第4話 《黒き魔法使い》

 オクは広く、静かな町だ。

 白い石造りの建物と若草色の木々が立ち並ぶ、淑やかな町並みをしている。


 薬局と医者と酒屋は、町の真ん中あたりに一軒ずつ。学校は一校で、パン屋と肉屋と八百屋が、それぞれ町の端と端にちょこんと二軒ずつ。

 十日に一度、しろがねの日に行商人がやってきて市を開くけれど、それ以外で買い物をしようと思ったら、街道でつながるお隣の町まで出かけなければならない。そんな田舎だ。

 ひとまず薬屋へ向かうことにしたリディアたちが町の中心部を目指して大通りを歩いていると、通りの食堂の前で掃き掃除をしていた女性から声をかけられた。


「こんにちは、リディア、アデル。薬の納品?」


 二人もよく利用する町の食堂の店主、マーサである。

 イルザークに拾われたものの、彼はシュリカ曰く生活能力皆無のダメ魔法使いであったため、生活のあれこれについてはオクの町のみんなにもたいへんお世話になった。こうして町に下りることも多いのですっかり顔馴染みだ。


「こんにちは、マーサさん。そうだよ! 膝の調子どう?」

「この間の湿布のおかげでだいぶん好いよ。先生にお礼を言っておいてね」

「よかった。湿布、今日も持ってきたから、なくなったらメイベルさんとこに来てね」


 にっこり笑って手を振ると笑顔が返ってくる。そうやって町の人たちと声を交わして、ときに体調を窺いながら、二人は目的の店へ辿りついた。

 真鍮製のドアノブをひねって扉を開けると、上部に取りつけられたチャイムが軽やかな音をたてる。長さの異なるパイプが揺れて、中心から垂れたクリスタルのサンキャッチャーがきらきらと光の粒を振り撒いた。


「こんにちはー。リディアです」

「おお、ご苦労さま、二人とも」


 店主のメイベルは三年前に祖母からこの店を受け継いだ二代目だ。まだ二十代と若いものの、王都の学校で薬の勉強をしてきた才媛である。

 店内入ってすぐのカウンターより奥にはずらりと薬棚が並び、天井から干した薬草が何種類も吊るされている。外の白い町並みに比べると、わざと陽射しの入らないようにしている店内は暗いが、かえってクリスタルが降らせる光のシャワーが美しい。

 背負ってきた薬箱をカウンターに置き、持ってきた薬を次々取りだした。


「ニビタチバナの咳止めと、白梅の咳止め。ちなみに今回の解熱剤はアデルが作りました~」

「へえ、解熱剤なんてすごいじゃん! もうそんな腕前なの」


 じゃーん、と両手で大げさに披露してみせると、メイベルは眸を大きくしてアデルの顔を覗きこむ。

 目を伏せたアデルはちいさくうなずいた。

 リディアと違って優秀な弟子なので、少し前から師の仕事を手伝うようになっている。こうして彼の作った魔法薬がオクの薬局に並ぶことも多くなってきた。


「ふふん、すごいでしょ」

「なんでリディアが偉そうなのよ。いいけど」

「だってアデルがすごいのは本当のことだもん。……あとこっちがいつもの個別のお薬。マーサさんと、ケリーおじさんと、ザジと」

「うん、ありがとう。座んなよ」


 メイベルが薬を検品している間、二人は用意してもらった丸椅子に腰かけて待つ。

 リディアはじっと手元を見つめるメイベルの伏せた睫毛を眺めた。

 赤茶色の癖っ毛、そばかすの浮いた鼻梁、深い緑の双眸、こちらの世界にはこういった色合いの人が多い。日本人らしくない容姿をしていたリディアは、もともとこちらの生まれだったのではないかと思えるくらいだ。

 逆に、アデルやイルザークのような黒い色素の人は少ないけれど、オクの人びとは髪や目の色を理由につっかかってくることはない。


「そういえばさ、この間、南のほうに住んでる友達から鳥が飛んできたんだけど」


 手元で作業しながら零したメイベルに、リディアは「うん」と返す。


「噂なんだけど、魔王の第一麾下の《黒き魔法使い》が復活した、って話だよ」


 リディアがこてんと首を傾げると、その隣でメイベルから視線を逸らすように店の外を見やっていたアデルが、ふっと振り返った。


「魔王……って、二十年前に封印されたっていう?」

「そう。《黒き魔法使い》と名乗る男が現れたらしい。オクから遠いところの話だし、どこまで本当かはわかんないけど、嫌だよねぇ」

「えー……復活してどうするの? 二十年前の決戦で、お仲間はみんな斃されたか、散り散りになっちゃったんでしょう」

「さあ。魔王の封印を解く方法を捜すんじゃないだろうかって、その子は言ってた」

「なんだか全然、実感が湧かないね」

「まああんたたち生まれる前だもんね。あたしもほとんど憶えてないし。ただ、魔王一派は只人や魔力の弱い民を虐げた歴史があるから、気をつけないとね」


 アデルの唇がかすかに「まおう」と動いた。

 魔王との戦いについてももちろん教わっている。

 八百年前、ひとりの魔法使いが世界の禁忌を犯し、魔法教会と対立のはて、幾千の魔物を従えて冥海に拠点を構えた。自ら魔王と称し、天海のくじらが定めた世界の理を覆さんとして、長きに渡り暴虐の限りを尽くしたという。

 対立が激化するにつれて魔王軍は、戦う力を持たない只人や、魔力の弱い人々を虐げるようになっていった。多くの町が襲われ、幾千幾万では足りない人びとの血が流れた。

 その戦いに終止符が打たれたのはつい二十年前、いまでは『英雄』と呼ばれる四人組によって、地上に引きずり出された魔王が封印されたのだ。

 暁降あかときくたちの丘と呼ばれていた封印の地には、いまも魔法教会の魔法使いが常在し、封印に綻びがないかどうかを監視している。

 今回は魔王自身でなく、その配下の復活というが。


「……こっちだって好きで只人なわけじゃないんだけどね。ね、アデル」

「ん……そうだね」


 魔法を使えなくて難儀しているのはこちらなのに、それを理由に殺されるなんてたまったものではない。


「……アデル?」


 町に下りると彼の口数が少なくなるのはいつものことだが、この話題になってから明らかに上の空になった。

 顔を覗きこむと、アデルはふるふると首を横に振る。


「なんでもない」


 そうしてまたメイベルに背を向けて店の外を眺め始めた。ぱちぱちと瞬いたリディアは、目を丸くしているメイベルと顔を見合わせる。彼女は肩を竦めた。


「じゃあこれ、先週の分のお代ね。先生によろしく」

「はーい! また来週来るね」


 空になった薬箱を背負い直して店を出る。

 メイベルが手を振っているのが窓越しに見えたので、リディアは大きく振り返した。

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