第12話 青い日の丸

バスの中で見かけた母親ほどの年齢のオバサンに惹かれて、幾つもの停留所を乗り過ごしたことがあった。肌色に合わない化粧と風に乱れた髪……生活の疲れが滲む目の下……


私は女子高生だった。


彼女は母とはタイプの異なった女性だった。彼女が降りた時、私はバスの中に残った。


バスの窓から雑踏に紛れてゆく中年女性の後ろ姿を目で追う。


荷物が重そうだ、持ってやれば良かった、少なくとも手伝うことを申し入れたら会話の切っ掛けが作れただろうに……でも、通りすがりの良い子を演じて「ありがとう」と言われて終わるだけの、ただの自己満足って空しくないか……何を求めている……


世の中には見ず知らずの人へのささやかな親切心も必要だ。わかっている。


私は、何を求めている……


丁度、A姉ぇと別れた直後だ。

淫らな妄想に返答する。


『あなたもですか……』


其れを求めてはいない。

母親とは違うタイプの女性に惹かれた……

私は幼子に戻って母親に甘えたかったのかもしれない。母親とは違うタイプの女性の母性愛を確かめたかったのかもしれない。

……あの人はどんなかな……

相手がいきなり脱ぐ訳でもないのに、先走って警戒するのも失礼な話だが、私は自分の単純な親切心さえも演技のようにぎこちなく思えて、袖すり合う縁を無きものにして遣り過ごす。心の何処かでは縄縛のイメージが沸いて、いかせてやれるとか思ってしまう。昏くなる。


降りるべき処を既に見失っていた私は、心の着地点を得られずにぼんやりと終点ターミナルまで乗り過ごした。


自宅まで歩けない距離ではなかったけれど、随分遠くの見知らぬ町にワープしたかのように錯覚した。低く垂れ込めた淡いグレーの雲に覆われた町の、影のない明るい道を、黄色い枯れ葉に追われて異邦人のように彷徨う。明るい道だった。帰る住まいはあれども宛先のない手紙のように、得体の知れない虚無感に苛まれる女子高生の私が目に浮かぶ。


私は何かを聞きたかった。聞くシナプスも持たずに…


虹丸はスクーターでやって来た。スーパーの正面玄関で待っていた私を見るなり挨拶も無しに


「デンワであんなこと言われたの初めてだぜぇぇぇ。驚かすなよなぁぁ……」


と笑った。お日様が溢れて零れそうな笑顔だ。


「あのね、ちょおぉっと冗談言ってみただけなんだからね。だからさぁ、気にするなって……」


「いぃぃぃぃんや、気にするっ。暫く来ないから気になってたやし。デンワでああぁんなことを言うんだもんなぁぁぁ……」


其の後に『バカかお前は…』と続きそうな横柄な口調だったが、スーパーの自動ドアが開いて其の口を噤ませた。


なになにやし…虹丸は那覇の生まれか……


時計が時を刻むのではない。「時」自身が時を刻む。時計の針は人間の作ったカウンターに過ぎず、壊れれば止まる。誰かが似たようなことを言っていたかも知れない。あるいは誰でも同じことを思うものなのだ。時計の針が止まっても「時」は刻まれ、流れてゆくと……


ぽかんと晴れた空の下で、何かを思い出そうと焦っているみたいに……何処へ行くのだろう私…虹丸を待ちながら今日も心は彷徨う……



私は、実は自分の行き先に心当たりがない。未だに宛先のない手紙のように引き出しの中で燻っているのかもしれない。いつも、いつも、今までずっと……


探しても辿り着けない場所に、私の聞きたい韻はある……


赤は薔薇を描くとき使いきった。オレンジは画用紙の夕焼け空になった。黄色は描きたくなかった向日葵の為に真ん中からポキッと折れて、折れた先は教室の何処かへ転がって見つからず、残った半分はオレンジと共に夕焼けに塗り込めた。 


運動会に日の丸を描かなければならなかったが、仕方がないので青いクレヨンで塗った。


「こんな日の丸があるか……」


と担任は顰めっ面をして、級友たちも笑った。書道の時間に『売春』と書いたあの帰国子女だけが「青い方がキレイだね、日の丸……」と言ってくれた。


世界初の宇宙飛行士ガガーリンが『地球は青かった』といったらしいが意識していなかったから、ビー玉みたいでしょと喜んだものだ。太陽じゃなくて地球だと言う知恵がなかった。


フォークで刺すと虹丸は小さく「ぅ……」と呻いた。

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