第1章 はじまりの物語 第1話 【YOUR NAME】

 講義を終えた周汰は、バイト先へ向かって歩いている。

午後3時を過ぎて、日差しは額を照らす角度で降り注ぐ。


時を少し遡る―――


周汰が通う大学の表門を抜け、西に向かって700mほどの場所にバイト先である喫茶店『YOUR NAME』がある。


 『YOUR NAME』は、喫茶店ではあるが、午後8時を過ぎるとバーへと顔を変える。 駅近な上に学生街ということもあり、客の入りは中々のものだ。

 営業時間は、午前10時から午後23時。定休日は月曜日。マスターとその奥さん、4人のアルバイトで店を切り盛りしている。 店内は、カウンター10席、4人掛けテーブル席が8つ。客層は、学生と会社員。昼時からラストオーダーまで客は途切れない。


 そんな忙しい店で、山崎周汰が働くことになったのは、大学入学の3日後だった。


 完全な一目惚れだった――

と言っても、マスターにでも奥さんにでもアルバイトスタッフにでもない。相手は、きのこのパスタ。 シメジとベーコンとタマネギのシンプルなパスタだが、周汰は1皿では足りずにおかわりした。


 そんな周汰に――


「新入生さん、そんなにそのパスタが気に入ったのかい? 実は、折り入って相談があるんだが、ちょっといいかな? 」

 丸顔でヒゲ面で髪がモジャモジャなマスターは、カウンターの中から周汰に声をかけた。

 周汰は、口をモグモグしなが、首を縦に1回振った。


「うちでバイトしみないかい?ちょうど、バイトが1人足りないんだけど、どうだい?」


 周汰は、口いっぱいに入れたパスタを噛みながら、首を縦に2回振った。


 マスターは笑いながら

「よろしく頼むぜ! たまに、まかないで作ってやるからよ」


 パスタを食べ終わり、バイトについてマスターから説明を受け、翌日から周汰は『YOUR NAME』で働き始めることとなった。 周汰は週4日のシフトで、基本的には平日の夕方から閉店まで働いた。


 初めての飲食店での仕事は、苦悩と失敗の連続だったが、1ヶ月を待たずに形になっていった。 接客は向いている方らしい。


 働き始めてから3ヶ月が過ぎた頃だったか、その日、周汰はバイトが休みだったが、夏の暑さから避難するためにYOUR NAMEに立ち寄り、コーラを飲みながら、カウンター越しにマスターの奥さんと他愛もない話をしていた。

 周汰と同じ大学の学生が店内に増え始めて来たので、YOUR NAMEの先輩達に挨拶をして店を出た。


 駅に向かう途中、周汰は服屋の前で足を止めた。

入り口脇のディスプレイには、夏を装うマネキンが立っていた。水色のワンピースに白い大きなツバの帽子をかぶり、右手を口元に、左手は広げて、空を見上げている。 今にも空に飛び立つと言わんばかりに元気な表現がとても印象的だった。

 そんなマネキンの足下に、テディベアがちょこんと座ってる。


『……なまえ?』


 周汰の胸の奥に、突然誰かの名前が浮かんだ。 とっさに周汰は振り返ってみたが、こちらを見ている人は誰もいない。 ちょこんと座ったテディベア。 心臓を打つように、誰かの名前が浮かんでは弾ける。


 聞き覚えのない名前。

 見覚えのない名前。

 身に覚えのない名前。

 記憶にない名前。

 君の名前は…。


 君は誰なんだろ?


 周汰は、少しの間、ディスプレイの前で時を過ごした。

そして、我に帰り、また駅へ向かって歩きだした。

 歩きながら、しきりと後ろを気にした。

 服屋のディスプレイが遠ざかって見えなくなっても、少しだけ首を動かして後ろを気にしながら歩いた。


 この日から、周汰は胸の中に誰かの名前を宿しながら過ごすことになった。


―――時を戻す。 あの日から、ちょうど1年が過ぎた頃。


 周汰は、突然、世界から消えた。

 バイト先へ向かう途中、道端に落ちていたクマのぬいぐるみ。


 そう、1年前のテディベアを拾い上げた瞬間――

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