第5話 金髪とげとげ頭のジャン

 次の目的地へ向かう間も、アデルは目を伏せて考えこんでいるようだった。

 思考に没頭しはじめるとこうして喋らなくなる性質は昔から変わらない。仕方がないのでアデルが転ばないよう手をつないで、リディアはてこてこと歩いていく。

 すると向かい側から見覚えのある少年がやってくるのが見えた。


「ゲ。バカリディアに陰険眼鏡」


 開口一番これである。

 あいさつにしてはすこぶる口が悪いが、この少年はこれが標準装備なので、リディアは努めて気にせず「こんにちは。ジャン」と返した。


「ココおばぁちゃんの配達の帰り?」

「……そーだよ」

「これからジャンのおうちに行くとこだよ。今日はジャンのパン置いてないの?」

「んな毎日毎日焼いてられっか」


 金髪とげとげ頭のジャンは、ケッ、と唇を尖らせる。

 リディアたちと同い年の彼は、オクに二軒あるパン屋のうち片方の店の長男で、二人がオクに出入りするようになった頃からの顔見知りだ。リディアはともかく、昔から澄まし顔のアデルのことがとにかく気に入らないらしく、視界に入るだけで顔を歪めるという嫌悪っぷり。

 かといってもう一軒のパン屋は町の反対方向にあるので、なんだかんだと彼の家で買い物と口喧嘩をして帰るのが毎度お馴染みになっている。


 互いに行き先は彼の家だったので、三人揃って角を曲がると、こぢんまりとした三角屋根の一軒家が見えてきた。自宅と店舗を兼ねるジャンたち三人家族のパン屋である。

 ドアベルを鳴らしながら帰宅したジャンの後ろに続いて、リディアはひょこひょこついて入った。

 するとジャンはアデルが足を踏み入れる前に乱暴にドアを閉める。


「ちょっとジャン」

「うるせー陰険眼鏡は店に入んな」


 一方アデルはでかでかと「あー、はいはい、そうくると思った」と顔に書いて、堪えた様子もなく自分でドアを開けている。

 ひとつも動揺しない彼の姿がジャンは余計癪に障ったようだった。


「おかしな妖精でも連れて入られて店のなか悪戯されたらたまんねぇからな!」

「なんですって! アデルは一度もそんな悪戯したことないでしょー!」

「いってぇな! なにすんだこの暴力女」


 腹を立てたリディアがすぱーん! とジャンの後ろ頭を引っ叩く横で、遅れて入店したアデルは呆れ顔のまま棚に並ぶパンを眺めはじめた。

 リディアはぷりぷり怒りながらその腕にひっつく。


「もう、やんなっちゃう。十五歳にもなって子どもみたいな意地悪するんだから」

「放っておきなよ。そういう年頃なんだよ」

「出会ったときからずぅぅぅっとそういうお年頃だよね!」

「聞こえてんぞテメーら! 同い年だろうが!」


 店の奥で手を洗ってきたらしいジャンが大声で喚くと、「うるさいよジャン!」と厨房のほうからおかみさんの叱責が飛んできた。ジャンのお母さんである。

 棚のなかには様々な種類のパンがきれいに収まっていた。

 どれもこれも見目麗しく、リディアは毎度のことながら感嘆の息を吐く。

 ポテトサラダやお肉を挟んだサンドイッチは昼食に最適で、春の訪れを知らせるエリカの花の塩漬けがちょこんと乗ったクリームパンはおかみさんの自信作。食事のつけあわせにアデルがよく買うのは、そのままでも焼いても美味しいバゲット。ちなみにリディアのお気に入りは、ごくまれにジャンの気が向いたときに焼かれるチョコチップマフィンだが、今日はない。

 ジャンは口も態度も悪いが手先は器用で、これで意外と魔法を使えるし、パンを焼くのはもっと上手い。

 こんなに粗暴なくせにその武骨な手から生み出されるパンは悔しいくらい美味しくて、まるで理不尽な魔法みたいだ。

 むー、と唇を尖らせたリディアを腕にひっつかせたまま、アデルは顔を上げて、一応店番の体で椅子に座っているジャンに声をかける。


「とりあえずバゲット二本と」

「陰険眼鏡に売るパンはねぇよ」

「あとおかみさんのクリームパン三つ」

「ねぇっつってんだろ耳ついてんのかテメエ!」


 その瞬間、駆けつけてきたおかみさんがジャンの頭を後ろから引っ叩いた。


「お客さんになんて口きいてんだこの莫迦息子!」

「いってぇなババア!」


 ババアの単語に機敏に反応したおかみさんの黄金の右手が二発目を叩き込む。

 ジャンは座っていた椅子ごとひっくり返った。頑丈なのでこれくらい大丈夫だろう。ざまーみろ、とリディアはちょっぴり舌を出した。

 同時に、ぴくりと強張ったアデルの腕をぎゅっと抱きしめる。


「ごめんねぇ、二人とも。ほんっとこいつ昔っから口が減らないったら。おんなじようなこと毎回毎回、語彙が全然増えなくって困っちゃう。いえ悪口の語彙なんて増えなくていいんだけどね」

「ううん、いいの、おばさん。いつものことでしょ。アデルのほうが魔法を上手に使うってわかったときから、ずぅっとそうだもんね」

「そうなのよう、いつものことなんだけどね。魔法も魔術もたいして変わんないっつってんのに、どうも悔しいみたいでね」

「ババアてめ……いってえ!」


 がたがたと椅子を直しながら立ち上がったジャンの額に三発目がすこーんときまった。今度こそ呻くこともできず額を押さえて悶絶するジャンを、これっぽっちも呆れた様子を隠さないアデルが半眼になって眺める。

 ジャンがアデルに絡んでリディアが噛みつきおかみさんが制裁、いつもの一連の流れがお決まりのように行われたのをわざわざ待ってから、アデルがふぅっと溜め息をついた。


「……バケット二本とクリームパン三つください」

「ハイハイ、いつもありがとうね!」


 財布のなかから代金を取りだすアデルの腕の邪魔にならないよう、リディアはちょっと離れた。手持無沙汰になったので、パンを包むおかみさんをぼんやりと眺める。

 こんなに優しくてしゃんとしているお母さんと、いまは厨房にいるだろう穏やかな気性のお父さんの間から、どうしてこんなとげとげの息子が生まれるのだろう。昔から不思議でならなかった。


(うーん、でも、口の悪さっていうか、喋る言葉は一緒かも。ババア、とか、莫迦息子、とか)


 うんうんと自分の考えにうなずいていると、ようやく復活したらしいジャンが恨めしそうに「こんのクソババア」と顔を上げる。

 何度叩かれても頑なに「ババア」と呼ばわるジャンの根性は素直にすごいとリディアは感心した。

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