に日高さんを預かっているだけ。くだらない理念ばかり語ったり、とにかく追い詰めれば、人は動くなんて思っている経営者が俺は死ぬほど嫌いだ。そういう人間はまず他人と働く資格がない」

 遠くを見ていた堀川の目に、一瞬鬼が宿る。

「俺も三輪も何年か前までは本当に金がなかった。三輪なんかサラ金に借金していたんだよ。日高さんにはそんな思いしてほしくないんだ。大丈夫、今は会社に金はあるから」

 借金という言葉が明盛に重く響く。

「日高さんの実力はすごいんだよ。日高さんはとにかく自分の実力を守ってほしい。それをうまく生かして、お金に代えられるようにするのが俺の仕事。今のペースで、日高さんが会社に利益をもたらすように頑張るのは俺の役目だから」

 堀川のような考えを明盛は今まで聞いた事がなかった。

「でも、また言うけど、いつか日高さんの給料を払えなくなるかもしれない。どうなるかはわからない。何にしてもさ、これから日高さんは少しでも働いて稼がないといけない。だったら体調には気をつけないと。うちの会社は体調最優先だからさ。うちの会社がなくなった時に、その時働くために今は甘えていいんだよ」

 いつもいい加減で、適当に物事を進めているように見える堀川だが、本当によく考えて結論を出していた。

「でもね、まじで今度関先生に逆らったって聞いたら、即刻クビだから」

 そう言って堀川は明盛の横腹をつついた。

 明盛に一つ疑問が残った。

「堀川さんは理念とか嫌いなんですか?」

「あんまりね。昔の農家さんは理念なんかなくても、朝から晩まで働いた。余計な考えは人間を不自由にするだけだよ」

「本当に何もないんですか?」

 明盛は大学生の時の就活で、理念の必要性を何度も聞いた。

「じゃあ今決めた。天地人でいいや。昔流行したやつ。天の時、地の利、人の和。かっこういいし、もう流行ってないし」

 またいい加減な感じで堀川は言う。だが明盛はもうわかる。堀川はずっと前からその天地人を学び、天地人を頼りに仕事をしてきたと。

 二人は喫煙室から出る。明盛は桑田に消臭スプレーをかけてもらう。

「ところでどうして事務所にいたら駄目なんですか?」

「あれ? まだわからないの? サボって、ゆっくり昼寝ができないじゃん。俺が仕事している横で日高さん、寝れる? 時々サボりなよ。仕事なんて」

 あっけらかんと堀川は言う。堀川は本当に明盛に、昼寝をするぐらいになってほしいと願っていた。

 二人はデイケアの帰りのミーティングに参加してから、帯広の名物である温泉のスーパー銭湯に向かう。男の付き合いと、体調のためだった。


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