第8話 日高明盛

 外来の診察が始まっていく。三十分間に三人の患者の予約が入っている。午後一時まで予約はびっしりだ。患者の数だけ病状はある。快方に向かっている患者もいれば、薬が思うように効いていなかったり、副作用や薬が悪いほうに効いている場合もある。見過ごしなど許されないのだが、カルテへの記入や薬のオーダー、その他の様々な仕事が春乃に舞い込んでくる。患者をゆっくり診察をしたい気持ちはあっても、なかなかその時間はない。薬がうまく効いていたり、快方に向かっている患者にはどうしても診察が短くなる。難しい患者の時は、医学書を開いて確認する場合もあり、時間がどうしても必要になる。

 その日はそれでも順調に診察ができる日だった。ひどい日はいきなり新規の患者が飛び込んできたり、さらにひどい日は救急車で急患がくる。

 その日の診察は順調にこなせた春乃だったが、病状が何かの原因で悪化した患者もいれば、診察をしても病状がうまく掴めない患者もいた。その度に薬を変えたり、調節するのだが、この治療で大丈夫なのかと春乃は不安にかられたりもする。薬が合わずに副作用に苦しんだ話を聞くと、心は苦しくなる。

 仕事は診察だけでもかなりハードだった。それでも春乃は落ち込みそうになった時に、会津を思い出す。会津で生きた自分は、患者から逃げてはいけないという気分に戻れる。閉鎖病棟に長く入院している患者と同じように、もはや春乃も精神科の世界から出られそうにない。

 午後一時、診察の患者が外来のホールから減ってきた頃、春乃はデイケアに通っている日高(ひだか)という患者を看護師に電話で呼んでもらう。デイケアに通っている患者は、診察が空いている時間に診察する事が多い。

 日高明盛(ひだかあきもり)、三十八歳。強迫性障害と抑うつ状態を患っていた。

 初診の病院は札幌。帯広出身で室蘭の大学で電子工学を学び、大学を卒業後は札幌のゲーム制作会社に就職。二十五歳で強迫性障害を発症。会社では主に完成間近のゲームのテストと、バグの修正を行っていたのだが、強迫性障害が発症した事により、業務が遂行できなくなる。元々潔癖症のところがあり、男性だが入浴の時間が子供の頃から長かった。

 会社に配置転換を求めたが、会社は日高をテストのリーダー役にしてから、深刻なバグがまるでなくなった事から配置転換を渋る。日高は一年をその状況のままで過ごしたが、強迫性障害の発症一年後、今度は抑うつ状態となる。食事がほとんどできず、ひどい不眠にも悩まされるようになる。

 二十六歳の時に帯広に帰郷。実家に戻る。

 日高の父は農業用の機械に関する会社で営業をやっていた。母は若い頃からスーパーで働き、レジ打ちから倉庫の在庫管理までこなせる貴重な人物だった。

 まるで接点がないような二人が出会ったのは、共通の友人夫妻の、自宅でのバーベキューに呼ばれた事がきっかけだった。友人夫妻は農業を営んでいて、農業関係者が結構集まっていた。そこにはカップルや結婚した夫婦が多かった。

 日高の父が二十五歳、母が三十歳の出会いだった。最初はお互いを意識もせずに他のメンバーと話していたが、友人夫妻に促されて、会話をするようになる。

 営業をしているだけに日高の父が話をリードした。最初に強く関係を意識したのは日高の母のほうだった。しかし五歳も年上だけに相手にされないと思った。

 十勝名物の花火大会が近い季節で、その話題になった。

「花火大会、見に行くんですか?」

 日高の父が母に切り出した。

「行きたいですけど、三十歳で一人は寂しくて」

 日高の母は素直な気持ちを話した。

 日高の父は出会って、すぐにデートに誘うようなタイプではなかった。

「二人で行ってくれば? どうせ暇でしょ」

 共通の友人の妻が強く言った。促されて二人はデートをしてみた。

 デートでも日高の父はやはりトークがうまかった。しかしそれがその頃はなかなか仕事の結果に結びつかなかった。営業だけが業務ではなかったが、他の業務でもなかなか成長できずにいた。その悩みを日高の父は素直に話してみた。

「考えすぎじゃないかな? いい物を必要な人に売る。商売って、そんな感じでいいと思うよ」

 日高の母はアドバイスは日高の父によくしみた。

 日高の母はなかなか結婚できないのに焦りまくっていた。気づけば素直にその悩みを日高の父に打ち明けていた。明日にでも結婚したいと。

 日高の父は笑い、初めてのデートなのに正直すぎると言った。

 それからデートを何回も重ね、一年後に二人は結婚していた。

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