第13話 精神科の父
抑うつがなくなり、強迫観念が徐々に減っているのに、明盛は仕事や親、それにうっすらとした結婚願望といった様々な不安を抱えて、それを一人で処理できないでいる。カウンセリングはそのためだった。
明盛の回復に必要なのは、そういったストレスへのケアを覚える事だ。様々な不安を自分で解消する手段を持つ事が、明盛の真の回復だった。
「あー、もう時間になったねぇ」
急に堀川は和室のほうを見た。和室から関と一緒に、映画を見終わった患者達が出てきた。
「帰りの集会を始めますよー」
明るく大きな声で林がそう言い、デイケアの患者を集め始めた。
「とりあえず来週、もう一回話そう。戸板先生に聞けば、俺が何をやっているか、なんとなくわかるから。知りたかったら聞くといいよ」
明盛と堀川の会話はそこまでだった。帰りの集会が始まると、二人は会話ができなくなる。明盛はこの後、カウンセリングの時間だ。
春乃がカウンセラーの戸板に院内電話をかけていた。
「日高さん、結構節約の話をしているから、見直してもどうにかなりますかねぇ」
「そうですか…」
「星先生の判断は良かったと思いますが、日高さんは堅実なんですよ」
二人が話していたのは明盛の経済問題への不安についてだった。戸板も車やインターネットをやめるのは良くないと思ったが、明盛が追い詰められているのもよくわかっている。
「とにかく日高さんの状況をもう一度よく聞いてみます」
明盛は帰郷してから、もう十年以上、戸板のカウンセリングを受けている。
「よろしくお願いします」
春乃は電話でそう伝えた。自分がじっくり明盛の話を聞けないのがもどかしい。
戸板は春乃の話を聞いて、少し考え始める。明盛はかなり回復してきたのにカウンセリングをやめようとしない。まだ物事を楽に考える術が身についてなかったので、戸板としてはカウンセリングする意義は十分にあった。
それに父をガンで亡くしてから、頼れる存在が明盛にはなかなかいない。老いた母に病気の愚痴を明盛はこぼせない。
明盛は戸板を父親代わりにしているのかもしれない。あまりいい事ではないが、そこをうまく扱うのが熟練のカウンセラーである戸板の技量の見せどころだった。
午後三時、明盛は心理室の扉を開く。
にこやかな顔で戸板は明盛を迎える。背がやや低い戸板が明盛に丁寧にお辞儀をする。戸板は真っ直ぐな髪が白く、それを程よく刈っている。丸い顔に、肥満ではないが、少し体型が丸い。温和な雰囲気は話しやすいタイプで、カウンセラーにぴったりな感じだ。
還暦が近い、ベテランのカウンセラーだがらこそ、戸板の態度に油断はない。
戸板は一つ置かれたテーブル前の、患者用の椅子に明盛を促す。
窓から明るい光が入ってくる。
「この一か月間はどうでしたか?」
春乃から軽く聞かされていたが、戸板も明盛の今の状況を確認しようとする。
明盛の話は春乃に話したものと同じだった。障害年金の打ち切りの不安が、明盛の中で渦巻いている。
「車とインターネットをやめるんですか?」
戸板はそれもしっかりと確認する。明盛の考えは先程の診察から変わっていない。
「病院や就労支援施設へはどうするんですか?」
「病院へはバスで来ようと思っています。駅で乗り換えないといけませんが」
明盛の自宅は帯広の隣町だ。バスの乗り換えはやや不便である。
「就労支援施設へは?」
「就労支援施設は警察署の近くなので、乗り換えなしで行けます」
乗り換えがないなら、まぁいいだろうと戸板は思った。週二回の通院は負担になるかもしれないが、それでもそこまで難しい話ではない。
ただ、それでもだ。
「戸板さん、お母さんの通院に付き添っていませんでした? 買い物とかも」
「はい、付き添っています」
「お母さんの通院は月何回ぐらいでしたっけ?」
「今は四回ほどです」
「買い物は毎日ですか?」
「毎日ではないですが、結構多いと思います。足腰が弱ってきて、運動が無理なので、スーパーで歩くのが一番いいと思うので」
「家からスーパーまでは遠くありませんか?」
「遠いです。坂道もありますから、夏も冬も母には辛くなるとは思っています」
「お母さんは車がなくなってもいいと言っているんですか?」
「そういう事が我慢できる世代なので、弱音を吐かないようにしているんだと思います」
だんだんと明盛の考えの問題が現れてくる。
「失礼ですが、お母さんはおいくつになられました?」
「今年で七十四になります」
そこまで話して、明盛は気づく。これから母にはもっと車が必要になると。
「インターネットはなくなっても、スマホで代用できるけど、車をやめるのはなかなか難しいかもしれませんね。節約を考えるのはいい考えですけど」
戸板は明盛の考えを、できるだけ否定のない言葉を探して整える。
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