第24話 激怒
その日も十勝はいい天気で、まさに陽気だった。気温はぐんぐん上がっていき、空気はぽかぽかになる。陽気は眠気を誘う。食事の後は特にそうだ。デイケアの昼食時間が終った頃、明盛は他の患者とたわいもない会話をしながら、強い眠気を感じていた。
午前中、明盛はプログラミングの勉強をした。そうしながら昨日の疲れが残っているのを感じていた。だがプログラミングは集中すれば、楽にこなせた。
午後一時、デイケアの午後のプログラムが始まる。その日の午後、デイケアのプログラムは体調の良い患者が店員になって、喫茶を行うというものだ。デイケア棟にはなかなか本格的な、喫茶店にあるようなカウンターが作られている。
喫茶の様子を気にしながら、明盛は午後からブログを書く作業を始める。
ブログでは一回の記事で、原稿用紙で三枚ほどの文章を書くのが理想だ。これまで文章など大して書いてこなかった明盛は、その作業はなかなか難しかった。どういう流れで書くのがいいか掴めないし、適切な表現がすぐに書けない。
堀川がたまにデイケアに顔を出し、明盛の横で仕事をする事がある。堀川はぼんやりとしたり、誰とか雑談した後でも、すぐに書くモードになって書ける。
「書かない時に書くんだよ。書いてない時に色んなものを感じて、色々と考えておく。そうして書く時は直感でいい。思いついたものを、なんとなく書けばいいさ」
堀川は明盛にそうアドバイスしたが、明盛にはほぼ伝わらなかった。堀川は笑い、読める文章ならなんでもいいと言い直した。
初夏が近い春は天国にいるような、気持ちのいい暖かさになる。
デイケアの患者の何人かは、和室で横になって静かに眠っていた。
午後一時半になっていた。明盛は必死にパソコンに向かい、その日のテーマの文章を書いていた。しかし頭が強い眠気でほとんど働かず、文章を書くスピードはいつもより格段に遅かった。
ついうとっと、明盛は無意識の世界に入ってしまう。喫茶で買ったコーヒーも、何の役にも立たない。
「日高さん、休んだら? 辛そうだよ」
必死に眠気を堪える明盛を、デイケアの作業療法士である関が見つける。
関は五十五歳の作業療法士で、精神科リハビリチームの中心を担っている。若い頃から物腰は柔らかく、紳士的な態度が素敵だ。その紳士さはなぜか勇気をもらえるようなものである。なにより長い経験で、患者を見る目が優しい。
心配そうに関は明盛に尋ねる。
「休んだほうがいいよ。堀川さんも疲れた時は休むよう言っているよ」
「いえ、いいです。今寝たら、しばらく起きそうにないんで」
「いや、でもさっきからすごく眠そうだよ。というか半分寝てなかった?」
「すみません…」
「僕に謝らなくていいし、堀川さんも怒らないんじゃないかな? 日高さんが仕事に慣れてなくて、疲れやすいのを理解しているから」
堀川は関に頼み事をしていた。それは明盛が無理をしようとしたら、絶対に止めるようにという事だった。明盛の性格を見抜いた堀川は、明盛が無理をするタイプだと思っていた。
「堀川さん、言っていたよ。日高さんに任せた仕事は、間に合わなくてもどうにでもなるって。無理する必要なんかないんじゃないの?」
「それはそうなんですが、いつまでも甘えてられないので」
「日高さん。無理しちゃ駄目だよ」
だが明盛は首を縦にふらない。関の目に明盛は明らかに疲れて見える。
明盛に意外に強情な面があると関は初めて知る。
関は明盛を説得するのを諦め、スタッフの事務室に引っ込む。明盛は明らかに眠そうなまま、ブログに向かっていく。明盛と関のやり取りを見ていた他の患者らが、無理に仕事を続けようとする明盛を心配そうに見つめる。
堀川の携帯電話に、関は電話をかけていく。
三十分ほどして、堀川がデイケアに現れた。多少、苛ついていた。ちょうど二時を過ぎた頃だった。
「日高さん、今日はもう仕事は止めて休んで。残りの一時間の給料は、来月の給料から引くから、もう仕事をしても駄目だよ」
堀川は口調を柔らかくし、笑顔を見せていたが、話の内容は厳しかった。
いや堀川は激怒していた。明盛に一言告げただけで、デイケアの喫煙室に引っ込んでしまった。煙草が嫌いな明盛には、なかなか近づきたくない場所だった。
給料を払わないとまで言われた明盛は、手を止めるしかなかった。
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