8.謎の老人
「おや、目覚めなさったか」
穏やかに老人が話しかけてきた。
リリアーシアの知っている人物では無かった。
が、恐らくこの老人が命の恩人だろうと思い、兎に角お礼を言おうと口を開く。
「貴方様が
「まあまあ、礼など不要ですよ」
リリアーシアの申し出に、老人は穏やかに答えた。
「でも」
「むしろ助けられたのは儂のほうですわい」
リリアーシアの反論を封じ老人はお礼を述べた。
そして この謎の老人はリリアーシアに頭を下げたのだった。
「そんな、頭をお上げ下さい。それに私には何の事か」
老人の言動の意味が判らない。
助けられたのはリリアーシアの方で、老人の方では無い。
過去に助けた事があっただろうかと記憶を探るも、やはり老人にお礼を言われる様な何かをしてあげた覚えは無かった。
老人は人違いをしているのではないかと思うが、口にするのは憚られた。
「記憶に無くと構いませんぞ。むしろその方がいいでしょうな」
老人は不思議がるリリアーシアを思いやるかのように穏やかに言った。
「そう……ですか、でも何かお礼はさせて下さい。
その言葉を受けてか老人がリリアーシアを見つめた……様にリリアーシアは感じ思わず俯く。
顔をあまり見られたく無かった。
ただし老人の眼鏡のせいでどこを見ているかは実際の所は判らない。
老人からは笑顔が消え、リリアーシアを見定めてるかの様だ。
「ふむ、そこまで仰るなら……そうですなぁ」
何故か老人の眼鏡が怪しく光る。(光源は謎)
この場では不要な効果の様に思える。
何故か思わずリリアーシアはゴクリと喉を鳴らしてしまう。
なにか嫌な予感がしたのかも知れない。
異様な緊張感に包まれる。
「まぁ、それは後ほどにでも。それよりも先ずはお茶でも飲んで下され」
急に笑顔に戻った老人がお茶を勧めだし、場に正常に穏やかな雰囲気が戻ってきた。
「そこまでして頂いては……」
リリアーシアは老人の厚意が嬉しかったが、同時に気も引けた。
無一文で全く金銭的なお礼が出来ない。
しかしお茶を勧められたことで喉が乾いてることを自覚してしまう。
遠慮vs喉の乾きでしばらく葛藤したリリアーシアだったが、老人の次の一言で、あっさり喉の乾きが勝ったのだった。
「気兼ねは不要ですわい。今後の相談もありますでな」
「そうですか。ではお言葉に甘えさせて頂きます」
リリアーシアは勧められるままに椅子に座った。
すると、タイミング良く扉がノックされ、返事も待たずに扉が開かれた。
入って来たのは、10歳位の女の子。
お孫さんだろうとリリアーシアは思った。
女の子はお茶を運んで来たのだった。
「有難うございます」
「どういたしまして。お姉ちゃんごゆっくりね」
朗らかにそう言うと、女の子は出ていった。
「東方の島国で飲まれているお茶です。さぁさ、先ずは喉を潤して下され」
そう言いながら老人はお茶を飲みだした。
コップに注がれているのは緑色の液体だった。
リリアーシアはハーブティーだろうかと思ったが、嗅いだことのない香りがしている。
一瞬躊躇したが、飲まないのも失礼だ。
そもそも毒を入れる意味はないし、気を失ってる内にいくらでも飲ませることもできた筈。
そう思い、一口飲んでみた。
苦味がありながらも癖になりそうな不思議な味だった。
しかも何故かほっこりしてしまう。
「落ち着く味ですね」
リリアーシアの素直な感想に、老人は ホッホッホと笑った。
「それでは本題に入るとしましょうかの」
老人はリリアーシアが落ち着いたのを見て話し始めた。
「ますこの老いぼれの名はジージーですじゃ。お見知りおきを。呼びにくいのでジージでもジジでも好きに呼んで下され」
「ご丁寧有難うございます。ではジジ様と。私は……」
リリアーシアは名乗ろうとして既に自分に名前が無い事を思い出した。
元の名前を出すのは危険かも知れないとも思った。
しかしその思いは、老人の一言で無駄にされる。
「リリアーシア様のご事情は存じておりますわい」
リリアーシアにはこの老人の記憶が無いが、老人はリリアーシアの事を知っている口ぶりだった。
「まあ、お気づきにならなかったでしょうが、実は湖で一部始終を見ておりましてな」
「え」
リリアーシアは驚いた。
あの場に他に人の気配は無かった筈だしビニートスも気付かなかった。
しかし同時に目撃していたからこそ、運良くビニートスにも感づかれなかったからこそ助けて貰うことが出来た、と思うことにした。
「丁度釣りをしていたので、運良く貴女様が掛かった次第でしてな」
「そうだったんですね。本当に有難うございました」
湖面に落ちた全てを沈めてしまう不思議な湖で釣りをしていたというのも既に怪しい話ではあるが、リリアーシアは素直に信じた。
助けて貰ったのは事実だから。
「ワシも陰謀を知る身となってしまいましたわい」
陰謀とは当然ナルシリスとビニートスの共謀の事だ。
「全て、お聞きになっていたのですね」
「それで、今後リリアーシア様はどうなさるおつもりですかな」
「……そうですね……見つからない様ひっそりと生きていけれればと考えておりました。勿論ジジ様へのお礼は可能な限りさせて頂きます」
「まあ後ほど希望を申しましょうとも。ですが先ずは名前を決めなければなりませぬな」
「はい。とはいっても何も思いつかなくて」
「そうですなぁ。リリアーシア・ティアリ・フェリス様からとって、アーティア様など如何ですかな」
安直だとリリアーシアは思ったが、勿論口には出さない。
しかしこの名前はいいかも知れないと、直ぐに考え直した。
アーティアという名なら通称は『ティア』になる。
ティアという呼び名はこの国ではありふれていた。
実際、公爵家の町人出身の使用人にもティアという呼び名の娘が3人は居た。
「有難うございます。それでは、今から
リリアーシア改め、アーティアの言葉にウンウンと、老人は何度も頷いた。
「それで、お礼の件じゃが」
急な老人の言葉にアーティアは姿勢を正した。
老人の言葉を待つ。
「暫くの間、仕事を手伝って貰えると助かるのう」
老人はそう言うと髭を撫でた。
アーティアは老人の申し出について考える。
しかし実際のところ、彼女に選択肢は無かった。
ここを出た所で行く宛は無く、お金も無い。
数日の食を得るだけのサバイバルスキルも持っていない。
食用の野草やキノコに関する知識も無いのだ。
ここまで無い無いづくしで今、ここを放り出されたら野垂れ死にする事必至である。
運良く、町か村に着いて、食事がなんとかなったとしても何か職を得れるだろうか?
一般市民として暮らすなら、魔法はトラブルの元になるし、お后教育得た知識や技能も直ぐには役には立たないだろう。
今有る知識で生きていく術でいえば、強いて挙げれば貴族相手ではなく、一般市民相手の家庭教師だろうか。
しかし上手く売り込めるかわからないし、そもそも都合よく家庭教師を探している裕福な家庭が有るかもわからない。
この国だけの話ではないが一般市民の識字率はさほど高くはない。
ともかくかなり運に左右される話になる。
冒険者なら直ぐなれるかも知れないが、正直アーティアは戦闘に向く性格をしていない。
そして冒険者になるとしても魔法を使うのはやはりトラブルの元になる。
魔法を使えるということは貴族の血を引くことを意味するし、魔法を使える人間はそもそも希少なのだ。
アーティアの素性を探られたり、目立つのは避けたい所だった。
となれば、魔法なしでアーティアが冒険者になるのは自殺行為である。
しかも〝顔を隠しながら〟という大前提があるのだ。
ここは素直に老人の申し出を受けて仕事を手伝うのは、市民として生きる術を身につけるチャンスなのかも知れない。
厳しくとも、飢える心配をしなくて良さそうなのだ。
ただし、老人の仕事の内容次第ではある。
「ジジ様の……その……お仕事ってなんでしょう?」
「そうですなぁ。簡単に言えば、なんでも屋ですじゃ。依頼をうければ何でもやりますぞ」
「
「もちろんですわい。衣食住も保証しますぞ」
そこでまた老人の眼鏡が何かに反射しキラリと光る(無駄に)
敢えて、眼鏡の謎を無視した。
恩を返すと言うより、更なる恩を受ける気もするが今はこの老人を頼るのが、生き残る可能性が一番高いと、アーティアは考えたのだった。
しかし、『お願いします』という声が出ない。
いや出せなかった。
何かが、答えるのを止めていた。
アーティアは目を瞑る。
理性は申し出を受けるのがいいと判断した。
では、感情は?
アーティアは自身に問う。
自身の感情は『怖い』と言っていた。
また裏切られるのが『怖い』、心が引き裂かれるのが『怖い』と。
アーティアが目を開くと、そこには穏やかな表情でこちらを見つめる好々爺(あくまでアーティア視点で)がいる。
アーティアは自身の感情に語りかける。
(また裏切られるかも知れない。無残に切り捨てられるかも知れない。でもこの命はジジ様に拾われた命。だからもう一度、もう一度だけ信じてみましょう)
アーティアは覚悟を決めた。
そしてゆっくりと口を開くと、目の前の好々爺(?)に決意を伝えた。
「お心遣いに感謝致します。是非お手伝いさせて下さい……」
好々爺ことジジは、アーティアの答えに穏やかに微笑む。
「よろしくですじゃ ティア様」
そして、そう言いながら右手を差し出し握手を求めた。
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