最後にあなたと話したい

否定論理和

最後にあなたと話したい

 体温を奪う冷気、息が詰まりそうな静寂。あと数時間もすれば、私はこの誰もいない場所で死ぬ。

私のように生まれつき目が見えない子供は五十年に一度必ず生まれるらしい。その子は村ぐるみで大切に育てられ、そして十四歳の誕生日を迎えると同時に神様への捧げ物になる。ずっと続いてきた伝統、みんなも私もそれを当たり前のことだと思っていた。それでも


(それでも、ミヤちゃんだけは嫌がってたなぁ)


 ミヤちゃんは物心ついた頃から私と仲良くしてくれる一番の親友だ。一緒に散歩したり、私の代わりに本を読み聞かせてくれたり、私が楽しいと思う時はいつもミヤちゃんと一緒だった。けれど、ミヤちゃんはずっと私が捧げ物になることに反対していたせいで家に閉じ込められたらしい。さよならを言いたかったのだけれど、それもできなかった。


「ミヤちゃん……」


 思わず彼女の名を溢したその時、無音の空間に何かが擦れる音が響き渡った。それが人間の足音だと気付くのに数秒、次いで聞こえた靴音は、聞き慣れたものだとすぐにわかった。


「うそ……ミヤちゃん?会いに来てくれたの?」


 知らず、声が声が上擦っていた。


「あちゃー、もっと驚かせるつもりだったんだけどなぁ」


「驚いたよ!ほんとだよ!」


 さよならを言えればそれでいいとさっきまでは思っていたのに、それでも彼女に言いたい言葉が溢れて何を言えば良いのかわからない。迷っている私より先に、彼女はいつも通りの口調で話し始めた。


「ヒナはさ、捧げ物になるとどうなるのか知ってる?」


 突然の言葉に、先程までとは異なる意味で何を言えば良いのかわからなくなる。それは考えないようにしていたことで、つまりは死ぬのだろうと漠然に理解はしていても、ここで飢え死ぬのか凍え死ぬのか或いは誰かが殺しに来るのか、それだけは誰も教えてくれなかった。


「神様はね、ホントにいるんだ。だからね、逃げても無駄なんだって。ヒナがここにいるのは神様を知ってる人間を極力減らすためでしかなくて、どこにいたって神様は狙ってきちゃうんだってさ」


「ミヤちゃん……?」


 なにかを諦めたような投げ遣りな口調。いつもとは違う、少し怖い雰囲気さえあった。


「……ねえ、ヒナ。私ね、ずっとヒナと居たかったの。おばあちゃんになるまでずっと。私はたくさん勉強して偉い医者になって、ヒナの目を見えるようにしてあげたかった」


 私は、いつの間にか、何も言えなくなっていた。何を言うべきなのか、親友が何を話しているのか。


「どっちも叶わないならさ、せめてどっちか一つくらいは叶えたいっていうのはワガママかな?」


 そう言った次の瞬間、何かが私にのしかかってきた。嗅ぎ慣れた香りに柔らかい重さ、ミヤちゃんが私に抱きついたのだとすぐにわかった。


「ミヤちゃん……?」


 ずっと一緒だったミヤちゃん。ずっと仲良しだったミヤちゃん。いつも一緒だった彼女のことが、今はわからなくなっていた。


「ねえ、ヒナ。最後に私のワガママ、聞いてくれる?」


 声を震わせて問いかける彼女に私は何も言えないまま頷くしかできないでいた。


「ありがと。大好きだよ、ヒナ。私の夢が叶ったとこ、ちゃんと見てね」


 直後、とても嫌な音が聞こえた。硬い物と柔らかい物と液体がぐちゃぐちゃに混ざる音。次いでびちゃりと液体が溢れる音に、自分の顔に何か温かいものが触れる感触と、金属に似た匂い。ミヤちゃんの体重が少し重く感じる。


「ミヤちゃん……?」


 返答はない。ミヤちゃんは何をしたかったのだろう?何をしたのだろう?わからない。私の頭を疑問が埋め付くし、そして次の瞬間激痛によって吹き飛ばされた。


「痛い!痛い痛い痛い痛い痛い!!!」


 眼が痛い。熱い。痛い。痛くて熱くて痛くて痛くて熱くて痛い。手で眼を押さえたくても、その手はミヤちゃんに押さえられて動かせない。


「ミヤちゃん!離して!眼が痛いの!痛いの!」


 ミヤちゃんは何も答えてくれない。痛みを吹き飛ばしたくて喉が枯れるまで叫んで、叫んで、叫んで、何分か何時間か、ひょっとしたら数秒なのかわからないが、叫び続けている内にその痛みはふっと消えた。


「いた、いた、あれ、痛くない……?」


 あれ程あった痛みが消えている。それと同時に気付く強烈な違和感。理由はすぐにわかった。痛みの代わりに、眼が光を感じているのだ。


(嘘、どうして……?)


 わからないことばかりだ。どうして急に眼が見えるようになったのか、どうしてミヤちゃんは何も喋ってくれないのか。暫くの間呆然としたままでいた私は、ミヤちゃんを優しく寝かせると、彼女がやってきた方向に這うようにして歩き始めた。


 頭がパンクしそうになる。眼に映る全てが未知のまま、おそらく赤子が世界を知るように、私の脳は知識と視覚情報を結びつけるために知恵熱を出しそうなほど稼働している。そもそも今見えているものが本物なのかすら私にはわからない。だというのに、私の心はいつの間にかひどく落ち着いていた。


(きっと、ううん、絶対これはミヤちゃんのおかげだ!)


 なにもわからないからこその確信があった。私でさえ受け入れていた運命に反対していたのは彼女ただ一人だったのだ。


〈ざわり〉


 少しずつ少しずつ、他とは違う場所に近付いていく。眼で見たことはなくても感じたことがある風の音、草の匂い。そちらが外なのだと体が知っている。未知への恐怖と、今まで想像でしかなかった外の世界への興奮。その二つがない交ぜになったまま、好奇心を動力に体が動く。


(今は夜だから空は黒なのかな?ここら辺に生えている草は緑色なの?ああ、ミヤちゃん、教えてほしいな)


                               〈ざわり〉


 一歩一歩足を動かす。そうしてようやく外に辿り着く。空にある物がきっと月で、周りにあるものがおそらく星で、眼前に広がるのが草原で、ならば私の村はどういう形でどんな色のモノだったのだろうか?そうだ


「ミヤちゃんを、迎えに行こう」


 そうだ。さっきは思わず寝かせてきてしまったが、やはりこの感動は彼女と味わいたい。だから当然のように私は踵を返す。




                  ◇





 これはただこの瞬間の幸福。私の顔も、手も、服も、住んでいた村も、ミヤちゃんも。すべての色が赤なのだと知るまでの、ただ一瞬の物語だ。

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