第5話 訳ありだった公国の花嫁と最強と呼ばれた将軍様

 

 薄暗い独房。

 屋敷で着ていた華やかな服とは一変して簡素な薄い服に着替えさせられた。とはいえ、機能性的には問題なく、独房も清潔にされているので不快感は少ない。

 トトリカが幼少期を過ごした豚小屋のような場所に比べたら随分とマシな場所だった。


 取り調べは一日に数時間後程度。

 ひたすらに黙り込んでいるせいか尋問官もお手上げ状態で困り果てていた。

 公国であればとっくに首と胴体がおさらばしているが、ガルベルト王国はのんびりとしている様子。


 ーーさっさと殺してくれればいいのに。


 ぼーっと独房の壁を眺めてトトリカは、元奴隷の少女は訓練時代を思い出す。


 昨日同じ飯を食べた仲間が次の日のターゲット。

 戸籍も家族もいない自分達は透明人間で、世の中には存在しない。

 名前は与えられず、やってきた時の番号で呼ばれる。

 訓練の様子を見に来た連中から抱かれる子はまだマシ。

 ロクデナシともなれば暇潰しに拷問され、壊されて死ぬ。


 十三番も一度壊されかけた。運良く生き残れたが、未だに命令に逆らえないのはココロの深い場所に恐怖が植え付けられているから。


 あの頃は死にたくなくて、生きてる事が幸せだった。

 今は生きている事が苦痛で、死ぬ事で解放される。


 自分から死ぬ事は許されない。処刑される事で既成事実を作り、公国が大義名分を得なくてはならない。

 公国の中で戦争の再開を望むのは少数派だが、少女からすれば逆らえぬ絶対的存在だ。


 自分はなんとちっぽけな存在なのかを再認識していると、コツコツと足音が近づいて来た。


「おい、今からお前を護送する。騒ぐな」


 独房の警備をしている若い騎士がそう言って牢の扉を開けて中に入ってきた。

 ここ最近はよく顔を合わせ騎士だった。

 騎士は頭陀袋をトトリカの頭に被せると、足枷の、壁に繋がれていた部分を外して、手枷の鎖を引っ張った。

 独房を出てしばらく歩かされると、今度は別の場所に押し込まれた。

 獣臭と鳴き声から察するに近くに馬がいる。ならば自分が入れられた場所は馬車の荷台に設置された檻だろう。


 檻の上から布を被せ、少女を乗せた場所は目的地へと移動した。


 ーーおそらく処刑場だ。これでやっと死ねる。


 運ばれる時と逆の手順で檻から出され、視界を塞いでいた袋まで取り払われる。

 暗闇から明るい場所へと移動したせいで眩しさを感じながらも目を開くと、そこは闘技場だった。


 殺害に失敗した将軍、ディル・マックイーンとトトリカ・ファームオルが二人して観戦に来ていた王都の闘技場。そのフィールドのど真ん中だ。


「なんで……」


 罪人の処刑といえば大衆の娯楽。

 見物人の多いしい街中の広場や、人を集めた闘技場などで行われるはずだ。

 でも、この場の観客席は人がいない。処刑台もない。


「なんであなたがいるのですかディル様!」

「少し痩せたみたいだけど元気そうだな」


 いつもと変わらない笑みで彼は笑う。


「彼女の拘束を」

「わかりました将軍殿!」


 鎖を握っていた騎士がテキパキと手枷を、足枷を外してトトリカは自由の身になる。

 益々、意味不明だ。


「トトリカ。前に君に話した事があったな。この国にはちょっと変わった風習があると。今回は無理言ってそれを適用してもらったんだ」

「……正気なんだな将軍」


 二人の間に割って入ってきたのは長身の少年。

 この国で知らぬ者はいない王家の跡取り、ジーク・ガルベルトがそこに居た。


「罪人、トトリカ・ファームオル。貴様に朗報だ。今からこのディル・マックイーン将軍と決闘をせよ。勝てば貴様を無罪放免にしてやる。このガルベルトの名に於いて」


 王家の名を出した。

 つまり国的に正式に保証すると言っているようなものである。


「何の意味があるっていうのですか?さっさとわたしを処刑して下さい。将軍暗殺をしようとした人間なんて即刻処刑でしょう。こんなの意味が無い」

「口答えするな。貴様を処刑すれば公国が決起するのは想定済みだ。……それでも構わんがな。ただそれでは騙され続けた将軍の溜飲が下がらないだろう。死ぬならこの男の手で殺されるのが貴様にとっても本望だろう」


 そう言ってジークは騎士から受け取った剣をトトリカに投げつけた。

 人間、咄嗟の反応は本能的に行われるもので、トトリカはそれをキャッチした。

 鞘から抜くと、よく手入れのされた短剣だった。それも暗殺によく使われるような彼女の手によく馴染みそうな物だ。


「構えろ」


 王子がそう言うと、ディルは無言で腰の剣帯から獲物を抜いた。


「デュエルスタート!」


 決闘開始の合図があった。

 公国の犬であるトトリカの判断は早い。

 理解出来ないうちに将軍暗殺のチャンスがもう一度回ってきたのだ。任務を達成しなくては。


「来い!」


 不意打ちや毒物を使った暗殺が本来のスタイル。

 しかし、それが防がれたり破られた時の為の戦闘訓練も受けている。

 独房内での食事や尋問の扱いも酷くなかったおかげで実力は十分に発揮される。


「やぁ!」


 素早く飛びかかる。

 そしてぶつかり合う鉄と鉄。

 体重の軽い暗殺者は弾き飛ばされるが、そこからの復帰が速い。


「これほどまでか」


 狙いを定めにくくするために腰を低くしてジグザグに動く。

 息もつかせぬ連続攻撃こそが彼女の戦い方。

 再び弾かれるが、またすぐゴムのように返ってくる。


「っし!!」


 ちょこまかと這うように。

 ずっとそうやって生きてきた。


「やはり私は武人でしかないな。剣を交える事でしか君の心が解らないとは」

「知ったような口を開くな!」


 一段ギアが上がる。


「わたしは十三番。公国の牙として一から作られた兵士だ。そんな者を相手に決闘など気でも狂ったか!?」


 王子を守るように立っていた若い騎士の顔が青くなる。

 正面からの戦いなら自分が簡単に負けてしまうのを察したのだろう。それ程、磨かれた牙は鋭かった。


「公国の暗部か。前にも戦った事はあるが、君のような少女までいるとはな」

「舐めるな。わたしのような人間は大勢いる。皆、奴隷以下の生活を送ってきた。生にすがって生きてきた。任務のために育てられた!」


 何度も。

 何度も。

 何度も。


 打ち合って斬りかかって、体勢を崩させる。


「お前に初めて抱かれた日、わたしはそのずっと前から男衆に抱かれて色を教えられた。生娘を演じられるように何度も何度も」


 短剣の先に殺意を集中させて。


「毒物を混ぜて違和感を感じさせないように料理を仕込まれた。失敗すれば身をもって毒の味を体感させられた。昨日までの仲間と殺し合いをさせられた。任務に私情を持ち込まないように」


 それでも死にたくなかった。

 惨めに泣いて、組織の人間に縋り付いた。


『助けてください。何でもするから助けて…嫌だよ。死にたくないよぉ』


 泥の味を知っているか?

 死んだ目の連中に囲まれた事はあるか?

 商品として裸のまま店先に並べられた事あるか?

 死体の横で日々を過ごした経験は?


「わたしは十三番。暗殺者だ」


 最初から生きている世界が違ったのだ。

 甘い言葉も、優しい気遣いも。

 そんなものはほんのひと時の幻。


「この剣でお前を殺す!!」


 だから、憎しみのままに動く瞳から溢れる涙は何かの異常だ。

 この身は殺人マシーンでなくてはならない。


「ーー泣かないでくれトトリカ。君の泣き顔を私は見たくない」

「はぁあああ!!」


 吠える。

 待ち構える将軍の目尻は下がり、悲しそうな顔をする。

 ただそれだけで剣の狙いがブレる。


「どうしてわたしを殺さない。お前の、最強とまで謳われる腕なら最初の一撃でわたしを殺せるだろう!」


 かつて見た。

 この会場で、人生全てを暗殺に捧げる蠱毒の壺で育てられた牙を軽々と超える戦士たちの戦いを。

 戦っても勝ち目が無いと悟った。

 そんな場所で出禁になるレベルのデタラメな強さ。それを持ちながらこの男はただ受けに徹する。


「本当の君を知りたかった」

「この殺意こそ。お前を殺そうとする姿こそが本来のわたしだ」

「違う。本当の、の君は慈愛ある優しい人だ」

「知ったような口を開くな!」


『ごめんね十二番。せめて一番痛く無いように殺してあげる』


『この毒なら即効性が強くてすぐ死ぬ。苦しまずに』


『将軍を殺す時には毒を使う。気づかれた時にはナイフで首を斬る。すぐに終わらせる』


 そんな事は無い。

 少女はずっと手を汚してきたし、汚すために腕を磨いた。


「だったらどうして寝ている君は私の手を離さなかった?寝込みを襲えば簡単に殺せた筈だ。ジーク王子やシャイナ嬢の目の前で毒を盛ったのは?気付かれる可能性は高くなるのに。……ピアノの練習をしていたのは何故なんだ?暗殺にはなんの関係も無いのに」


 だから、そんな風に問いかけるな。

 自分を殺そうとした罪人として斬り捨てろ。


「君の本音が聞きたい」


 見つめないで。

 その目は、

 その声は、

 その優しさは、


 ーーわたしなんかには勿体無いから。


「ディル様はズルい人です。警戒心が強いのにたまに無防備に寝たり、わたしの為にサプライズでプレゼントを買って来たり、そのくせに好きじゃない決闘を見に連れて行って帰りに美味しいお店に連れて行ったり、愛おしげに撫でてくれるのに好きって言ってくれないし」

「……それはその、すまない」

「謝らないで下さい。一番ズルいのはわたしが怪しいって分かっていたのに花嫁にした事です。結果はどうあれバツイチになるんですよ?これから先はどうするつもりですか?マックイーン家を終わらせるつもりなのですか?」

「ーーバツイチになるつもりも別れるつもりもない」




「私が勝ったら君は死ぬまで私の隣にいろ」




 初めてディルは攻撃の構えを取った。

 凄まじい闘気が溢れ出る。

 足が竦むレベルの威圧。


 それなのに、不思議と怖くなかった。


「君を愛しているよ。君と一緒の日々は幸せだった。だからこれからも君と一緒に居たい」

「わたしもお慕いしています。でも、わたしは公国の暗殺者であなたはその標的」

「誓おう。公国の手から何がなんでも君を守り抜くと」


 《マックイーン流剣術【豪剣ごうけん】》

 《ブリテニア流暗殺術【彼岸花ひがんばな】》


 鍛え上げられた最強の奥義を迎え撃つ。


 全身全霊をかけて、拮抗させる。


 そして、一瞬の間を置いて短剣は粉砕される。


「勝者、ディル・マックイーン……全く、見せつけてくれるな」












 目が覚めた時は見慣れた天井だった。


「ディル様。痛いから手を離して下さい」

「断る。君から離れないし、一人にしたくない」

「お仕事もあるでしょう?」

「騎士団長を代理にしてきた」


 今頃書類の山に忙殺されている友人の恨み節が炸裂しているだろう。

 そしてその八つ当たりをされる騎士達が哀れだ。


「わたしの処遇はどうなるのですか?」

「んー、特に変わり無しだ。あるとしたら名前が正式にトトリカ・マックイーンになるくらいだ」

「暗殺以外にも情報を公国に流していましたよ?」

「心配無い。君に握らせた情報はほぼガセだ。そろそろ逃げ出した君の使用人も捕まる頃だろう」


 最初から嵌められていたのは公国側だったのだ。

 遠くないうちに今回の首謀者連中にはガルベルトの精鋭部隊が挨拶しにいくだろう。


「王子や公爵令嬢様にはなんと?」

「もしトトリカがまた王国を裏切る事があれば私の腹を切って詫びるから内密に……とだけ」

「それならわたしは何も出来ませんね」


 困った人だなぁ〜と少女は笑った。

 それを見て釣られるように男も笑う。


 汚れた手は綺麗にはならないが、誰かが離さなければこれ以上は汚れない。

 トラウマに怯えて悪夢を見ようが、それを上回る思い出で癒せばいい。

 闘技場に決闘を見に行くのは好きになれないかもしれないが、ピアノの練習の為には通い続けて覚えなくてはならない。


 未来予想図を考えると自然と笑みが溢れる。

 しかし、空気を読まずにぐぅ〜っとディルの腹の虫が鳴いた。


「……実は昨日まであちこちに頭を下げ回っていて食事があまり…」

「はいはい。今からお作りしますからベッドから台所に行きましょうね。ハチミツたっぷりの紅茶も用意しますから」












 家庭が順風満帆で腕が鈍った将軍が負けるのはまだ少し先の話。






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