第83話:冒険者と悪魔

 ロストは、焦っていた。


 別に今までも、焦っていなかったわけではない。

 内心では焦燥していたし、不安も感じていた。

 それでも仲間にそれを悟らせないように、頭をフル回転させて平静を保っていた。

 望んでなったわけではないが、自分はパーティーの、ユニオンの、国の代表になった。

 なったからには、責任がある。

 それを簡単に捨てるようなまねはしたくない。


 もちろん国の運営と言われても、どうすればいいのか皆目見当もつかない。

 いざとなれば、実質的な国王の座は別の者に譲って、陰から見守る立場になればいいとも思っている。

 しかし、今はまだその時ではない。

 とにかく、体裁を整え、国内を少し落ちつかせる必要があるだろう。

 そして、国王にふさわしい者を探しだし、引き継ぎを滞りなく行うのが確実である。


 そのために今は、自分ができることをやればいい。


 だから、考え、推測し、考え、対策し、考え、策を巡らし、考え、実行してきた。

 それは、目の前のことだけではない。

 絶対的な時間がないため、このダンジョンの攻略を進めながらも、個人チャットやユニオンチャットを使い、できる限りの指示や人材採用の面談までも行っていた。

 それはロストにとっても、かなり無茶なことではあった。


 しかし、やらなくてはならない。

 そう。

 「自分ができることをやる」だけでは足らないのだ。

 「自分ができる限りをやりつくす」必要があった。


 その頑張りが功を奏してか、今までハズレの状況でもなんとか乗り越えることができてきた。

 もともと、ハズレを活かすのは得意なのだ。

 だからこれからも、そうやって乗りきっていけるはずだと信じて進んできた。


 ところが、ロストにとってあまりにも予想外の事態が起きていたのだ。


 いかにも人工物のローズウッド材を思わす壁面に、大理石の床は、ただ歩いただけでも音が響いた。

 だからロストは、自分のパーティー5人のみを引き連れて、ラキナに【スニーク・パーティ】というスキルを使ってもらい、音を殺しながら進んでいた。

 一定間隔で天井から吊されたランタンが導く先にある、ラスボスの部屋の前へ向かって。


 WSDのルールで言えば、この廊下は安全地帯のはずである。

 つまりトラップもなく、魔物が入ってこられないエリアだ。

 他の冒険者がいないはずの現状なら、警戒する必要性はない。


 しかし、ラスボスの扉が開いているとなれば、話は別である。


 扉が開いているということは、考えられるパターンは3つ。


 ひとつは、この場にいない別のパーティが、すでに先にラスボスの部屋に辿りついていたということ。

 そして、まだ全員が入っていないため、もしくは定員オーバーのために扉が閉じられず、ラスボスも現れていない状態。

 この状態で中に誰もいなければ、1分で扉は閉じられてしまう。

 つまり、中に誰かということになる。


 もうひとつは、すでにラスボスが斃されている場合だ。

 こちらの方が質が悪い。

 なにしろ、この高レベルのラスボスを斃せるほどの実力者たちが、このダンジョン内にまだことになる。


 ラスボスを斃すと、ラスボスの部屋から出口につながる扉が開くのが、このゲームのお約束である。

 そしてラスボスを斃して、このダンジョンを脱出した者達がいれば、その瞬間にダンジョン内にいるメンバー全員に、クリアされた旨の通知が来るはずなのだ。

 しかし、その通知は誰にも届いていない。

 つまり、その強者はラスボスを倒してクリアしたにもかかわらず、ダンジョン内に居座っていることになる。


 されど、規定の4パーティ以外のパーティが入っていることなど考えにくい。

 このダンジョン【精霊の径庭】は、今回のVSDEのため、カシワン領主【リーフ・カシワン】によって数日前から使用禁止になっていたはずである。


 ならば、誰が扉を開けたのか?


(さて。鬼が出るか蛇が出るか……)


 壁際に寄せたパーティメンバーに、ロストは目配せする。

 すると、5人が黙ってうなずいた。

 ちなみに、他のメンバーには後方待機してもらっている。

 自分たちになにかあったときに、フォローしてもらうためだ。

 それにレベルが高いこのメンバーなら、さらに不測の自体があっても、一番生きのびる可能性は高い。


 ロストはまずは1人で扉に近づき、扉の中央からもれる中の光をそっと横から覗きこんだ。


「――おお! やっと来たか哀れな哀れな人間ども!」


 正面から、喜々とした、それでいて重苦しさを感じる声が響く。

 ロストは思わず、一瞬とはいえ体を強ばらせてしまう。

 ラスボスの部屋の奥に、信じられない敵を見つけたためだ。


「にひひひ。待った待ったぞ! マスターの命令とは言え、まことにまことに退屈で仕方なかった!」


 石棺のような宝箱に腰かけていた、その敵が立ちあがる。

 一見、老人のような白い顎鬚、口髭に、モノクルまでつけている。

 離れているために正確なところはわからないが、2メートル以上はある身長。

 シルクハットにスーツをまとった男性の姿をしているが、額には2本の角をもち、手足が異様に長く、背中にはコウモリのような羽根。

 そして、注視することで見えた種族名は――。


(悪魔……しかも、人語を解する【上級悪魔グレーター・デーモン】族……)


 最初にロストの頭に浮かんだ言葉は、「ありえない」だった。


 ここは【精霊の径庭】という名の通り、ここに現れるのは精霊エレメント族の魔物のはずである。中ボスとして現れた固体名【悪夢紡ぐ面相】も、悪魔っぽいとはいえ種族名【デーモン・エレメント】となっていた。つまり、ベースは精霊エレメント族だったわけである。


(だけど、こいつは種族名【グレータ・デーモン】、固体名【ディアイオロス】……純粋に悪魔じゃないですか! しかも、かっこよさげな固体名もちとか。さすがにこれはルール無視が過ぎます、神さ……いや、違う!)


 そこでロストは根本的なことを思いだし、部屋全体を一瞬で見わたす。

 もし、目の前のデーモンがラスボスならば、部屋に冒険者がいない以上、扉は閉じられていなければならない。

 そもそもデーモンの背後には、廊下に繋がっている四角い穴がポッカリと空いていた。

 まずまちがいなくゴールへの道だろうが、その前には不思議な紫の光る紋章が、行く手を塞ぐようにいくつも空中に並んでいる。


(ボス部屋の出口が開いている。あの紋章は封印のようですが、あからさまに後付け。つまり……)


 信じられないことではあるが、ロストは推論した結果、この解答しか思いつかない。


「あなたが、このダンジョンボスを斃したのですか?」


 横でレアやフォルチュナたちから、驚倒する雰囲気が伝わってくる。

 それはそうだろう。魔物が魔物を斃すなど、イベントぐらいしかありえない。


 一方で、ボス部屋に居座る悪魔は、両方の口角をこれでもかというほどつりあげる。


「にひひひ。いかにもいかにも。エレメントはデーモンにとって狩られる存在ですからな。簡単簡単でしたよ」


「簡単……ですか。僕が今までの経験から類推していた、ここのラスボスは中ボスのレベルと同じでレベル85。攻撃力や防御力は中ボスと変わりませんが、倍以上のHPと底意地の悪い特殊攻撃をもっていたことでしょう。そのエレメントを斃したと?」


「おやおや。信じられませんか?」


「信じたくはないですが、状況的には信じるしかないでしょう。しかし、そうなるとあなたのレベルが問題です。デーモン族はエレメント族に有利とは言え、その差はレベル5のアドバンテージ。1対1で安全に斃すなら、10レベル差は必要。つまり、隠しているあなたのレベルは90以上ということになる」


「なかなかのご明察。しかししかし、せっかく哀れな哀れな君たちを怖がらせないよう、レベルを隠していたというのに、自虐的なことをするものぞ」


 そう言ったとたん、悪魔ディアイオロスの名前の横に「Lv.90」との表示が現れた。

 そのレベルは、WSDで戦うべき魔物にはありえなかった値だ。



レア≫ 冗談じゃないわよ。90って魔王級じゃない……。



 いつの間にかロストの横に来ていたレアが、顔をひきつらせてパーティ会話で話してくる。

 レアにもわかっているのだ。

 レベル85はギリギリなんとかなったとしても、レベル90には対抗できない。

 バフとデバフを重ねて攻撃を通すことはできるだろう。

 しかし、レベル90の攻撃に耐えられる者はいないはずだ。

 ほとんどの者は1撃死、ロストでも2撃で沈められてしまうはずだ。



デクスタ≫ しかも、自分の意思でレベルを隠すことができるNPCなんて聞いたことありませんですわ!



 さらに反対側には、いつのまにかデクスタとシニスタ、そしてフォルチュナまでもが中を覗きこんでいる。



シニスタ≫ い、今はNPCではない……けど、そ、そ、そんなことができる……ほどの自由意思がある……なんて。



フォルチュナ≫ そもそも【グレーター・デーモン】は、設定上の存在でシナリオに少し顔をだす程度でしたよ。敵としては、【レッサー・デーモン】ぐらいしか出ていなかったはずです。



 みんなの言うとおり、あまりにも奇異な存在である。

 少なくともWSDでの常識が当てはまらない要素が多すぎる。


(これは……たぶん、そういうことですか……)


 ロストの頭の中で、いくつかの事柄がつながるが、今はそれよりもこの場をどうするかということを考えなければならない。

 相手がその気になれば、こちらを全滅させることなど簡単なことなのだ。


「さあさあ。このわたくしを斃さなければ、この先には進めませんよ。出口には、私の魔術スキルで封印をしてありますからね。早く早くわたくしを斃しにいらしてくださいな」


 そう言いながら、ディアイオロスはその手に魔術向けの両手杖スタッフを出現させる。


(アイテム・ポーチまで扱えるなんて、もう人間の冒険者と変わらないですね。これは、さすがに……)


 打つ手が思いつかない。

 せめて時間があれば、対策も立てられるかもしれないが、このまま戦闘になれば後は地獄絵図が待っているだけだ。

 こんなダンジョンの奥地で全滅すれば、復活の望みもないだろう。

 せめて、後方待機している部隊だけでも前のマップに逃がすべきかもしれない。


(追いかけられてしまえば意味はないですが……あれ?)


 ふと、そこでロストは違和感を抱く。

 はっきりとはわからないが、なにかおかしい。

 なにか?

 たぶん、おかしいのは


「やれやれ。往生際の悪い悪い。わたくしは待ちくたびれているのですから、あきらめてわたくしに殺されにきなさい」


 ディアイオロスの言葉に、ロストはハッとする。

 そうだ。

 やはり、この状況はおかしい。

 


「……そんなに言うなら、僕たちを殺しにこちらに来たらいいのではないですか?」


 ある結論に達したロストは、それを確かめるために挑発する。

 その挑発に、フォルチュナが慌てて肩に手をのせて止めてくるが、ロストはそんな彼女に大丈夫だと微笑を送る。

 否。大丈夫だと言う自信があるわけではない。

 しかし大丈夫ではないなら、どちらにしてもここで終わってしまう。


「あなたのレベルなら、僕たちなど簡単に殺せるのでしょう?」


「…………」


 ほんの少しだけ、ディアイオロスに動揺がうかがえたような気がした。

 それは希望的観測かもしれないが、ロストは強気で攻める。


「さあ。ここに全員いますよ」


「おやおや。だからと言って、なぜこのわたくしがわざわざ下賤な人間のために動かなくてはならないのですか?」


「だってあなた、『待ちくたびれた』と仰っていたではないですか。それとも……のですか?」


「…………」


 ディアイオロスを口を噤む。

 それでロストは確信する。


「やはり、そうですか。この廊下は、安全地帯。魔物は攻撃どころか侵入もできない。あなたの存在が、あまりにもイリーガルなために忘れそうになっていましたが、あなたもダンジョンのルールには縛られるようですね」


「……それが、どうかしましたか? どちらにしてもどちらにしても、あなたたちはこの部屋を通らない限り脱出することはできません」


「そうですね。しかし少なくとも、この部屋にいつ入るかを選ぶ権利は、僕たちにあるということです」


「どんなに策を練ろうと無駄無駄ですよ」


「さて。それはどうでしょうね。僕はあきらめが悪いので」


 ロストはわざと挑発するように、踵を返して無防備な背中を見せる。

 相手を怒らせることで、冷静な判断をさせにくくするのは常套手段だ。


(ここで時間をかければ、イライラもするでしょうしね。時間をどう使うか、それが僕たちの勝ち筋ですから……)


 ロストはそのままパーティメンバーを連れて、後方待機している仲間達の元に歩いて行った。

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