その9
ハロウィンなんて嫌いだ。
別に西洋のお祭りだから、とか言うつもりはない。クリスマスも普通に祝うし。
そこには、私の個人的事情というものがあるのだ。
忘れもしない六年前の十月三十一日。
泣き喚く私を一人置いて、母が家を出ていった日である。
「杏子ちゃん、おかえり」
「はいはい、ただいま」
玄関を入ってすぐ、ママに出迎えられた。
丁度料理をしていたようで、部屋着の上に腰巻きの白いエプロンをしている。仕事中だけ掛ける眼鏡は外していた。
赤城よりも長身のママは、艶のある黒髪を伸ばし、家の中でもどこか艶っぽい雰囲気を漂わせている。
「ってーか、驚かないんだ」
「あら、朝見たときは驚いたわよ?」
私は被っていたカボチャから顔を出した。
みいの気持ちがちょっと分かる。こうもあっさりした反応が返ってくると、その気がなくても少し残念になってしまう。
「お邪魔しまーす!」
そんな私を押し込むようにして、みいカボチャが突入してくる。ウチへの道すがらはずっと無言だったくせに、随分と唐突な切り替え具合だ。
特に広いわけでもない我が家の玄関は、カボチャが二つ並ぶとたちまちいっぱいになってしまう。とりあえず自分のカボチャは脱いで、玄関の隅に置いておくことにした。
「みいちゃん、いらっしゃい。朝はどうもねー。助かっちゃった」
「そんなー。大したことしてないです」
「何かしたの?」
「ゴミ出し手伝っただけだよ」
そのときに私の予定を聞き出したわけか。天然に見えて、そういうところは案外したたかで抜け目がない。
「今日はパレードってみいちゃんに聞いてたけど。アンタも出るのね」
「うん、まーね」
「それじゃ、みいちゃん。杏子のことよろしくね」
「えっへん。任せてください」
とても不服な会話を始めた二人を睨み付ける。
ママはセーターで膨らんだ肩を竦めて、台所に引っ込んでいった。
「きょーちゃんはたまに不良みたいな目つきするね」
「うっさい。そんなこと言ったら、みいはカボチャじゃない」
「それって可愛いってこと?」
全然めげない口が世迷い言を述べる。
「ちょっと鞄を部屋に置いてくるから。何だったら上がって待ってて」
「玄関にいるー。頭でっかいし」
みいは自分のカボチャをこつこつ叩いて遊び始めた。その音に惹かれたのか、リビングから三毛猫が走り寄ってくる。我が家族の一員にして唯一の男の子。
「リリー!」
でっかいカボチャ頭が自分の名前を呼んだことに、びくりと身を震わせて足を止めるリリー。仔猫の頃から一緒に過ごしてきたが、可愛らしい名前を付けてしまったせいか、やたらと怖がりに育ってしまった。
「じゃーん。リリー、わたしだよー!」
みいが、カボチャの下から顔を出す。それを見たリリーは——、おお、目がまんまるになってる。
リリーはそろそろと近づくと、みいの周りを三周くらいしてから、寝転がって戯れ始めた。みいが家に来ていた頃はかなり懐いていたので、すぐに慣れるだろう。このまま相手を任せておくことにした。
「すぐ戻ってくる」
部屋に上がって、肩に掛けた通学鞄をベッド脇に寝かせる。
テレビも電気も付けてない室内は静かだ。
私は奧の勉強机に向かって歩いていく。小学生になったばかりの頃から、かれこれ十二年使っているシステムデスク。その最上段の引き出しの奧にしまっていたものを、制服の内ポケットに滑らせる。
「——これでいいのかな」
自分の口がぽつりと呟くのを聞いた。
その余韻が残る部屋を後にして、足早に玄関へと戻る。
リリーは満足したのか、丁度リビングに戻っていくところだった。尻尾を立てたお尻がキュートである。
「おまたせ」
「ママ! みいの荷物、ここに置いてくから。よろしく!」
「気を付けて行ってきなさいねー」
台所から響く鼻歌混じりの声に送られ、カボチャを抱えて家を出る。
夕陽に染まる庭まで、牛乳とバターの濃密な香りが漂っていた。
母が出ていくずっと前から、両親は離婚していたらしい。親権者はママだ。
中等部に入った頃、その辺りの事情をママから初めて聞かされた。
私が物心つく前の話は、ほとんど聞いたことがない。ウチにはずっと、両親の実家に帰るという習慣がなかった。おかげで自分の祖父母の顔を覚えてないくらいだ。
「駆け落ち同然だったしね」と、ママは懐かしむように話していた。
ママの抱える事情については、当時から共通理解ができていたという。そんな二人がどうして、結婚して、私を産んで、離婚するに至ったのか。経緯は不明だけど、さぞかし面倒なドラマがあったに違いない。
でも、母は突然に去っていった。少なくとも、幼い私にはそう見えた。
両親の仲が悪いと感じたことはない。むしろ良すぎたくらいだと思う。娘の前で平気でいちゃついていた記憶だってある。愛されて育った自覚もあるし、両親ともに見てくれが良いことは、私のささやかな自慢だった。
しかし、母は我慢していたんだろうか。一人娘を育てるため、色々なことに妥協しながら、何とか『家族』という形を維持し続けたんだろうか。
母の手が離れた瞬間を今でも覚えている。
十月三十一日は特別な、別れの日。
それを楽しい思い出に上書きするのは、一抜けしたみたいで母に悪いと感じてしまう。それに、母を追いかけなかったママを簡単に許してしまうみたいで、私自身も納得できなかった。
ハロウィンは嫌い。
それは、私の意地なのだ。
***続く***
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