第85話:命令と対価

 魔王ベツバに召喚された悪魔【ディアイオロス】は、石棺にしか見えない宝箱に腰かけ直した。

 召喚主に命じられたことをやっと実行できるかと思いきや、獲物が逃げてしまったのだ。

 どちらにしても獲物は戻ってくることだろう。

 それまで、またここで待機しなくてはならない。


(やれやれ。難儀難儀。だが、それもよしよし)


 悪魔族、特に【上級悪魔グレータ・デーモン】以上の悪魔たちは、人間族とは大きく異なる価値観がある。

 召喚契約に基づき、「命令」と「対価」を受けとることを至上の喜びとすることである。

 しかしながら、「命令」と「対価」の重視度は悪魔によって異なる。


 対価が安くとも、難しい命令を受けることを誇りと感じる悪魔。

 命令がどうであれ、すばらしいと感じる対価を受けとることを喜びとする悪魔。

 興味がわく命令や、珍妙な対価を楽しむ悪魔。

 悪魔によって千差万別の好みがある。


 【上級悪魔グレータ・デーモン】以上の悪魔たちは、召喚術スキル使用時に提示された契約条件の好みにより、その召喚に自ら応じるのだ。


 今回、ディアイオロスが受けとった命令は、今の【精霊の径庭】に内にいる人間族をすべて殺せというものだった。

 否。正確には「最低でも3日間は、誰も迷宮の外に出すな」というものだったが、つまりは全滅させればいいわけである。


 この命令、内容的には面白みがない。

 レベル90の自分にとって、頭打ちレベル60の人間族など相手にならない。

 レベル70もいるとのことだが、数人いたところで大したことはない。

 範囲魔術スキルを使えば、一撃でほとんどの者を絶命、もしくは瀕死にすることができるはずだ。

 あっという間に、終わってしまうだろう。


 それでは、なぜ召喚を受けたのかと言えば、対価の方に価値を感じたからだ。

 その対価とは、「ベツバの邪魔をしない限り、現世で自由に存在する許可」である。

 なんとも面白い対価ではないか。

 絶大な力を持つ悪魔を現世で自由にさせるなどという、馬鹿げたことをやる者がいるとは思いもしなかった。


(楽しみ楽しみ。マスターが死ぬまで現世の時間を得られるという希有な機会、逃すわけにはいかぬ)


 悪魔族のいる高次元世界を説明するのは難しいが、一言で表せば「完璧」である。

 白紙のような世界において、望む物、求める事象のみが描きだされて、その中で自由に暮らすことができ、困ることはひとつもない。


 しかし、「完璧」であるが故に、生じない事象もある。

 それは「予想外」。


 思うままの世界で、想像外のことは発生しない。

 「想像外」を望んでも、それは「想定内」にすぎない。

 残虐な遊戯も、快楽に溺れる行為も、すべてが思い通り。

 一〇〇年もすればほとんどの欲望はかなえられ、数百年もすれば退屈をなくす方法も尽きてしまう。

 彼らにとって、その世界は「不変」であった。


 意思が薄弱な【下級悪魔レッサー・デーモン】は、そのようなことは考えないかもしれない。

 飽きもせず、完璧な世界を享楽するのだろう。


 しかし、しっかりとした自我のある【上級悪魔グレータ・デーモン】たちは、基本的に不死のため、その世界に存在すること自体が苦痛となってしまう。

 だから、【上級悪魔グレータ・デーモン】、もしはくそれよりも上位の存在は、変化に満ちた現世というものに憧れる。


 今まで「思うがまま」だった故に、「思うがまま」にさせてくれない「命令」は快感だ。

 「自由気まま」に飽き飽きしていたが故に、何者かに「従う」ことに悦びを感じてしまう。

 すべてが「代償なし」に得られていたが故に、他者から与えられる「対価」には特別な価値を感じてしまう。

 そして、それらを与えてくれる召喚主には、敬愛さえも抱いてしまう。


 ところが、悪魔にとって魅力的なこの世界に、自らの意志のみで来ることはできないし、居続けることもできない。

 現世に来て、存在し続けるには、契約という因果が必要となる。

 喩えるなら、召喚主はこの世界に留まるための楔であり、契約はその楔と悪魔をつなぐための鎖であった。


(楔と鎖を手にいれるためのわずかな退屈ならば、楽しんで楽しんで待つとしよう)


 ディアイオロスは、改めて部屋を眺める。

 灰色の石畳に、灰色の石壁。

 100メートル四方の正方形で、高さは30メートルほどしかない。

 ディアイオロスにしてみれば、なんとも狭い空間だ。

 喩えるならば、石の牢獄のようだ。


 しかし、不思議とディアイオロスは楽しくなってしまう。

 牢獄と喩えたが、ディアイオロスにとって悪魔の住む世界こそが真の牢獄だ。

 それに比べたら、これから変化が待っているこの場所は、なんと楽しい場所だろうか。

 ここでしばらくの不自由な時を過ごすことさえ、幸に感じてしまうほどである。


(おやおや? いらっしゃいましたね)


 どのぐらいの時が過ぎただろうか。

 やっと待ちわびた客が戻ってきた。

 しかも、先ほどよりも多い。

 開かれた門戸の前には、横に十数人が並んでいる。


「これはこれは。団体のお客様。ようこそ、人生最後の関門に」


 仰々しく挨拶をしてみせる。

 マスターから聞いていた話では、1~2パーティーがいいところだろうという話だった。

 ところが、見る限りでは4パーティーぐらいはいるのではないだろうか。

 これは楽しみが増えたと、自然と笑みがこぼれる。


「お待たせしたようで、申し訳ありませんでしたね」


 集団の中央に立つ男が応じてきた。

 最初に顔を見せたときにも話しかけてきた、レベルの低い人間のくせに挑発的な態度を見せたメインレイス族の男である。

 一見、ぱっとしないように見えるが、この人間たちの中ではもっとも強そうだと感じる。

 少なくともリーダー格である事はまちがいないだろう。

 ディアイオロスは、その男に向かって余裕を見せるように笑みを浮かべる。


「いえいえ。心を躍らせながら待つことができましたよ」


「……それは、意外でした。下賤な人間に待たされて、お怒りかと思ったのですが?」


「ああ……。なるほど、なるほど。先ほどは、私を挑発して冷静さを欠かせようとしていたわけですか。当てが外れましたね。どうやらあなたたちは、我々のことをあまりよくご存じないようですな」


「……恥ずかしながら」


「我々のような長命種は、短命なあなた方よりも慌てて生きてはいないのですよ。しかし、残念ですね。当てが外れたようで。で、私を倒す作戦は、始める前から失敗ですか?」


「その2点は否定させていただきましょう。僕たちは短命ではないようですし、作戦もまだ失敗しておりません」


 男に動揺は見られない。

 どうやら、言っていることは本当らしい。

 しかし、どのような作戦であろうと、結果は変わらない。

 数人ずつ入ってくるなら、個別に狙って殺せばいい。

 たとえ大勢が同時に入ってこようと、範囲魔術スキルで自分の元に来る前に全滅させることも可能だ。


「ほほう。まだ策があると」


「ええ。簡単な話ですよ。すでにこの部屋の出口は開いているのですから、誰か1人でもそこに飛びこめば僕たちの勝ちです」


「にひひひひ。面白いことを言う。出口には、私が封印結界を施していますよ。私が死なぬ限り、通ることはできません」


「ああ、大丈夫です。その結界1つだけなら、突破するスキルがあるんですよ」


「ほうほう。しかし、辿りつけなかった仲間は見捨てると?」


魂転たまころがし……【アトラクト・スプリット】というスキルで、危険地帯から安全地帯に魂を引っぱることができます。出口に辿りつけば、そこから辿りついたモノが魂転がしをして、その後に【リバイブ・ライフ】で復活させればいいわけです」


「にひひひひ。作戦と言うにはずいぶんと大雑把なことだ」


「そういうあなたこそ、ここで使命を果たしたあと、出ることができないのでは?」


「そのような心配は、ご無用ご無用」


 そう。

 確かにこのままでは、ディアイオロスは部屋から出ることはできない。

 しかし、マスターが再召喚してくれる手筈となっている。

 召喚された悪魔は、再召喚に応じることで、マスターの元にすぐにはせ参じることができるのだ。


「それに私のミスを探るよりも、大事なことがあるぞ、愚かなる愚かなる人間よ。貴様はひとつ、大きな大きなミスを犯しているのだよ」


「ミス……ですって?」


 ディアイオロスは、白い口髭に囲まれた広角をクイッと上げた。

 どうせなら、もっと楽しもう。

 この者たちを慌てさせて、もがかせて、そして絶望させて嗤ってやろう。


「貴様、先ほど『結界1つだけなら、突破するスキルがある』と申していたな。なるほど。確かに1つならば、そのスキルを使って突破できる可能性はあるのだろう」


 そう言いながら、ディアイオロスは少しふりむいてから片手を結界のかけられた出口に向ける。


「しかし、もしその結界が2重になっていたら、それを破ることはできるのかね?」


「――しまった!」


 リーダー格の男が狼狽する。

 その滑稽さを楽しみながら、ディアイオロスは封印結界のスキルをまた発動させる。


 ――が、その刹那のタイミングで人間たちの動きがあった。


 突然、リーダー格の男の周りにいた者たちが、一斉に部屋の中に駆けこんできたのである。


(――なっ!?)


 それに気がついた時は、もう遅かった。

 魔術スキルが発動しているため、範囲攻撃スキルを使うことができる状態ではない。


(私に、わざとスキルを使わせたのか!)


 たぶん、人間たちは最初から出口に飛びこむなどという作戦は立てていなかったのだろう。

 言葉巧みに結界スキルを使わせることで、突入タイミングを捻出させることが目的だったわけだ。

 あの「しまった」という台詞さえも嘘の芝居、というより合図だったのかもしれない。


(小癪小癪!)


 絶妙なタイミングで、真っ直ぐとこちらへ向かっている者が2人。

 黒いマントを羽織った男と、金色の鎧の女。


(されど、あまいあまい!)


 確かに封印結界のために、数秒のロスタイムが生まれてしまった。

 しかし、敵の隊列はまだ組まれていないし、相手の攻撃はまだ始まってもいないし、そもそも喰らったところで大したダメージにはならないだろう。

 正面から迫る2名の動きも速いが、効果的な攻撃を入れる距離にはまだ届いていない。

 さらに言えば、こちらの範囲攻撃さえ行ってしまえば、人数は半数以下になるはずである。


「小賢しい真似を!」


 まだ間にあうとばかり、ディアイオロスは不調法な攻めをしてきた者たちへ手を向けた。

 ただ、さすがに最大広範囲の魔術スキルは、発生が間にあわない。

 とりあえず、中規模な魔術を使って、中央から攻めてくる者たちをまずは滅ぼしてしまおうと考えた。


「死になさい!」


 ディアイオロスが発動した魔術スキルが、黒マントと金の鎧の二人に向けて放たれた……。

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