第1章 はじまりの物語 第3話 【知らない景色】

 周汰は、ほっぺの砂を落とし、体の埃を払ってから辺りを見渡した。

 少女越しに見えた地面が、さっきまで歩いていた地面とは異質で理解しがたい状況に置かれていることを気づかせていた。

 見渡す限りの平地……

 ビルの欠片もなく、車のエンジン音や人々の雑踏さえも聞こえず、少し乾いた風がそよいでいる。


「ねぇ、名前聞いておいて、急に放置とか、とても失礼だと思いますけどぉ」


 周汰が、付近を見渡し終え、ちょうど空を見上げた時、胸の辺りから少女の声がした。


 目の前にいるのは、テディと名乗った少女。

 周汰は、彼女の名前を聞いて一瞬だけ体に小さな衝撃が走ったが、あの日以来感じている感覚に似ていて、すぐに周囲の事が気になってしまっていた。


『ごめん、別に放置した訳じゃないんだ……』


 別に放置した訳ではないが、今自分がどこにいるのかを把握することを優先したい衝動に駆られてしまっただけだという言い訳をし

『ところで、ここはどこなの?』


 テディという少女は、細いあごを左手でつかみながら

「私にもわからないのよねぇ」

と視線を落としながら言った。


『……さっき、みんながテディと呼ぶって言ってたけど……』


「あぁ、そう、村のみんなよ。実はね、私もつい最近、この場所に倒れていたところを村の人に助けてもらったの」


 村がある。

 そう聞いて、周汰は、もう一度周りを見渡した。

見渡したが、どこにも見えない。


『なんか、どこにも見えないけど……』


 今はただ不安しかない。ここはどこで、どうしてここにいるのか。この先どうなるのか、落ち着いているように見せているが、周汰の内心は、パニックにもみくちゃにされている。


「村はあるのよ、見えないだけで。ここから300メートル位歩いたら、入口があるの。ところでさ、人に名前を聞いておいて、あなたのことは何も言わないつもり?」


 見えないだけで入口があるというテディの言葉に、周汰の右脳が悲鳴を上げ、左脳が白目を向いた。


――何なんだよ、この状況は――


 周汰は頭を抱えていた。

「ねぇ、あなたの名前くらい教えなさいよ」


 少女は、少し苛立ちながら周汰に名前を聞いた。


『あ、ごめん。俺の名前は、や…』


 山崎周汰と言いかけて、周汰はやめた。

急に胸の奥で、本名を口にすることを拒む感情が暴れだした。


『ナスだ。俺の名前はナス。よろしく』

「ナスね。よろしく、ナス」


 少女は、微笑みながら右手を差し出した。

白くて小さな手を周汰は軽く握った。


――私の名前は……――


 握手の瞬間、ビンに閉じ込められたような少女の声が、握った右手から周汰の右手を経由して右耳を駆け抜けた。

 心の声のようなものを聞いた気がした。

 驚いている周汰の目の前で、テディは、ニコニコしながら握手を続けている。

 とっさに手を振り払おうとしたが、なぜか右手は言うことを聞かなかった。

 目を覚ましてから、状況が渋滞していてどうしていいかわからない周汰。


ほんの少しの間の後、テディは握手をやめて

「村へ行きましょう。みんなに紹介するわ。それに、どうやってここに来たのかはわからないけど、ナスも疲れたでしょ?」

 そう言うと、テディは周汰に背を向けて歩き出した。

10メートルほど歩いたところで振り返り、立ちすくんでいる周汰に「こっちこっち」と手招きをして呼んでいる。


 周汰は、少し状況の整理をしたいところだったが、一人にされても宛てがないので、テディを追いかけるように歩き出した。


 両手を後ろ手に組んでフワフワと歩く少女。

 周汰は、歩きながら必死に記憶をたどっていた。

この場所で目を覚ます前の状況を頭の中で順番にたどっていた。


 その日の出来事、朝起きてから…


 そもそも、目を覚ますまでに、どれくらいの時間が経ったかもわからないが、朝起きて大学へ行ってから、喫茶店YOUR NAMEで過ごしたことまでを思い出したところで

「着いたよ」

 前を歩いていたテディが立ち止まった。

「ただいまー」

と言って、軽く目の前を叩いたように見えた。

それと同時に、景色の中に一枚の扉が現れた。


『これが、村の入口?』


 周汰の問いかけに、テディは笑顔で2度うなずいた。

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