第16話:ハズレの客

「どうだい? うまいだろう?」


 カティアと名のった元NPCが、フォルチュナの座る席のテーブルにロールパンの載った皿を置いた。

 【イロタウィン肉のシチュー】を食べていたフォルチュナは、スプーンを置いてから一度、「ありがとうございます」と頭をさげる。


「かくまってもらったうえに、食事までご馳走していただけるなんて……」


「なんだよ。冒険者にしては礼儀正しい奴だな。今日のイロタウィン肉は質がよかったからな。シチュー、すごくうまいだろ?」


「は、はい」


 イロタウィンとは、要するに鶏のことだ。

 つまり、チキンのシチューである。

 ニンジンのような野菜と、ジャガイモのような野菜が柔らかくなるまで煮てある馴染みのある味だ。


 ただ、その馴染みはにおける馴染みである。

 ゲームのWSDで【イロタウィン肉のシチュー】を食べたときには、これほど濃厚な深い味ではなかったし、お腹の中から体全体が温まるような感覚も味わえなかった。


(本当に……本当にシチューだ。すごい……)


 WSDには仮想空間ゲーム故に、ファンシーでメルヘンすぎる奇抜なオリジナル料理はほとんどない。

 WSDの一般的な料理は名前が違うだけで、現実世界と同じような見た目をして、同じような味わいの料理ばかりである。


 この理由は簡単だ。

 仮想世界の食事の場合、実際に口にしなくてはならないための対策だった。

 あまりグロテスクな見た目だと口にすることがはばかられるし、気持ち悪さで嘔吐感など抱かせると、人によっては実体に悪影響がでたことがあったためである。

 その際のクレームで、奇抜な料理はよほど自分から探さないと見ることさえなくなっていた。


 だから、シチューを食べても、運ばれてきたばかりのロールパンを食べても、その味わいからついついを思いだしてしまう。


(19才で、わたし……死んだ……んだ……もう違う……んだ……)


 味を認識し、状況を認知し、過去をついかいし、今を痛傷つうしょうする。

 父、母、妹、友人たちの顔が次々と浮かびあがる。

 伝えたかった言葉、やり残した約束、それが脳内からあふれだす。

 すべてが、自然とフォルチュナの涙腺をゆるませた。

 おいしいシチューを口にしているのに、体の奥からわきあがる雫が双眸からあふれだす。


「おや? 泣くほどうまかった……というわけじゃなさそうだね」


 カティアが冗談めかすように声をかけるが、フォルチュナはすぐに答えられない。

 泣くつもりなんてなかった。

 泣いている場合ではなかった。

 それなのに、涙腺がコントロールできない。


「まあ、なんだ。冒険者さんもいろいろとあるんだな」


 どう解釈したのか、カティアは気まずそうに短い茶髪の頭を掻きながら少しだけ微笑する。


「つらいことがあればさ、また飯でも食いに来るといいさ。おっと。今日はおごりだが、次回はちゃんと金を払ってもらうよ。アタシの店【ネコのおひるね亭】は、この辺りでは最高にうまいって有名なんだからね!」


 見てみろと言わんばかりに、カティアが両手を広げる。

 扉も壁の窓も閉め切ってはいるが、一部に天窓がありそこから光が取りこまれている。

 またオイルランプもつけられて、室内の様子は暗めだったが確認できた。


(入った事はなかったけど、ここは覚えている……)


 涙を拭きながら改めて見まわす。

 ここは、4人掛けのテーブルが6つほど並ぶ店内だった。

 いつもならば営業時間なのに、営業はしていない。

 フォルチュナとカティア以外、誰もいない。

 丸椅子がすべて逆さにテーブルの上に載せられて片づけられてしまっている。


(なにかのクエストのときにこの店の前を通ったっけ。賑やかで楽しそうな雰囲気だったな)


 この辺りは、レベル20から30対象のクエストが多い。

 そのためわりと最近、この辺りを歩いたばかりだった。

 どうせなら、その時にもこの店に寄っておけばよかったと後悔する。


「はい。かならず、また食事に来ます」


「ああ。他にもお客さん、いっぱい連れてきておくれよ……って、言っても暴れている冒険者どもが静かにならないと店が開けられないけどね」


「……すいません」


 つい、フォルチュナは謝ってしまう。

 同じ元プレイヤーとして、今の状況は心が痛い。


「なーんであんたが謝るんだい。バカだね。だいたいあんただって、その様子だと暴れている暴徒にからまれた口なんだろう?」


「そう……ですね。そんな感じです」


「困ったもんだね。まあ、大丈夫さ。あの前線の王女フロイライン・フロントライン様の命令で八大英雄も動いているらしいからね。少しずつ収まるってもんだ。これからよくなるって!」


「はい、そうですね。これから……」


 フォルチュナにとって「これから」は不安でしかなかった。

 まずはこの街から逃げなくてはならない。

 そして、仲間であるシニスタ、デクスタと合流する。


 そこまではいい。


 しかし、そこからどうすればいいのかわからない。

 レベル30では、レベル50と対人戦PvPをやっても勝てる可能性はない。

 ましてや大勢に囲まれれば、ひとたまりもないだろう。

 ラジオンから逃げきっても、結局は別の誰かに襲われるのではないだろうか。


 不安なのは強さだけではない。

 土地を買う金などありはしないから、宿に泊まらなくてはならない。

 毎日の食費だって必要になる。

 現実と同じように、金を稼がなければならない。

 それなのに、クエスト狩りのせいで受けられるクエストは激減しているという噂も聞いている。


(もしかして、素直にラジオンのところに入った方が楽なんじゃ……)


 やはり、3人ではどう考えても生きのびることはできない気がする。

 それなら今のユニオンを解散して、どこか大きいユニオンにいれてもらうのが一番ではないだろうか。

 しかしそれには、フォルチュナが受けている【幻影の鏡】というクエストを明け渡さなければならない。


(でも、クエスト報酬は必要だろうから……。ああ~もうっ! うん。やっぱり、わたしの今後のことを考えるのと、泣くのはあと! まずは、あの2人の意見を聞いて、彼女たちが生きていけるようにしないとね。泣きたいのは、あの子たちの方なんだから……)


 それは使命感というより、真っ暗な道を彼女が進むための光だ。

 光がなければ、彼女は暗闇に囚われて動けなくなってしまう。

 そうなれば、罠とわかっていても目の前の偽の光に寄っていってしまうだろう。


「ありがとう、カティアさん。おかげで元気がでました!」


「ふふ。それがうまい飯の力さ」


 カティアが笑う。

 フォルチュナもつられて笑う。

 理不尽だけど、かなしいけど、つらいけど、もしかしたらそれだけではないのかもしれない。

 フォルチュナは、生を受けたばかりのカティアから、食事と笑顔を与えられ、生きるための希望をもらった気がしていた。



――ダンダンダンッ!



 ところが、その希望を潰そうとする音が正面の扉から響く。


「おい! 開けろ! いるのはわかってんだ!」


「声が聞こえたんだぞ!」


 フォルチュナは、ビクリッと身震いしたあと硬直してしまう。

 男の怒声が、少なくとも2人分は聞こえる。


(バレた!? わたしが隠れているのが!?)


 さぁーっと血の気がひく。

 なぜバレたのだろうか。

 だがそれよりも、カティアに迷惑をかけるわけにはいかない。


「わたしが出て――」


「――待ちな」


 立ちあがったフォルチュナをカティアが引き留める。

 代わりにカティアが、店の正面扉へ向かう。


「はいはーい。壊れるから叩かないでおくれよ。なんか用かい?」


「なんか用かいじゃねーんだよ! こっちは腹が減ってんだ!」


「店を開けやがれ! さぼってんじゃねーぞ、NPCのくせに!」


 最後に聞こえたのは嘲笑。

 フォルチュナは、つい我を忘れて叱咤しようとしてしまう。


「あんたはタイミングを見て裏口から逃げな」


 だが、カティアにそれを抑えられてしまった。

 さらに背中を押されてキッチンの方に押しこまれる。


「出てくるんじゃないよ。早くいきな」


 そう言うと、カティアは入り口を開けに向かった。


(逃げろと言われても彼女になにかあったら……)


 確認しなければならない。

 本当に彼らが自分のことに気がついていないなら、このまま逃げるのが正解だろう。

 しかし、自分がここにいることがバレているならば、彼女によけいな被害を負わすことになってしまう。

 フォルチュナはキッチンに身を隠し、耳を澄ませてその様子をうかがう。


「今日は体調があまりよくなくてね。店は休みなんだけど?」


「なーにNPCのくせに体調不良訴えてんですかーぁ?」


「笑えるーぅ!」


 ケタケタという嗤いが、フォルチュナの胸にかきむしるような気持ち悪さを与える。

 彼らは、まだ理解していないというのか。

 目の前にいるのは、もうNPCなどというものではないということを。

 フォルチュナは、あとがつくほど拳を握りしめる。


「エヌピーシーってなんだよ? アタシはカティ――」


「いいから飯だせよ! あと酒だ!」


「こちとら走り回って腹減ってんだ! ラジオンの野郎、いばり腐りやがって……」


 ドカドカと男たちが入ってくる。

 そして椅子を降ろして座ったようだった。


(ライデンのメンバーでわたしを探している連中ではあるけど、ここに来たのは偶然。なら迷惑をかけないうちに……)


 そう思い裏口にゆっくりと向かい始める。


「休みだから料理は用意していないんだ」


「じゃあ、このいい匂いはなんだよ? それにそこの皿はなんだぁ?」


「これはまかないのシチューで、子供に食わせてて……」


「子供がいるのかぁ。へぇ~。ま、いいや。じゃあ、そのシチューだせよ!」


「オレもそれでいいや! あとビール……じゃなくて、リーブをジョッキで2杯な」


「なら、1人1,000ネイだ。先に払ってもらうよ」


「ああぁ~ん? まかないに金を払えだとおぉ~?」


 ところが、その間にも会話の内容がきな臭くなる。

 男たちが、金を払わないけど飯を食わせろと言いだしたのだ。

 もちろん、カティアは断る。

 すると言い合いは激しくなり、さらに醜く歪んでいく。

 男たちの恫喝し恐喝するきょうまんは止まることを知らない。


「NPCが生意気に……。こいつは、少し懲らしめる必要があるな」


 男の舌なめずりが、フォルチュナにまで聞こえる。


「おいおい。おめーは、オバサン趣味か? 子持ちだぞ?」


「ばーか。よく見ろ、わりといい女だ。スタイルも悪くねー」


 ドタンッという音共に、カティアの甲高い抵抗する声が聞こえる。

 ライデンのメンバーは、ほぼ全員がレベル50だと聞いている。

 しかも、相手は2人だ。

 フォルチュナでは、絶対に勝てない。

 それはわかっている。


(それでも……)


 我慢の限界だった。

 フォルチュナは、打撃用の杖をアイテム・ストレージから取りだすと、キッチンの陰から中の様子をうかがう。

 革鎧を着た2人の男がそこにいた。

 1人は、カティアの横に立って下品な笑みを浮かべていた。

 そしてもう1人は、カティアを床に押さえつけ、まさに手にかけようとするところだった。


「――!!」


 それを見たとたん、フォルチュナの堪忍袋の緒が切れる。


(――【スラスト・スタッフ】!)


 突進系の両手杖による突きスキルを実行する。

 まずは、横に立っていた男だ。

 横っ腹をめがけて、一瞬で間合いをつめて杖の先で弾きとばす。


「――ぐへっ!」


 蛙を挽きつぶしたような声があがった。


(――【スイング・スタッフ】!)


 すぐさま、フォルチュナは次のスキルを発動する。


 【スラスト・スタッフ】は、一瞬で間合いをつめて突きを放つ技だが、推進距離は10メートル固定である。

 距離が近いと、標的に当たっても止まらずにそのまま進んでしまう。


 そこで、【キャンセル技】というものを使用する。

 これはスキル発動中に、条件が異なる別のスキルを発動することで、最初に発動したスキルの動きを中断させることができるという性質を使った、いわばプレイヤーによる技術スキルである。


 【スイング・スタッフ】は、その場で体を軸にして回転することで、標的に強力な横払いの殴打を食らわせる技だ。

 結果、【スラスト・スタッフ】による突進はキャンセルされて急停止し、その場で横回転を始めることができるのだ。


「――ゲボッ!」


 カティアにのしかかっていた男も、店の入り口の方に吹き飛ばされる。


「カティアさん、早く立って! 逃げるの!」


「あんた……」


 だが、すぐにそれは叶わないと知らされる。

 レベル20の差は、それほど大きいものだったのだ。


「――って~なぁ。なにしやがんだ、このクソアマ!」


 2人の男はすぐさま立ちあがる。

 相手のHPを確認すれば、直撃をいれることができたのに想像よりも減っていないことがわかる。


「でもまあ、転生してから初めて攻撃食らったけどよ、あんま痛くねぇのな。この女のSTR(攻撃力)より、俺たちのDEF(防御力)がかなり高いせいか?」


「どうでもいいぜ、そんなこと。若い女もこれで手にはいって……おっ! おい、こいつ」


「……あっ! フォルチュナちゃん、みーっけ。なるほど弱いはずだ。レベル30だもんな」


 2人の顔に野卑な感情が浮かびあがった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る