第17話 母の思い
気づけば明盛は、また休みなく経済問題と戦っていた。確かに六万五千円は痛すぎる。毎月、父が残した貯蓄を六万五千円も減らすのは明盛にはあまりに忍びなかった。
そうして明盛はずっとその悩みを考えてしまう。すると明盛の脳は疲弊していく。
それでも休まない、休もうとしないのが明盛の悪いところだ。
「母さんから家計簿を借りないと」
明盛は週明けの月曜日にケースワーカーの鈴原と、何か節約できるものはないか相談する事になっていた。
明盛は自分の部屋から、リビングの母のところに行く。
母は家計簿を他人に見せるのをひどく嫌がった。当然と言えば、当然だった。家計簿なんていうプライベートなものは見せたくないという気持ちを、明盛はわかりきっていた。
「気持ちはわかるけど、そんな事を言っている場合じゃないだろ?」
「気持ちがわかるなら、馬鹿な事は言わないで」
「じゃあ六万五千円もどうするの? 来月から一気に減るんだよ」
「私がなんとかするから」
「なんとかって?」
明盛は年老いた母にあまり強く言えない。
「仕事を探してみるから。内職とか、探してみる」
「内職って…」
なかなか話にならない。病気がちの年老いた母がそんなに稼げると明盛は思えない。
「そんなに見せたくないって、何があるの? 無駄遣いしているわけじゃないだろ?」
つい母を責めるような言葉を明盛は言ってしまう。明盛の母はうつむく。
「母さんを責めたりしないから見せてよ」
最終的に明盛の母が折れた。
月曜日、明盛は鈴原と家計簿を見つめていた。
「日高さんの家はうまく節約しているんですね」
鈴原は家計簿を見て、褒めるようにうんうんと頷いた。裏を返せば、本当にぎりぎりの収入で生活している。
「ただここですね。保険のお金ですね」
鈴原が指摘したのは車の任意保険の料金だ。それが明らかに高く払っていた。
「それ、母が死んだ時の生命保険も入っているです。父のがんが見つかった後に、母が入っていたんです」
もう何年も入っていた。掛け捨てで、解約すれば、せっかくのお金が無駄になる。
解約すれば毎月二万円は浮くが、明盛の母にその気はない。
(ため息がでるな…)
そんなふうに鈴原は思う。
仕事が満足にできない息子が、自分が死んだ後に困らないようにと積み立てたものだ。鈴原がどうこう言える事ではない。
明盛はパチンコをするわけでも、煙草をするわけでもない。酒はたまに自宅で飲むが、それも月に三千円もかからない。
鈴原は一応、食料品や光熱費に気を使えば、五千円ほどは節約できるとアドバイスする。だがそれは寂しい話で、鈴原には明盛やその母から、ささやかな楽しみさえも奪う行為のように思える。
明盛と鈴原の相談で、いい答えは出なかった。
明盛がいよいよ経済問題に問題について鈴原と悩んでいた頃、堀川が春乃の診察を受けていた。
昔はぼさぼさの髪とだらしない格好をしていたという堀川だが、春乃が担当してきた間ではそんな姿はなかった。むしろこれからデートでもするかのように、バッチリ整えた格好で診察に訪れていた。
堀川が経済的に安定しているのは本当のようだった。
堀川の病状は安定していた。よく食べ、よく眠れ、特に強い不安もなかった。春乃が一つ言ったのは、食べ過ぎに注意が必要で、体型に気をつけてほしいぐらいだった。
それよりも春乃は、堀川が明盛に話した事を切り出した。
「日高さんにネットの仕事を紹介したそうですね。アフ…」
春乃はどうも、コンピュータに関する単語を覚えるのが苦手だ。
「アフィリエイトですね。そこまで具体的には話していませんが。やっぱり堀川さん、自分の力で気づいたんですね」
明盛の知識なら具体的な事を言わなくても、なんとなく気づけるだろうと堀川は考えて、明盛に話をしていた。
「堀川さんのお仕事を、日高さんは手伝えそうなんですか?」
「んー、まぁ、日高さんの知識なら、十分に活躍できると思います。それに別に私と一緒に働かなくても、一人でもできる仕事です」
明盛の知識やスキルなら、独力でできる仕事だった。ただやはりコツというか、ノウハウは知ったほうがいいのだが、それを堀川は隠すつもりもなかった。
しかし堀川は瞬時に何かを悟った。忘れている事があった。
「でも、やはり継続して何か月か頑張らないといけませんね。今月から始めて、来月にいくらか稼げるわけでもないんです。日高さんは休みたい日もあるだろうから、できれば誰かと会社のようにやったほうが負担は少なくなると思います。
「その会社というのは、堀川さんの会社ではダメなんですか?」
「日高さんが良いのなら、私の会社でもいいです。事業を拡大したいので、少しでも手伝ってもらえる人は歓迎なんです」
そこで春乃の表情は緩んだ。しかし堀川の表情は固かった。一緒に働くとしても、明盛の体調に関する問題は簡単ではないと気づいたからだった。
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