第1章 はじまりの物語 第2話 【テディ】

『………あれぇ? このクマって、確か……』


―――周汰は、バイト先である喫茶店YOUR NAMEへ向かう途中、パン屋のチェーン店であるデニッシュ・ロールの前にある街路樹の根元に座っているテディベアを見つけ足を止めた。


 1年ほど前、駅に近い服屋のディスプレイで、何となく見とれたマネキンの足下に、ちょこんと座っていたテディベアに似ていた。

 いや、そのテディベアに違いなかった。

 なぜ、同じテディベアだと思ったかと言うと、周汰には何の確証も無いが、ただそう思った。

そう思ったというには、やはり少し違った。

テディベアを見つけた時、周汰の胸の中で、名前が浮かんで、そして弾けた。


 名前……。


 あの日から、浮かんでは弾ける名前。

周汰は、肩に掛けていたバッグを背中に回して、しゃがみもせずに、テディベアに左手を伸ばした。

 テディベアの大きさは、周汰の手のひら2つ分くらい。両手を斜めに広げた格好で座っている。

 そんなテディベアの右の脇の下辺りを掴んで拾い上げた。


―――………!…?―――


 テディベアの顔を目の前に持ってきたか、持ってくるか、その手前か、どの瞬間だったのか、とにかく持ち上げた時、周汰の目の前は暗転し、そして暗闇が歪んで渦を巻き、意識が溶ける感覚を覚えながら、後ろへ倒れた。 倒れたはずだったが、仰向けになりかけて、うつ伏せになり、目の前が光で溢れて、辺りが真っ白になった


 瞬間―――


 周汰は、物凄い勢いで吸われた。 全身をいっぺんに吸われたのだった。

 音にすると 『シュゴォォォ、ポンッ』 と言った感じだろうか。


―――周汰は、景色から消えた。 誰一人に気づかれることもなく。―――


 長いのか、短いのか、見当もつかない時間の先で、周汰は目を覚した。


 両手、両足を大きく広げたうつ伏せの状態。

ここは、アスファルトの上ではない。 アバラに当たる小石の感触。 右のほっぺたに刺さる、さざれ石の感触。

 空から落ちてきたというよりは、強い重力により、このようなうつ伏せになったような感じがした。 起き上がれない。 まるで地面に吸われている。 全身に力を込めて立ち上がろうとする。 両腕、両手に力を入れて、地面を押して起き上がろうとしてみる。


 起き上がれない。


『グギギギギギ……』


 奥歯に力を入れ、とにかく頑張る周汰。


『グギギ……』


「ねぇ、ねぇ、何してるの?」


『グギギ……』


「あのぉ、何してるんですかぁ?」


 女の子の声が頭の上……後頭部の辺りから降り注ぐ。

周汰は、左目を端に寄せて、必死に声の主を見ようとするが、視野が届かない。


「助けてあげましょうかぁ? でも、変なことしないでくださいねぇ」


 女の子は、そう言うと周汰の服の背中の部分をつまんで引っ張った。

 今まで全身が張り付いていた地面との間に、そよ風が滑り込んだと思うと、周汰は前からそうだったかのように、その場に立っていた。

 何がなんだか意味がわからない。

ボケェと立っている周汰に

「ほんと、何してたんですかぁ?」

おっとりした柔らかい口調が、顎の下から聞こえてくる。


『…あ、ありがとう』

周汰は、声のする方へ視線を落としながら、お礼を言った。


『………ぇ、』

そこには、周汰より20cm位身長の低い少女が、少し見上げていた。

 驚いたのは、その存在というよりも少女を見た瞬間、胸の中に浮かんでは弾ける名前。


『……あ、なまえ…』


 周汰が、無意識に発した言葉に、少女は

「テディ。みんなそう呼ぶの。」


『……!?』


『テディ……』


 周汰は驚くというか、胸を叩かれ、背中を平手打ちされた様な衝撃に駆られていた。


 そんな周汰の様子を、テディという少女は不思議そうに、ちょっとだけ気味悪そうな表情で見ていた。

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