第3章

第12話 絶望の赤色

 躊躇われる。様子を見るべきだと本能が訴えかける。ネルはその男を捉え続けた。間違いなく彼が「爆発」の神焔法を使っている。


「こんなガキに三人もやられたのかよ。お前らそれでもブランドアの戦士か?」


「し、しかし、ハインリヒ様……! こいつは深淵術を使います! 我々だけではとてもじゃないですが」


 そうは言うが、残った二人は腰に下げていた剣をしっかり握っていた。誰から見てもその手は震えていて、腰も入っていない。ただ怯えているだけにしか見えず、命の危機を彼らからは感じられなかった。


 ネルの敵はあくまでハインリヒと呼ばれた赤髪の男だ。


「仲間を目の前で殺されて、なにもしねえのか?」


 一際鋭く光る眼光に、ネルは身構えた。


 それは兵士たちの背中を優しく押し、踏み出す一歩を手助けするものではない。崖の淵で立ち竦む者の背中を押すものだ。谷底に落ちても助かるかもしれない。そんな希望的な絶望に身を落とせと言う。


 二人の兵士が斬りかかってきた。その一閃に鋭さはなく、剣を振るというよりは剣に振られているようだった。振り下ろされた剣はその剣先を地面に叩きつけられる。


 反撃することも簡単だ。しかしネルにそれを躊躇わせるのは、やはりハインリヒという男の存在だ。常に視界に入れることを強いられる。


 ブランドアのやり取りだけでハインリヒの性格をおおよそ掴んでいた。おそらく、ネルが反撃に出れば、兵士もろとも爆破しに来るだろう。


 無論、そのかぎりじゃない。だからこそネルは常に警戒を怠らないのだ。


「おれも手伝ってやる」


 来た、とネルは耳を澄ました。その異音にいち早く気付き、その集束点との距離をとる。兵士たちはネルの動きで気付いたようだが、それでも遅かった。二人の兵士は爆発に巻き込まれる。


「ぐわあああ!」


 痛みと熱に転げ回るが、動けば動くほど苦痛が増し、しかしじっともしていられない。ネルはそんな彼らを無視して、ハインリヒを獲りに行く。誰に邪魔されることのない好機だ。


 それを逃さないために地を蹴ったが、ネルの身体は前に進まずその場に手を着いた。振り返れば、痛みに耐える兵士の一人が、ネルの足首を掴んでいた。抵抗すらできないと思っていたため、これは予想外だった。


(まずい――)


 異音に気付いたネルは、足首を持った兵士の腕を叩き潰した。そのまま上半身に繋がった方の腕を持ち、宙に軽く投げた。兵士の身体がネルの頭より少し高い位置で上昇が終わり、一瞬の停止をした。同時に異音が最高潮に高まり、閃光と熱が辺りに広がった。ネルは黒い左腕を盾にして、それらから身を守った。


 人間一人を緩衝材にしても、それはたいした効果を発揮せず、ネルはまた吹き飛ばされた。勢いを殺すために、左手の指を地面に立てた。


「また一人、殺されちまったか」


 戦塵が舞う中、ハインリヒの嘆きではない声が聞こえてきた。


 結果からすれば、たしかにネルが殺した。しかしネルがあのとき緩衝材に使わなくとも、兵士は爆発に飲み込まれて粉微塵になっていただろう。飛び散った血液が三日月を描き、人体を構成していたものが大小様々な形状を残して転がる。


 視界が晴れると、地面は焦げるどころか、二センチほど抉れていた。やはり兵士を巻き込むのは想定内だったようだ。


「まあこの程度で死ぬようじゃあ、どの道生き残りはしなかったか」


「生き残らせないだけじゃないの?」


「おいおい、まさかおれを殺人鬼かなにかだと思ってねえか? 栄誉と名声を独り占めしたいような奴だと?」


 ネルは最後の兵士の様子を確認した。爆発に巻き込まれた様子はないが、死を悟った顔をしていた。怯えることも、震えることもしていない。ただの人形のような生気のなさだ。


「違うなあ。おれは勝利のために手段を選ばないだけだ。使えるものを使うだけだ。人間らしく、泥臭く生きてるんだ。そんな奴に見えるだろう?」


 見えないか、とハインリヒが訊ねるのと同時に、兵士がネルに向かって走り出した。そしてそれに重ねて「異音」も聞こえ始める。


 方向はすぐにわかったが、集束点が見当たらない。兵士とネルの間にない。その意味に気付いたのは、兵士の胸部に歪みができたときだ。ハインリヒは集束点を兵士の中に発生させたのだ。


 手段は選ばない。


 使えるものを使う。


 ハインリヒは嘘でないと証明するように有言実行したのだ。そしてこの兵士は彼がそういう人物だと、魂が抜けるほどに、生を諦めるほどに知っていた。仲間内でもこうなのだ。ハインリヒがノワルゲートに向ける殺意と敵意は、その他の追随を許さないほどに違いない。


 それはつまり、ネルとしても彼を生かしておくわけにはいかなかった。


(ここで仕留める!)


 ネルは兵士に対して回避ではなく、素早く前進をして懐に潜り込んだ。高音が認識できている間は爆発しないのは、今までの経験でわかっている。兵士を殺したからと言って爆発が止まるとはかぎらない。むしろその可能性は低い。爆発は確定事項なのだから、ネルがするのはただ一つ。


 その「爆弾」を敵に返すだけ。


 鎧もどきの鉄板を砕いて掴み、身体を回転させて遠心力をつけ、ハインリヒに向かって投げつける。音は高まり続け、ちょうどいい頃合いでもあった。


 音が消え、爆発が起きる。今までの倍以上の威力であり、その衝撃で発生した風が周囲の炎上を吹き消さんばかりでもあった。ネルは身を屈め、地面を掴んで衝撃に耐える。まるで台風の警戒域にいるかのような激しさが容赦なく身体を突き抜けた。


 爆炎が消えた細い視界に映ったのは「炎の壁」だった。前に出会った神焔法使いが使っていたものと同じだ。顔に痛みを感じて瞼を閉じた一瞬のうちに、その壁は綺麗に消えていた。


「あの爆発でも耐えられるってわけか」ハインリヒがネルを見下ろす。「だが『効かない』わけじゃないようだな。火傷もすれば、痛みも感じている。もっと高純度、高威力なら死んでくれそうだ」


 ハインリヒが右手を花のように開くと、その中で空間が歪み、一つの光球ができた。粒とは言えないそれは、いつまでも高い音を響かせ続け、凝縮された力を解放されるのを今か今かと待ち受けているようにも見えた。


 まずい。


 そうわかっていても、ネルは動けなかった。威力が上がっているのだとしたら回避は間に合わない。今から攻撃したところで、すでに待機状態にある光球が爆発するだけだ。


(考えろ! 考えるんだ!)


 この窮地を脱する方法を必死に模索する。しかし思い浮かぶのは、ネルが辛うじて生き残る未来だけだ。アンリが最初にネルを見つけたときと似たような状態になる光景しか見えない。ハインリヒが自滅をする可能性もない。


 神焔法を甘く見ていた。いや、正確に言えば、深淵術(じぶんじしん)を過信していた。新しい力を、強い力を得て、なんでもできるような気分になっていた。あの夜にブランドアの神焔使いに呆気なく勝ってしまったがために、黒騎士のときの敗戦を忘れていた。


 どこかでゲームのようだと思っていたのかもしれない。徐々に深淵術を知ればいいと、強くなっていけばいいと。


 大切なものを守れているのだと安心してしまった。たまたま守れたと、今回は守れたのだと思わず、これがずっと続くのだと、こうしていられるのだと、その場かぎりの満足に浸っていた。


 間違いだ。間違いだらけだ。


 ネルはまだこの夢(せかい)に来たばかりで、深淵術や神焔法のこと、ノワルゲートやブランドアのことなど知らないことの方が多い。海を見ただけで、大海を知ったような気分になっていた。温度も、感触も、味も、深さも、そこになにが潜んでいるのかも知らないのに、そこで生きていけると思ってしまった。


 その結果がこれだ。


 大海に飛び込み、魔物に遭遇した。


 その可能性は充分に考えられたのに、過信と慢心が盲目にさせた。


「安心して神のもとに行きな」


 光球から放たれる輝きが辺りを浸食し始める。


 耳を劈く音が広がった。


 そのとき、ネルは走馬灯のようにこれまでのことを思い出していた。視界で捉えてきた記憶が濁流のように一気に押し寄せてくる。


 偽装と、擬態と、後悔の日々。


 それから解放され。


 贖罪の夢を見始めた。


 彼女に似た人に出会い、彼女のように守りたいと思う人ができた。


 力をもらい、意味をもらった。


 まだなにも返していない。


 なにも果たせていない。


 だから、ここで「死ぬ」わけにはいかない――。


 放たれた光球の輝きを「それ」が包み込み、白に満たされようとした視界にもとの色がはっきりと映し出される。そこにはハインリヒの顔もあった。左目が見開かれていた。


 直後「それ」が大きく膨らみ爆発した。


 正面から受けてなお、ネルはその場に立ち踏み止まった。顔を守った左腕が吹き飛ぼうとも、決して後退しなかった。


 決してハインリヒから目を離さなかった。


 爆炎の向こう、炎の壁の向こうにいる神焔法使いを捉え続けた。


「これだから深淵術使い(てめえら)は嫌いだ。平気で身体を変えやがる」


 ネルは失った左腕と、


 光を食む触手を再生した。


 左胸の裏側から伸びたそれは、まるで「蛇」のような頭部を持っていた。その節は開かれ、体液のような液体が牙を伝って、あるいはそれらの間から滴り落ちていた。ネルにもどうしてその形状になったかはわからない。ただ死にたくないと、生き残りたいと強く思ったとき、この触手が生えてきたのだ。


「異端の力に飽き足らず、異形の姿になるとはな!」


 ハインリヒが光球を放った。ネルの触手はそれに呼応するように、光球に向かって伸び、そして丸呑みにした。触手の中で爆発が起きるが、衝撃はさっきよりもずっと小さい。


「はっ。本当に癪に障る!」


 ハインリヒは再び光球を現出させたが、それをすぐには放たなかった。まるでなにかに気付いたように一瞬の硬直をし、そしてすぐに不気味な笑みを見せた。思わぬことにネルはその隙を突けなかった。


 それが致命的だと気付かず。


 右手の光球を保ったまま、ハインリヒは左手を頭ほどの高さまで挙げた。掌は地面を向き、その間に炎が発生した。手から地面に向けてではなく、地面から手に向かって燃え上がり、膨らみ、そして弾けた。


 ネルは絶句した。


 ハインリヒの手の中にミリアがいたからだ。その手から逃れようとじたばた動き回っているが成人男性に勝てるわけもなく、無駄な抵抗となっていた。


「ミリア!」


「なんだ、お前の知り合いか? そりゃあ好都合だ」


 ネルが飛び出そうとしたとき、どこからともなくブランドアの兵士が現れた。これまで凡百の兵士とは装備が違う。ただの鉄板ではなく、鎧を身につけている。


「ハインリヒ様。見つかったようです」


「わかった」


 踵を返すハインリヒとブランドアの兵士。もうネルのことは眼中に入っていないようだ。それがネルには悔しかった。実力差を見せられているようで、取るに足らない相手だと決めつけられているようで。


 なにも守れないと、突き付けられているようで。


「ミリアを……返せ!」


 二つの背中に強い視線を送る。胸に黒々としたものが湧き起こっていた。それはねっとりとした熱で、ネルを内から滾らせる。


 復活した触手の口が大きく開かれ、その中で「光球」が発生した。しかしそれはハインリヒのものとは違う。不協和音が鳴り響き、その色は紫や赤、青などが混在したものだ。


 異変に気付いたハインリヒが振り向く。


 ネルは光球を――集束させた力の塊を解放した。禍々しい色をした光線が、地面を削り取りながら対象に向かっていく。


 しかし光線は炎の壁に防がれる。それどころかその壁は徐々に光線を包み込もうとしていた。まるで掌で受けた拳を掴み上げようとしているかのようだ。抗うように枝分かれした光線が、兵士を貫いた。炎の壁の面積が減ったことで、兵士の前に壁がなくなったためだ。


 光線は周囲の建物も薙ぎ倒していく。のたうち回る蛇のように、力という力を周囲にぶつけていった。


 だが、届かないことに変わりない。


 炎に潰された光線は、粒子となって弾けた。


「お前にはもっとふさわしい『救済』をしてやる」


 そう言って、ハインリヒはミリアを解放した。


 いきなりのことでミリアは足を絡ませて転ぶが、振り返ることなく、ただ真っ直ぐにネルを見ながら、向かってくる。一歩、また一歩と。


 ネルは手を伸ばし、ミリアも手を差し伸ばす。


 その手を取り、引っ張った。小さな手がネルの手に包まれる。人の体温が感じられた。


 しかしその手の先に、ミリアの姿はなかった。


 引っ張ったその瞬間、ミリアの身体が爆発した。一瞬の出来事だった。ミリアは内側から炎を巻き上げ、炎に飲み込まれた。引っ張り上げた右手だけが、その爆発から逃れられ、他にはなにも残っていない。


 思考が追い付かず、心が否定を始める。


 これは嘘なのだと。


 これは夢なのだと。


 けれども、その温もりはまだ手の中にあった。どうしようもなく、それがネルに現実を思い知らさせる。


「あ……、あ……」


 ミリア。


 そう名前を叫ぼうとしたとき、触手が爆発した。呆気にとられる暇もないまま、左腕も弾け、胴体と分離する。次に足、最後は腹部だった。連続して起きた爆発に対応できないまま、背中から落ちていく。


 なにもかもが「赤」に染め上げられていく。


 その「赤」の奥に、ネルはただミリアを見続けた。

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