第23話:ハズレではない戦略

 ラキナが駆けつけた瞬間、瞳に映ったのは、空中を舞うチャシャ族の男性だった。

 彼は腕と脚が奇妙な方向に曲がったまま、建物の屋根を越えて、地面に叩きつけられてひしゃげ転がった。

 その軌跡は、赤い斑点で地面に示されている。


 ゲームでもプレイヤーキャラクターが吹き飛ばされることはあったが、見た目の問題で手足が拉げたり、頭が潰れたりするような表現はなかった。

 しかし少し先の地面に転がっている姿は、とても凝視できない。

 ラキナは吐き気をもよおしそうになり、慌てて視界からはずす。


「なにがあったですの……」


 道を1本曲がると、その原因はすぐにわかった。


 目に映ったのは、一言いちげんで表せば「巨大なハエに人間の手足が生えている魔物」だった。

 そして腕がない人間の上半身が、ハエの背中から生えている。

 羽はあるが飛べないのか、ハエの脚の代わりらしい脚4本、腕2本が地面を踏みしめてゆっくり進んでいる。


 頭部の方にとってつけられたような右手には、壊したらしい塀の破片を握り、左手にはチャシャ族の女性が握られていた。

 が、すぐさまその女性は、魔物の指の間から血液を噴きだしながら握り潰される。

 その人の形を成さなくなった肉塊は、近くの家に向かって投げられた。

 脆い屋根を突き破って家の中に収まる様子は、まるでゴミ箱に捨てられるゴミ屑のよう。


「魔物がなんで中に……。あっ、違うですの! あれ、まさか悪魔ですの?」


 WSDの魔物は、現実の動物の特徴を掛けあわせたような姿をしている物が多い。

 しかし、その中で通常は掛けあわされない動物がいる。

 それが人間だ。

 ゴブリンやオークのような種族的な魔物は別にして、人間の四肢や顔などが普通の魔物に現れることはないのだ。


 ただし、例外がある。

 それが悪魔と呼ばれる存在だ。


 悪魔は別の世界に存在して、召喚の儀式によって呼びだすことができる。

 しかし一般的な悪魔は、召喚されても魂だけで肉体が転送できないため、こちらの世界ではしろとして人間の肉体が必要となる。


(でも、大抵の人間の肉体は、悪魔の力を使うと力に耐えられず変質して、ああいう化け物になりますの。つまり、人間の姿で敷地内に入ってしまえば……)


 領土内を守るというスキル【支配者の守護】は「他フィールドにいる敵性魔物を侵入させない」という能力のはずだ。

 それは逆に言えば、「同フィールド内に侵入してしまった敵性魔物を追いだす効果はない」とも言える。


(ハエの上の上半身……あれは大地主の男ですの! やられたですの! あいつなら似たスキル【地主の守護】を持っていたはずだから、条件の穴をつけるのですの!)


 初めて見る恐ろしい姿の悪魔に、狂乱状態に陥る村人たちが次々と襲われている。

 動きは鈍いが不意を突かれたせいで、すでにかなりの人数が犠牲になっていた。


 そんな中、ラキナは落ちついてフローティング・コンソールをだして注視し、相手の情報を探る。

 すると、悪魔の最小限の情報が現れた。


(名前はシャルフ・デモナ。レベル65! 中ボスクラスはやばいですの……)


 ラキナは悪魔と戦った経験がある。

 いや、レベル50ならば誰しもあるはずなのだ。

 メインストーリー第3部のエンディングを迎えるとレベル50になれるのだが、そのクエストの中に悪魔が登場するのだ。

 そしてその時、討伐すべき悪魔のレベルが70。

 推奨2パーティーで倒すべき敵だった。


(どうやっても1人では勝てないですの。1パーティーあれば……)


 まずはレアに連絡をとらなくてはならない。

 フレンド会話でラキナは、レアを呼びだす。



レア≫ どうしたの?


ラキナ≫ レア様、大変なんですの!

ラキナ≫ 村がシャルフに襲われて、村人たちが殺されていますの!


レア≫ なんですって!?


ラキナ≫ シャルフのやつ悪魔召喚をやったらしく、レベル65になっていますの!


レア≫ 悪魔……ってあの悪魔?


ラキナ≫ ボクはムーブポイントを守りますの。

ラキナ≫ 襲われてから1分はスキルで守れますが、早く来てくださいですの!


レア≫ ちょっ――



「――ちくしょう! シャルフのやつめ!」


 真向かいから聞こえたその叫び声で、ラキナは思わず意識をチャットからはずす。

 それは正面の家から飛びだしてきた、片手剣を握った銀髪の少年だった。

 一番、反抗的な少年だったことは覚えている。


(確か、ブロシャ……ですの?)


 その彼の後ろから、さらに子供たち3人が飛びだしてくる。

 この村で最初から冒険者資質があった子供たちだ。


(レベルが低くても回復の足しにはなるかもですの!)


 そう考え、今にも悪魔に立ち向かっていきそうな蟷螂とうろうの斧たちをラキナは慌てて止める。


「待ちなさいですの! こっちに来て、ボクを手伝うですの! 他の人の救助はあきらめてですの!」


「なっ、なんだと……ふざけるな! やっぱりおまえたちのせいだな!」


「えっ!? なんのことですの!?」


 殺意と剣先を向けられて、ラキナは思わず手にしていた両手杖スタッフを構えてしまう。


「とぼけんな! おまえらはシャルフとグルで、オレたちを悪魔召喚の生け贄にするつもりだったんだろう!」


 あまりに途方もない濡れ衣に、ラキナは言い返す言葉をなくしてしまう。

 どう考えたって道理に合わないではないか。

 しかし他の3人の瞳にも、怪訝さがはっきりと浮かんでいる。

 この場で言い訳しても、聞いてもらえないかもしれない。


「だいたい、おまえたち――」


 ブロシャがそうなにか言おうとした瞬間だった。

 弱々しい悲鳴が、それを遮った。

 ブロシャが、悪魔の方へ振りかえる。


「じーちゃん!」


 1人の男性が、今まさに魔物に襲われていた。

 彼は逃げようとするが、いとも簡単に魔物の手に捕まってしまう。


「てめー! じーちゃんを離しやがれ!」


 止める暇などなかった。

 ブロシャが剣をかたわらに構えたまま、悪魔に向かって鬼気迫る勢いで駆けていく。

 仲間が彼を呼び止めようとしたが聞こえてはいないだろう。

 なにしろ彼が「じーちゃん」と呼んだ老人は、悪魔の左手に握り潰されそうになっていたのだ。


「ふざけるなあぁぁぁぁ!」


 気合と共に剣を振りあげるブロシャ。

 だが、それが振りおろされることなどなかった。

 悪魔の右手によって、彼は真横からはたき飛ばされたのである。


 悲鳴。


 悪魔にしてみれば、うるさいハエを追いはらうぐらいの攻撃だったのだろう。

 しかしレベル5の彼は、それだけでHPがほぼ0になる。

 たぶん全身のあちらこちらが骨折しているはずだ。

 もう動けるわけがない。


「じっ……じー……ち……」


 意識があるだけでも凄かった。

 だが、意識がある事は不幸だったのかもしれない。


 左右にバキバキという音を立てながら、ハエの2つの複眼が広がるように動き始めた。

 そして人で言えば、眉間に当たる部分に穴が開き始める。


(く、口……ですの?)


 ラキナさえも、その不気味さに体が固まってしまった。

 複眼の間に縦にした人の唇が現れたのである。

 それは大きく開き、中にはのこぎりのような前歯が覗いていた。


「ブロ――」


 老人がブロシャを呼ぼうとしたが、名は半分しか音にならなかった。

 残り半分を音にする前に、彼の体の上半分はできあがった口によって食いちぎられてしまったのだ。

 池に大きな石を落としたときの水しぶきのように、老人の下半身から勢いよく血しぶきが飛び散った。


「じっ……じーちゃ――」


 体が動かなくなったブロシャも、最後まで呼ぶことはできなかった。

 ぴょんと蛙のように跳ねた悪魔の巨大な足の下に、激震と共にきれいに押しつぶされてしまったのである。


「ブロシャァァァァ!」


 彼を助けようと、剣を手に途中まで追いかけていたクリシュが叫んだ。

 だが、それは悪魔の注意を引く行為になってしまう。


「ヒィッ!」


 ハエの複眼に睨まれたクリシュは、その場で腰が抜けてしまう。

 頭がよさそうな子供だったが、精神的にはまだ幼い。

 一度は恐怖に勝った怒り。

 しかし再び恐怖が勝り、体が完全にすくんで、泣きながら歯を打ちつけ続けている。


「クリシュ、逃げて!」


「クリシュ!」


 座りこんでしまったクリシュに向かって、2人の男女が横から駆けよってくる。


「お父さん! お母さん!」


「大丈夫だ! 父さんが守ってやる!」


 必死の形相で走ってきた2人が、クリシュを抱きしめた。

 上から迫るハエたたきのような大きな掌から、彼を逃がす暇はなかったのだ。

 だから、まるでシェルターのように2人は彼を包んだ。


 刹那、ラキナにはクリシュが微笑んだように見えた。

 いや、感じられた。


 バンッと大きな振動と共に、土埃があがる。

 ハエの悪魔の放ったハエたたきは、両親のシェルターごときれいに潰したのだ。

 まるで虫けらを潰すように。

 持ちあげられた悪魔の掌から、ねっとりとした赤い液体がボタボタと垂れている。


(なんなの……これ……)


 ゲームの悪魔も、醜く、恐ろしいほど強かった。

 しかし目の前に現れた悪魔は、それ以上におぞましい存在だ。

 恐怖を形にしたら、こういうものではないかとさえラキナは思ってしまう。


「ブロシャ……クリシュ……ミ……ミャァァァァァッ!」


 今まで恐怖で動けなかった、ジュレという忍者の様な身なりの少女まで走りだす。

 両手に短剣を持っているが、彼女のレベルは4。

 とてもではないが、レベル65相手に通用するような武器ではない。


「サポートするニャン」


 もう1人の黒髪のチュイルも魔術用の杖を構える。

 だからラキナは慌てて彼女に駆けより、肩に手をかける。


「やめるですの! あなたのレベルは3でしたの。わずかなMPの無駄遣いはしてはいけないですの!」


「無駄……どういう意味ニャン」


 チュイルが射殺いころすかのような視線を向けてくる。

 しかし、ラキナは彼女を止めなくてはならない。


「彼女を助けても状況は好転しないですの! あの子は放っておいて、ムーブポイントを守る援助をしなさいですの!」


「……冷酷な人。それより早く――」


 割って響く悲鳴。

 それは走って攻めていたジュレのもの。


「ジュレ!」


 ラキナの手を振りはらって、チュイルが彼女に向かって駆けよろうとする。

 だが、もうジュレは助からないだろう。

 なにしろその姿は巨大な炎に包まれて、人としての形もよくわからなくなっている。

 それがよろよろと歩き、そして地に倒れて燃え続けた。

 HPは0。

 今のジュレは、ただの燃えかすにすぎない。

 彼女は冒険者資質があるから【リバイブ・ライフ】できるだろうが、蘇ったところでまた犬死にするだけである。


(無駄に苦しませないためにも……MPは無駄にできないですの)


 ハエの体の上に、新たに4つほど巨大な魔紋が浮かぶ。

 悪魔のもっとも強力な攻撃は、魔術スキルだ。

 彼らは同時にいくつもの魔紋を展開することができ、複数の魔術スキルを操ることができる。


「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁいいいひひひひぎぎぎぎぃぃぃぃぃぃ!!」


 人の言葉とは思えない大叫喚が、ハエの口から上がる。

 とたん魔紋からいくつもの雷撃が天にのぼり、そして広がって地面に落ちていく。

 いくつもの建物や人が雷撃に焼かれる。


 気がつけばチュイルも、その中の1人となっていた。

 先ほどまで話していたネコ娘は、真っ黒に焦げて離れた所で倒れている。


(雷撃が12本……ですの。【サンダー・ランス Lvレベル3】が4つ分ですの。さらに炎系も使うということは、反発しない属性を考えると、使えるのは土だけですの)


 とりあえず、ラキナに今できることは観察だけだ。

 ボスクラスを相手にするには、敵の強さや行動パターンは知っておかなければならない。


(素人はこれだからこまりますの。ボス戦やレイドバトルは、勝つには戦略的優先順位がありますの。助ける順番を考え、場合によっては見捨てることも必要……。今はとにかくデータ収集と時間稼ぎのため、村人たちには悪いけど犠牲になってもらいますの)


 そうラキナは決心するが、チュイルの「冷酷な人」という罵倒が頭にリフレインする。

 これが最善なのだ。

 経験を積んだ者にしかわからないことがある。

 それにゲームでは当たり前のことだ。


(そう。当たり前の……こと……ゲームでは……)


 しかし、彼女はそこからゲームとは違う凄惨さを見続けなければならなかったのである。

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