その7
言い切った瞬間、針が刺さったように胸がちくりとする。自分の口から出たとは思えないほど乾いた、硬質な響きを持った拒絶。それは、たちまち場の空気を冷やす。
「でも、約束……」
思い余ったかのように、みいが一歩足を踏み出した。反射的に私も一歩下がる。
みいは約束が好きだ。でも、何でもかんでも約束事にして私を縛り付けるのは、少し鬱陶しい。
「約束なんて、みいが勝手にしただけでしょ」
視界の真ん中で、黒いマントを羽織った肩が小さく震える。
「——そーいうことじゃないよ! きょーちゃんの噓つき。忘れんぼ!」
「——っ!」
お腹の底がかっと熱くなる。その熱は頭のてっぺんまで昇ってきて、瞬く間に理性の一部を焼く。
「噓つきはそっちでしょ! 何が『きょーちゃんとじゃなきゃ嫌』よ。調子のいいことばっかり言って。私を振り回すのは——」
「嘘なんてついてない! ばかばか、分からずやぁ!!」
みいの湿った叫び声が、室内に反響する。
「泣いたって無駄よ、何度も言わせないで。これ持って早くどっか行ってよ」
「……やだ。絶対、連れてくもん」
それっきり、みいは口をつぐむ。ただ意志の強さを主張するように見つめてくる気配が、被り物を通して伝わってくる。でも、私だってここまで来たら引き返せない。
お互い無言のまま睨み合いが続く。
やがて、重苦しい空気に耐えられなくなったのか、後ろのカボチャ二人は、みいの後ろを通してひそひそと会話し始めた。
「どうしよう、何かどんどん険悪になってる……」
「青春ですなー」
どっちの声も丸聞こえだった。
「もう、ふざけてる場合じゃないって……」
「まったく、ガッツは真面目ですわね。せっかくのお祭りですもの、うんと楽しまなくてはいけませんわ」
「コンちゃんはやり過ぎだと思うんだけど。あと、キャラぶれてるから」
「いやー、声変わるのが楽しくて」
「コンちゃん!」
「冗談だよ。そんな怒るなって。みっちゃんがこのままじゃ、お祭りが台無しだもんな」
変声機をオフにしたらしい。初めて聞くコンちゃんの地声は、さっきまでの言動が嘘に見えるほど落ち着いていて、大人びた雰囲気を持っていた。
「ほれ、みっちゃん。あんまし遠山さんを困らせたらいかんよ。嫌われたくないよね?」
こくり。黙り込んでいたみいから、ささやかな頷きが返る。
「だったら今日は出直そう? ちゃんと仲直りしてさ。ハロウィンなら来年もあるんだから、ね?」
今度ははっきりと首が横に振られる。
「どうしても?」こくり。
「ワケあり?」こくり。
「それ、後でもいいから遠山さんに話しな。大事なところは言葉にしなきゃ、ただのわがままにしか見えないって。みっちゃんの悪い癖だぞ」
コンちゃんがみいの被るカボチャをぽこんと叩く。
もう一度縦に揺れるカボチャ。それでコンちゃんは納得したみたいだった。
「——だ、そうですよ。遠山さん」
みいの表情は被り物のせいで窺い知れない。しかし、たまに小刻みに肩を震わせていて、まだ泣いているのだと分かる。
何でこんなことになっちゃったんだろう。別にみいを悲しませるつもりなんてなかった。でも、ハロウィンだけは、どうしても好きになれないのも事実だ。その理由を話したことがある相手はみいだけだから、なおのこと理解してほしかった。
——それなのに。
「そんなの、勝手じゃない……」
みいは、ずるい。
これじゃあ、私が一方的に泣かせたみたいじゃないか。
「——あの、遠山さん」
今度はガッちゃんが躊躇いがちに話しかけてくる。再び物思いが中断される。
「みっちゃんは遠山さんとパレード行くの、すごく楽しみにしてたんです。今日だって、朝から遠山さんのことばっかり話してて。だから——」
「だから?」
「私からもお願いします。いつまでも意地を張らないでください。みっちゃんを一番よく知ってるのは、遠山さんじゃないですか」
やっぱり細くか弱いガッツさんの声。でもそこには折れそうにない芯が通っていて、私が必死になって塗り固めてきた壁に突き刺さる。
みいは私のことをどういう風に話したんだろう。去年までずっと一番近くにいた。そのくせ私は、みいがパレードに出ていたことすら知らなかったのだ。少なくともこの二人の方が、ずっとみいの気持ちを理解しているように思えてならない。
だったらやっぱり——。
「はぁい、そこまで」
私の頭の上に何かが載る。それが赤城の手のひらだと気がつくのに少し遅れた。黒いアイシャドウに縁取られた赤城の瞳がこちらを見下ろしている。
「赤城……」
「杏子の負けよ。ちょっと冷静になりな」
「何よ、知らないくせに……」
赤城も、ガッちゃんもコンちゃんも、私がハロウィンを嫌う理由を知らない。だから平気でみいの味方ができるんだと思う。でも、ガッちゃんの口にした言葉が、図らずもニアピンを取っているのも確かだ。私は意地を張っている。六年もかけて複雑に捩れた茨のように。
「そうね。ケンカの原因が、杏子の言ってる個人的事情ってやつだけなら、私も何も言わないわよ。でも、今回はそうじゃないように見えるんだけど?」
「それは赤城の勘違いよ」
本当は分かっている。
拗くれた茨に覆われているけど、『そうじゃない』部分こそが本質なのだ。しかし、追求した先は必ずあの穴ぼこに通じていて、なるべく見ないふりをしておきたい、私のアキレス腱でもある。今までそうしてきたし、それが正しいと思ってきた。
馬鹿みたいだ。苦しくなったから手放すと決めたくせに、未だにそれに苦しんでいる。
みいはどこまでも真っ直ぐで、ただ無邪気に私と遊びたいのだろう。そんな純粋さを相手にして、パラドックスを抱えている私の理が立つわけない。
「はぁ……。いいよ、私もパレード行ってあげる」
カボチャの奧からすんすんと鼻をすする音はまだ止まない。
私はみいのカボチャをそっと取り上げる。先程のような不意打ちではなかったけど、みいは抵抗しなかった。
「だから、泣くのはやめて。私が悪いみたいじゃない」
「うん、うん……っ! ありがとぉ!」
「まったく、ひどい顔して」
何年経っても変わらない泣き顔。
ポケットからティッシュペーパーを出して、みいの鼻に押し付ける。ずびーっと鼻水をかむ姿は、とても高三女子には見えない。
ミシンの走る音が控えめに響く。部屋の中にはいつの間にか、部員がちらほら集まってきていた。皆こちらの騒動は見て見ぬ振りで、思い思いに作業を始めている。その中には私のクラスメイトもいて、ばっちり目が合ってしまった。
明日何か聞かれたら嫌だなぁと思いつつ、小さく溜め息を吐いた。
***続く***
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