第68話:冒険者
「まさか……あんなのが出てくるとは……予想外……でした」
その言葉は息切れして、途切れ途切れだった。
HPはすでに満タンのはずだが、さすがの雌雄も精神的に疲れを隠せないようだ。
岩肌の壁にもたれかかり、すっかり地べたに腰をおろして、胡座をかいている。
きれいにまとめてあった三つ編みはほどけ、トレードマークのようになっていた黒いリボンは外れてしまっていた。
おかげで、落ち武者のように髪がバサッと前に垂れさがってしまっている。
アイテム・ストレージからリボンをだして、髪をまとめる元気もないらしい。
しかし、それはナオトも同じだった。
彼もまた地べたに座りこみ、両脚を開いて伸ばしている。
疲れた。
だが、体は全身に余剰な熱を蓄えたように熱い。
おかげで背もたれ代わりの岩肌が、背中に冷たさを伝えてきて気持ちがいい。
(ああ、気だるい……)
ゲーム時代にも精神的な疲れはあった。
もちろん、それはリアルの精神でゲームとは関係がなく、ゲームの肉体であるキャラクターに現れることはなかった。
リアルの心と、ゲームアバターの体はあくまでデジタルで間接的にしか繋がっていないため、精神的に疲れたから座りたいとはならなかったのだ。
しかし、今は精神と肉体は直結している。
おかげで精神的疲労感も肉体へ、もろにフィードバックされている。
(リアルと変わらないな……って、当たり前だよね)
未だ自らをとりまく環境になじめていないことに、ナオトはため息をついて自嘲する。
ここが現実だと、心の底から理解できていないのかもしれない。
否。それはたぶん自分だけではないはずだ。
多くの者が心のどこかにゲーム感覚を残していると思う。
だからこそ、戦えてしまうのではないだろうか。
だからこそ、「死」というものを軽く考えてしまうのではないだろうか。
軽減された痛みを感じる死など、ゲーム感覚そのものではないか。
(これで、この世界で死んだのは3度目……)
ゲーム感覚、それでも「死」はやはり怖い。
特に今回の「死」は、「助からない」というリスクによる恐怖があった。
HPが0になる瞬間、「死にたくない」と本気で願ってしまった。
もし死んだまま、ラキナが復活させてくれなければ、本当の死を迎えたはずだからだ。
だが、そうはならなかった。
凶悪なデーモン・エレメントは全員のHPを0にすると、また床に紋章を表示させてその中に吸いこまれるようにして消えていった。
その後、入り口の扉が開きラキナが1人ずつ蘇生していったのだ。
部屋に生きている人数が6人にならないように、一人ずつ。
しかも、まず最初に蘇生されたのはナオトだった。
MPが多い者から蘇生するのは、WSDでは当たりまえのフローだ。
こうすることでパーティー全体の回復を早めることができる。
おかげで今は全員そろって、中ボス部屋手前の廊下で休憩中というわけである。
(でも、あんなの……回復しても倒せるわけがないよ)
レベルも高レベルだが、それよりも敵の攻撃パターンがわからず対処ができなかった。
普通は、盾役のタンクが注意をひきつけているうちに、アタッカー役の者が攻撃する。
その際、アタッカー役はタンク以上にヘイトを溜めないように攻撃をくりかえす。
そのルーチンにより、攻撃力を犠牲にして防御力を上げたタンクに敵の攻撃を集めて、防御力を落として攻撃力を上げたアタッカーが攻撃に集中できるのだ。
しかし、中にはそのルーチンにはまらない魔物がいる。
まるで意志があるように、NPCのような自己判断でターゲットを決めて攻撃してくる魔物や、独自の判断パターンでターゲットを決めて攻撃してくる魔物だ。
今回のは、どうやら後者のようなのだが、後者は判断内容がわかれば容易だが、わからないと前者よりも厄介となる。
(ダンジョンから出てアイテム・ポーチの中身を補充できるならまだしも、限られた薬だけで何度もアタックはかけられない。というか、大ボスもいるはずだから、あと1回がいいところだよなぁ)
防具や武器などの装備品や一部アイテムなどをしまっておける、大容量のアイテム・ストレージに対して、薬やその素材などの消耗品をしまっておけるアイテム・ポーチは容量的にかなり小さい。
ダンジョン攻略は、このアイテム・ポーチのリソースとの戦いにもなる。
場合によっては、別の補給パーティーを用意して戦いに参加せずに随伴してもらう作戦もあるが、今回はそれもできない。
手持ちのリソースで賄うしかないのだ。
「これ、さすがに無理じゃねぇですか?」
副リーダーの御影が雌雄に向かって尋ねた。
彼は両眉の端を落として、口許はなぜか笑みを浮かべたような顔をしている。
「そうだなぁ~。さすがにおれも、無駄と思うなぁ~」
リンスも同意だとばかりに肩を落とす。
派手な見た目が、今は少し控えめに見えてしまう。
そんな2人の言葉を聞いた雌雄は、しばらく黙考してからシュガーレスの方に顔を向けた。
「……老師は、どう思われますか?」
「そうじゃなぁ……」
すると今まで座っていたシュガーレスは、ひょいっと跳ねるように立ちあがる。
そして体を捻って柔軟体操を始めた。
「
「ええ。あれは必中効果ありですね」
「あれに耐えるには、事前に強力な魔法バリア……なんと言ったかのぉ?」
「【カット・ダメージ】ですか?」
「ああ、それじゃ。あれのレベル5ならば、40%のカットができるのじゃろ?」
「可能です。しかしながら、効果時間が短い上に消費魔力が高い。全員に使用するのは無理でしょう」
「ふむ。あの攻撃を食らってしまうと、わしや雌雄でも瀕死、後衛は即死じゃったからな。耐えられるのは、レア嬢ちゃんぐらいときている。あれをしのげれば勝機もあろうが……」
「そのとおりですね……。生き残っても回復も待っていられないから、自分で薬を飲むしかなくなりますし」
「まあ、せめてもう少し全員、レベルが高ければよかったかのぉ」
「マジ、それですわ。ああ、【エクスペリエナジー】を大量に売ったことが悔やまれるじゃんかです」
御影が自分の角を握って頭を抱え込む。
確かにそうだと、ナオトも悔やむ。
薬系アイテム【エクスペリエナジー】とは、飲むだけで経験値を得られるエナジードリンクのようなものである。
もともとは初心者救済用で、ある簡単なクエストをこなすと、報酬として金と【エクスペリエナジー】をもらえた。
戦いに行く時間がない初心者は、毎日そのクエストをこなすだけで、資金と経験値を得ることができたし、すでにレベルキャップを迎えて経験値のいらなくなった上級者は、【エクスペリエナジー】を売ることで小金を稼げたわけである。
おかげでユーザーが商品を売りに出す競売システム上には、たくさんの【エクスペリエナジー】が出品されていたのだ。
ところが、ゲーム中は何度もくりかえすことができたそのクエストも、こちらの世界になってからはストーリー設定的にもう発生しなくなってしまっていた。
「そう言えばぁ~。わりと早い時期に、なんか【エクスペリエナジー】が市場からすべて消えたらしいわいなぁ~」
「ああ、その話は知ってやがるですよ。【リリース・リミットレベル60】が見つかる前に、一瞬で消えやがったらしですな」
リンスに御影が続く。
その話は、ナオトもかるく知っていたが、【リリース・リミットレベル60】が見つかる前だとは知らなかった。
その頃はみんな自分がこれからどうやって生きていくのかで大慌てだったし、そもそもレベルキャップがほとんどだから【エクスペリエナジー】など必要なかったはずだ。
キャップしていないものなら欲しがるだろうが、レベル上げ途中のプレイヤーが買い占めるほどの資金があるとは思えない。
「買い占めですか……。それももしかして、貴方たちなのでしょうか、レアさん?」
雌雄がやっと髪をまとめながら問いかけた。
「【リリース・リミットレベル60】を見つけたレアさんやラキナさんのパーティメンバー。あなたたちは、事前に【リリース・リミットレベル60】があるとの確証を得て、【エクスペリエナジー】を買い占めておいた……とか?」
確かに雌雄の推測は可能性が高いと、ナオトも納得してしまう。
いや。経験値が欲しくなるなど、一番最初に50を超えたレアたち以外にありえないだろう。
しかも、すでに60を超えているともなれば、それしか考えられない。
「まさか、ですわ」
しかし、レアはそれをとんでもないとばかりに首を横にふって否定した。
「わたしが、努力すれば手に入るものにわざわざ自腹切ると思いますの?」
「そうなのですの! レア様はそんなものに金をかけることはありえないのですの!」
ラキナも太鼓判とばかりに断言した。
ナオトもよく考えてみれば、レアがそういうことにお金を使うタイプだとは思えない。
「そういうことですわ。少なくともわたしは、買い占めたりしていません。だいたい、そんなことに大枚をはたくのは、よほどのバカか、それとも……」
「それとも?」
「……そんなことより、今は目の前の中ボス対策ではなくて?」
レアが横道にそれた話題を唐突に戻す。
とたん、空気が重くなる。
誰しも絶望から目を背けたくなるものだろう。
「中ボスクラスは、倒せば宝箱から補給物資も手に入ることは多いですわ。この世界でもその法則がある事は他のダンジョンで確認済みですし。奴さえ倒せば、先は見えますわ」
「で、でも、レア様。あんなのを斃せるわけ……」
ナオトは思わず反論してしまう。
いくら強いレア1人がいても、このパーティーではどうにもならない。
先ほどシュガーレスも言っていた特殊攻撃は、ターゲットが誰になるかわからないのだ。
そんなの回復役としてサポートしきれない。
「ラキナ、どうなのかしら?」
しかし、レアはナオトに答えず、ラキナに尋ねた。
するとラキナは、事もなしにうなずく。
「たぶん、いけるかと……」
「――なっ!?」
御影、リンス、そしてナオトも目を見開く。
「さすがに戦闘時間も短いですし、1回しか見てないから50パーセント程度の確立ですが……みなさんの【
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
思わずナオトは口をはむ。
「ラキナさん、あなたはあの特殊攻撃の対策が立てられたと言うのですか!?」
「なんとなくですが、パターンはわかりましたの」
「うっ、うそだ……あれだけでわかるわけ……」
「攻撃周期は、約3分」
答えたのは、背後にいた雌雄だった。
「ただ、時間に関しては何度か不定期なタイミングがありました。わたくしがわかったのはここまで。ターゲットの法則性までは読めませんでした」
「3分……」
ナオトは驚く。
雌雄は全体の指示、そして回復に攻撃にと忙しく動いていた。
それなのに彼は、攻撃間隔をある程度、掴んでいたらしい。
対して自分は、ほとんど回復専門だったというのに、3分という数字に気がつくことさえできなかった。
さすが
「3分は基本ですが、弱点に9回攻撃を当てると、時間に関係なく特殊攻撃が発生していると思われますの」
「――なっ!?」
しかし、ラキナの分析はもっと細かかった。
もし正しければ、あくまで正しければだが、あの単時間で起きた多くの事象を頭の中でカウントしていたことになる。
(う……うそだ……)
ナオトとしては、信じがたいことだった。
いや、信じたくはなかった。
だが、横では雌雄や御影たちまでも、ラキナの分析を支持するようなことを言いだしている。
「なるほど……ありえますね」
「そう言やぁ、弱点攻撃が成功した時に発生していた気がしやがるですよ!」
「ああ~。確かになぁ~。それなら腑に落ちるというものですな~ぁ」
「――そ、そんなの信じられない!」
だから、ナオトとしては正面から否定するしかなかった。
このパーティーの一番優秀な回復役は自分なのだと。
その誇りが、ラキナを認めないと言っていたのだ。
「いくら外野から落ちついて見ていたからといって、あの戦闘を一度見ただけで……」
「別に外野ではなくて、戦闘に参加していてもこのぐらいならわかりますの」
「み、見栄をはらないでくださいよ! そんなわけ……」
「ボクはわかりますの。それだけの経験を積んでいますの」
「ぼくだって経験は積んでいる! 攻略サイトを読み込んで知識もたくさん詰めこんで勉強して、練習して……」
「……なるほどですの。
突然、ラキナに指をさされて、ナオトは一歩後ずさってしまう。
真っ赤な短い髪の下にある丸く愛らしい顔。
しかも、少し弱々しい感じの控えめな両目。
だというのに、その眼光は強い。
そしてその強さは、殺意とか威圧とかそう言うものではなかった。
確固たる自分の力に対する自信を感じさせた。
(な……なんだよ、こいつ……)
もちろん、ナオトにも自分の力に強い自信がある。
しかし、違う。
質が違うのだ。
ナオトに宿っている自信は、誰かから認められることで得られるものだった。
一方でラキナに宿っている自信は、まるで彼女の中からふつふつと溢れだしているかのように感じられるのだ。
他者を必要とせず、自身の信心から生まれる自信。
その無尽蔵に生みだされる力に、ナオトは圧倒されてしまう。
「
「ど、どういうことですか!?」
「あなたは立派な挑戦者かもしれませんの。でも、真の冒険者とは言えないかもしれないですの」
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