Quest-008:影の囁き
第76話:女王と領主
ロストたちがダンジョンに入る前日。
女王【シャルロット・オ・イストリア】は、自分の居室にて部下である【レイ】と2人で話していた。
シャルロットにとってレイは、ある意味で最も心を許せる相手であり、現時点においてはもっとも重要な人物だった。
そして、その関係は周囲の誰にも知られるわけにはいかない。
「それでシャルロット様。本当に行かせてよかったんっすか? 他国に知れたら……」
単なる冒険者であるレイだが、女王と向かいのソファに座って同じ四角いテーブルを囲んでいる。
「だからこそ、内密に送ったんじゃない。それにこの世界には、【ムーブ・ホームポイント】もあるわけだし」
女王シャルロットは、ウォルナット調のフレームに赤い革で作られたソファの肘のせに頬杖を付きながら気楽そうに語る。
「まあ、なにかあってもすぐにもっどって来られるから大丈夫でしょう」
「と言っても、ダンジョンから近くのムーブポイントまでは少し距離があるっすよ」
「そのぐらい大丈夫よ。ゲーム中では戦うことなどなかったけど、騎士将領の【シュウ・クリムゾン】は英雄に次ぐレベルの70に設定してあります。多少のことなら耐えてくれるはずですしね」
「今では英雄に次ぐレベルは、ロストさんっすけどね……」
「ああ、そうでしたね。でも、あの人のレベル上げ速度、異常じゃありませんか?」
シャルロットは頬杖のままで小さくため息をもらす。
「今、レベル60が稼げる敵なんて、ビスキュイの森と、【リリース・リミットレベル60】のクエストの近くにあるダンジョンぐらいでしょう。それをまあ、よくやりますよね」
「確かにビックリっすよ。ただ、それだけ必死というこじゃないっすかね。……ってか、女王。態度と口調が女王らしくないっすよ」
「勘弁してよ。宰老たちを納得させるために、精神すり切れているんだから。
そうなのだ。
つい先ほどまで、やれ会議だ、やれ執務だと大忙しだったのだ。
やっとできた休憩時間ぐらいはゆっくりしたい。
表向きには執務を今もしていることになっている。
「ああ。やっぱり反対されたんっすね。でもまあ、半端な部隊を送りだしても意味がないっすからねぇ。ロストさんの予想が正しければ……っすが」
「そうですね。相手はNPCではなく、歴とした人間。しかも欲望にまみれた。何をしてきても不思議はありませんから……」
「まあ、そうそうロストさんがやられたりはしないっすよ。あの人、ヤバイほど企むしレベル高いし。ロストさんに引っぱられて強くなった、お仲間からの信頼も厚いっすから」
「確かに、そうそう死にそうにはありません。それこそ、魔王が直接、攻撃を仕掛けてきたり、とんでもないレベルの敵でも現れない限りは」
「ああ。それ、フラグっすよ、女王。フラグ、立てちゃったっすね」
「ふふふ。そんなわけないですよ」
シャルロットは、レイの笑い話を笑い、束の間の休息を楽しんだ。
§
全パーティーがダンジョン【精霊の
(結果などわかりきっているからと、無責任なことよ)
その様子を思いだし、カシワン領主【リーフ・カシワン】は、拠点に設置された指令部天幕内の椅子で鼻を鳴らす。
天幕の中、今は1人で静かなものだ。
カーキー色の天幕は、朝方の陽射しが透き通りほどよく明るい。
気温もわりと温暖で、気持ちよく過ごせる。
しかし、リーフの気持ちは穏やかではなかった。
どちらかと言えば、興奮していた。
40年近く生きてきて、これほど胸が高鳴る経験は初めてだった。
(チバルスのやつは、おいしい汁だけかすめ盗ろうという魂胆だろうがな……。本当にあまいジジイだ)
目の前の大きな簡易テーブルに広げられた今回の
勝てば、元ノーダン領はサウザリフ自由同盟の領土に戻る。
チバルスにしてみれば、ノーダン領を誰が収めていようが、同盟のものになればあまり関係のない話ではある。
ただし、たとえばカシワン領がまるまるノーダン領を手にいれるのは好ましくないと思っているはずだ。
無論、カシワン領の力が強まりすぎるからだ。
だからこそ、他の2つの領主も巻きこんだ戦争にしたのだろう。
(そう思い通りにはさせぬよ)
そもそもサウザリフ自由同盟は1つの国の体をしているが、実際は複数国家による連合体だ。
【領】という名の小国同士は互いに協力関係にあり、同盟以外との諍いがあれば協力するし、大まかな共通の法もあるが、領ごとに細かい独自の条例があり自治管理されている。
同じ国内でありながら、他の領地とは常に競い合っている。
そして他の領地との差は、豊かさと土地面積で計られる。
(どいつもこいつも、商人として、まだまだあま過ぎるのだよ)
目の前の契約書には、ヤーマストレイ領主とアービコック領主のサインも入っている。
もちろん、その2人も同じ契約書を持っているが、調印後は内容を確認したりはしていないだろう。
「くっふっふっふっ……。まさか、全滅するとは思ってもいないであろうからな。……しかし、手筈はうまくいっているのであろうか」
思わず漏れたリーフの独り言。
しかし、それに答えが返る。
「すでに仕掛けは終わっている」
「――っんなっ!?」
金色の長髪を振り乱して、声がした右後ろを振りむく。
するとそこには、人らしき形をした黒い影が陽炎のように立ちのぼっていた。
そして見る見るうちに、実体化していく。
深くかぶり口許しか見えない黒いフード、黒いマントで身を包んだ、長身の男だ。
「こっ、これは魔王ベツバ様!」
リーフは慌てて椅子から立つと、畏怖すべき影に向かって両膝をついて頭を垂れる。
女中たちからもてはやされる容姿を一瞬、大きく崩したことをおくびにも出さずに口許を引きしめて。
「すでに仕込みは終わっている。これでこちらの契約はすべて履行した」
影の魔王の重厚さを感じる声に、リーフはさらに頭を低くした。
「はっ、ははぁ。誠にありがとうございます。魔王様直々にお力をお貸し頂けるとは、恐悦至極に存じます」
「なに。我にもアレは邪魔者だったからな。あとは、成功後に報酬を払ってもらえばよい」
「もちろん、心得ております。魔王ベツバ様には、契約書の偽装までして頂き、感謝の言葉もございません。我々では、スィーティア様の契約書を偽造することなどおこなえぬ為、非常に助かりました」
通常、神の名を記載した契約書に、加護を受けている者が不正を働くことはできない。
しかし、逆に言えば加護を受けていないものであれば、それができる。
だから光の母神を信仰するリーフは、ベツバに依頼して契約時に契約書に書かれた重要事項の一部を領主2人とチバルスから視認できないようにしてもらったのだ。
ちなみに一般的な人間族は、光の母神【スィーティア】を信仰しているが、他種族が混ざった冒険者などは、創造神【クリア】を信仰していることが多い。
これが神の最上位であるクリアの名を記載した契約書であれば、偽装などできなかったことだろう。
「奴らはまんまと『全滅したときに親の総取りになる』という記載には気づかずサインしていきました。これで魔王様の仕掛けで全滅してくれれば予定通りです」
このダンジョンをクリアするには、最速でも8時間。長ければ12時間ぐらいはかかってしまう。
しかし、その時間をただ待っていさいすれば、広大な領地が手に入るのだ。
もちろん万が一にも備えて、このダンジョンの周りには多くの戦力を集めてある。
さらにここから逃がさぬ工夫も、リーフは抜かりなくしていた。
「しかし、魔王様ならば直接、あやつらを殺めるのもたやすいことでしょう。なぜそうなさらなかったのか不思議でございます」
「こちらにも思惑があってのこと。お主には関係ないことだ」
その魔王の言葉には、少し苛立ちのような怒りが含まれていた。
リーフは慌てて謝罪を述べる。
「これは大変申し訳ございませんでした。わたくしの様なものでは魔王様の遠望深慮を計り知るのは難しく、お許しくださいませ」
「よい。それでは我は一度、ここを去る。あまり長居すると、あのイストリアの英雄に気づかれるからな……」
「イストリア……ああ、【ミミ・ナナ】様にですか?」
「あの者は、魔の者の探知に優れておる。あの者、というより胸のヒヨコバッチだがな……」
「ヒヨコバッチ……ですか?」
「まあ、それはいい。あとはうまく事を進めるがよい」
「はっ。畏まりました」
その返事を聞くと、影の魔王はまた影へと戻っていた。
(まさか魔王の力が借りられるとは……)
接触を図ってきたのは、向こうからだった。
恐ろしい相手ではあるが、影の魔王の軍勢と八大国は表向き争っているわけではない。
魔王と言えど、表だって敵対しているのは3つの勢力だけだ。
何を考えているのかわからないが、今のところは自分にとって不利な条件はない。
多額の報酬を要求されては居るが、それも領土を得ることができれば決して高くはない。
(今、流れはわたくしに向いている。これだけの領土が得られれば、チバルスを追いやることも夢ではなくなる……)
リーフは抱く野望に、心を躍らせるのであった。
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