第32話:レイの報告書①
ステルス系と呼ばれるスキルは、組み合わせることで姿が消えるだけではなく、音も臭いも消すことができる。
短時間ではあるが、これで魔力探知がある魔物以外に、見つかることはない。
これらのスキルは、普通にショップでスキルエッグとして手に入る。
しかし、レイのもつ管理者特権スキル【ステルス・パーフェクト】は、さらに魔力探知にも引っかからないし、レーダーにも映らないし、どんなプレイヤー検索にもフレンドリストにも現れなくなる。
しかも時間制限なし、使用間隔も0秒なので、たとえ外的要因で効果が切れても連続して使用できる。
だからこのスキルを使えば、レベル50がソロで歩くのには危険な、このビスキュイの森を踏破するのもたやすいと思われた。
(だけどなぁ……雨は……)
【ステルス・パーフェクト】という名前ながらも、実は雨や雪などには干渉されるのだ。
これはスキルを発動させても、
オブジェクトに影響を与えることができるのだから、オブジェクトからの影響は受けてしまう。
そのため雨が降れば、体の形に水滴が跳ねたり流れたりして丸見えのようになる。
当然、足跡も残りやすい。
魔物はその状態でも認識しないのだが、プレイヤーにはもちろん気がつかれてしまう。
レイにしてみれば、「パーフェクト」にはほど遠いスキルだ。
(雷の下月19日……もう少しで梅雨も明けるっていうのに。なーんか、あの人には逆らえないんっすよね)
彼の予定では、梅雨が始まる前か、終わってから来るつもりだった。
そうすればグショグショに濡れることもなかったし、こんなまぬけな丸見え状態になることもなかっただろう。
しかし、レイの上司は「プニャイド村を見てこい」と言ったにもかかわらず、同時に別の業務をわんさかとよこしてきたのだ。
おかげで出発が遅れて梅雨入り。
梅雨明けまで待とうとしていたら、「早く調べてこい」という不条理さである。
(はぁ……。異世界に来たら、今までのしがらみを捨てて、スローライフができるのが定番じゃないんっすか、神様?)
しとしとと降る雨の中、カッパのようなものをかぶってひたすら森の中を歩く。
本来ならば、【ムーブ・アドミンポイント】という管理者スキルで、どこへでも簡単に行けるはずだった。
しかし、プニャイド村は未開放エリアのため、アドミンポイントのリストに登録されていないのだ。
(歩きにくいし、視界は悪いし……)
今、歩いているところは、もともとは馬車が通れるぐらいの街道だったのだろう。
しかし、今では馬車どころか、人間が歩くのも大変である。
伸びきった雑草や、倒木などがあり、獣道さながらの足場の悪さだ。
それでも道が伸びる方向はわかるし、ここを歩いていれば迷うこともない。
このまままっすぐ行けば、隣国のサウザリフ自由同盟の領土にたどりつくはずである。
そして問題のプニャイド村は、その途中にあるはずだった。
(もう少しっすかね。マップは……と)
フローティング・コンソールでマップを開く。
自分の位置を確認し、プニャイド村を確認する。
そのタイミングは最悪だった。
しばらくレーダーから目を離していたため、彼は自分に高速で近づく魔物がいることに気がつくことができなかったのである。
そして雨は、視界だけではなく、音までも遠ざける。
だから、草をかき分ける音が聞こえたと思ったときには遅かった。
「――ぐはっ!」
背後から斜めに衝撃が走り、弾かれるように突き飛ばされる。
ぐちゃぐちゃの土の上を何回転かして、レイの体はそのまま地面に仰向けになる。
「……っつ……」
背骨が折れたかと思うほどの激痛で、悲鳴が声にならない。
あまりにとっさのこと過ぎて、自分に何が起きたのかわからなかった。
「いった……い……なに……」
混乱する思考で、チカチカする視界をなんとか確保しようとする。
すると、普段は非表示になっている緑のバーが左隅に表示されていた。
なぜと問うが、理由は単純。
HPが半分近く減ってしまっているからだ。
そのため非表示だったHPバーが、警告のために自動的に表示されているのである。
(まさか……不意打ち判定でクリティカル……敵っすか!?)
【ステルス・パーフェクト】の効果が切れるパターンは、3つある。
ひとつは、自らその効果を切ること。
ひとつは、別のスキルを使ったり、攻撃行為を行うこと。
そして最後のひとつは、別のキャラクターや魔物に触れる、もしくは攻撃を受けることである。
(ええっと……つまり……ヤバいっす! もう一度、ステルス――)
「――うわぁ!」
突然の出来事と痛みで、レイは判断力を完全に鈍らせていた。
少なくとも痛みを伴わないゲーム時代なら、こんなとことはなかっただろう。
もう一度、【ステルス・パーフェクト】を素早く使っていたはずだった。
しかし今は、使う前に何かに全身を絡め取られてしまう。
慌てて首を動かすと、少し離れた所にいたのは全長3メートルはありそうなイノブタ型の魔物だった。
背中からは植物の
その内の2本が、レイの体を束縛していたのだ。
(バイン・ピッグ……)
伸縮する蔓で捕らえた獲物を引きよせて喰らう、
体に蔦が完全に絡んでしまうと、武器の使用が難しくなる。
さらに締めつけで、体力が少しずつ削られる。
ソロではリスクの高いタイプの魔物で、しかもレベル60。
(まずいっす!)
また減るHPの緑色。
ぞっと血の気がひく。
蔦を背中からだしているときは、バイン・ピッグは歩くことができなくなる。
そのため、泥水と一緒に少しずつ引きずられる体。
ぞぞぞっと血の気がひく。
初めて味わう死の予感は、雨に打たれるより体を冷たくする。
(わい、ここで死ぬ……喰われて死ぬっすか!?)
この魔物をデザインした奴はいい性格をしていると思う。
蔦は急激に引きよせたりしない。
じわじわ、じわじわと獲物を引きよせる。
本来は、脱出チャンスのための時間なのだろうが、今のレイには脱出に使えるスキルもなければ、助けてくれる仲間もいない。
おかげでじっくりと恐怖を感じることができた。
(せめて、部長にチャットで――)
助けが間にあうとは思えないが、彼女ならリバイブぐらいは手配してくれるだろう。
そう思って覚悟を決め、連絡をしようとした。
矢先だった。
――ザクッ!
小切れよい快音と共に、蔦の締めつけて引っぱる力が急に弱まる。
「へっ?」
レイは唖然としながら、魔物の方を見る。
すると魔物の正面に、1本の剣が地面に突き刺さっていた。
その剣が、レイを縛る蔦を断ち切っている。
さらに、もう1本。
雨に交じり、天空から剣が降ってくる。
今度はそれが、先の剣の右に突き刺さる。
さらに、もう1本。
もう1本、もう1本……。
剣の雨は、あれよあれよという内にバイン・ピッグを囲む円形の柵となっていた。
そして最後に、迅雷のごとき1本。
中心で動けなくなったバイン・ピッグをとどめとばかり串刺しにする。
あがる魔物の断末魔。
雨の雫にさらされ、地べたに寝ころんだままのレイは、その様子をただ呆然と見ていた。
そんな彼の前に、空からフワリと1人の人物が現れた。
レイは本気で一瞬、雷神でも降りてきたのかと思ってしまう。
「大丈夫ですか?」
だが、目の前に現れたのは、普通の人間だった。
それもすばらしいレア装備を身にまとった、実力のありそうな冒険者ではない。
ありふれたワインレッドの革鎧を身にまとい、腰にそこらの店で売っている一般的なプラチナ・ロングソードをぶら下げた、ありきたりな冒険者。
否、普通よりみすぼらしい冒険者だ。
「もしもし? 大丈夫ですか? とりあえず、HPがかなり減っていますね。なにかあってもいけませんから、回復しておきますか」
言葉も出ずに彼を見ていると、回復スキルを使用してくれる。
その時点でやっと、レイは正気を取りもどす。
「あ、ありがとうございますっす。あなたは命の恩人っす!」
「いえ、こちらこそすいませんでした」
「え?」
弱くなった雨の中、なぜか目の前に現れた男は頭をさげた。
レイは理由がわからず、また呆気にとられる。
「実は、あの魔物と戦っている途中、【猪突猛進】を使ってきたので、障害物にぶつけさせようとこちらへ走らせていたのです」
そう言って、彼は横にあった大木を指さした。
人の胴回りの10倍は直径がある立派な大木だ。
確かに、魔物の技である【猪突猛進】でも壊せないだろう。
壊せなければ、【猪突猛進】を使った魔物の方がしばらく昏倒するはずである。
「この元街道は木の屋根も少しは開けています。そのため、僕の攻撃もやりやすかったものですから、こちらに誘導したのですが……ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
「あ、ああ……」
そこでやっと、レイは合点がいく。
隠れていたはずの自分に、なぜ魔物が当たってきたのかを。
あれはレイが襲われたわけではなく、偶然にも【猪突猛進】中のバイン・ピッグにぶつけられてしまったのだ。
つまり、交通事故みたいなものである。
「な、なるほど。どーりでっす……」
「しかし、変なんですよね」
今度は、その男の方が怪訝な顔を見せる。
「あのバイン・ピッグを狩る前に周辺サーチもしましたし、レーダーも確認しながら戦っていたのですが、誰もいなかったはずなんです。きっと見落としていたのでしょうけど……」
「…………」
レイは、ギクリと顔を強ばらせる。
男の口にした疑問の答えを自分はもっていた。
もちろん、【ステルス・パーフェクト】の効果である。
「そ、それより、凄いっすね! レベル60のバイン・ピッグをソロで斃せるなんて! こいつただでさえ強いんで、なかなかできることじゃないっすよ! レア装備をそろえた上級者ぐらいっす!」
とりあえず、レイはおだてて話題転換を謀る。
よけいな勘ぐりはされたくない。
「……そうですかね」
だがなぜか男は、しばらく考えてからそう応えた。
あまり話題転換ができていないのかと、レイはさらに褒めることにする。
「そうっすよ。凄いっす。ちゅーかっすね、このたくさんの剣で魔物を囲うのも凄かったっす」
そう言ってレイは、地面に突き刺さり魔物を囲んだ剣の檻を指さした。
正直、剣の檻に関しては本気で感心していた。
あんなにきれいに囲めるものなのかと。
「あれは剣術系のスキルっすか?」
「ええ、まあ」
「おお。わいは知らないっすけど、それきっと超レアなスキルなんっすね!」
「……いいえ。誰からも見向きもされなかったハズレスキルですよ」
「え?
嫌な予感がする。
しかし、目の前でフローティング・コンソールを広げて、相手のステータスを確認することなどできない。
相手にフローティング・コンソールの内容が見えなくても、この流れでは不自然すぎる。
こうなれば、あとはもう飛びこむしかなかった。
「あ、あのっすね……。本当に助けてもらって、ありがとうございますっす。わい、レイと言います。よろしければ名前を教えて欲しいっす」
「ああ。失礼しました」
そう言うと、男は黒髪から雫を払いながらニコリと微笑んだ。
「僕は、ロストともうします。以後、お見知りおきを」
(やっぱりっす……いきなりご対面とは……)
気がつくと、雨はすっかりやんでいた。
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