10、根拠がないのは予想ではなく思いつきだよな。その3

布越しに会場内のざわつきが伝わってくる。

 時刻は再び飛んで十三時。

 俺たちが通う春日部北高校にはダンス系の部活動がチアしかなかったため、俺たちのような零細部活動でもはばたき祭が最もにぎわっている時間に体育館の使用権を手に入れることが出来た。……実際、チア部だけで充分ですよね……


「おぅおぅ、めでてえこった、将来の美女がこんなに集まるなんてな。今のうちに唾つけておこうかなぁ」


 壇上の真ん中から声が聞こえて目を向けてみると、観客が椅子に座って俺たちのパフォーマンスを今か今かと楽しみに待っているにもかかわらず、何の躊躇もなく退屈そうにあくびをしながら壇上に上がってくる白衣姿の中年男性がいた。

 斉藤先生である。斉藤先生は肩に白い布のようなものを下げ、べたべたと品の欠片も感じない歩きで舞台袖に待機している俺たちのもとへ近づいてきた。


「準備を全く手伝わなかったくせにいまさら顧問面ですか、良い御身分ですね」


 宝生先輩がすぐさまかみつく。


「せっかく秘密アイテムもってきてやったのにそれはないんじゃないか、宝生ちゃん」

「どうせ、観客の女の子目当てで来たんでしょ! 汚らわしい」

「宝生先輩、流石にそれは……ぱっと見、観客ファミリーばかりでしたよ」


 俺が宝生先輩の言葉を言いすぎだとたしなめようとすると、予想外……いや、予想通りの答えが返ってきた。


「おい、朱染! 俺を舐めるなよ。俺の愛に年齢制限などない! ゆりかごから墓場まですべての女性を俺は愛している」


 背後から二つの冷気を感じる。

 早くもお二人さん、ドン引きですね。

 女性としては聞いてるだけで身がざわつく話だが、男の俺からすると少し面白いわけで。


「いやいや、ファミリーですから、ここに来てる女性のほとんどが結婚してますって」

「結婚がどういうものか知っているか?」

「は? まぁ、一生一緒にいるとかそんな感じじゃないんですか?」

「違う、断じて違う。結婚は紙だ! 無機物だ! 無機物に愛などない。だから、俺は人妻だろうと愛する。無機物の拘束から解き放つために!」


 男の俺でも流石に耳を塞ぎたくなってきた。

 確かに結婚は人生の墓場とは聞くが愛ぐらいはあるだろう、でなきゃ目をそらしたくなるような金額を払ってまで結婚式を挙げないだろう。

 それにも関わらず、ここまで言うということは……


「先生、結婚に何か恨みでもあるんですか? どうせ、人妻に手をだして……でしょうけど」

「俺をそこら辺の頭の足りない不倫野郎と一緒にするな。キャリアが違う。俺ぐらいのベテランになると相手に不倫しているという自覚さえ与えない」


 「じゃあ、なぜ?」と聞こうとして、肩に細く滑やかな感触を感じ振り返る。

 見ると宝生先輩は谷間に埋もれさせるようにで弱々しく人差し指を伸ばして『一』を表現していた。

 俺が見たのを確認すると今度は谷間から指を出し、胸の前で小さく人差し指を交差した。

……指を谷間に隠そうとしてるのかな?

 交差と一? ×と一、バツとイチ……バツイチ!

 斉藤先生、バツイチだったのか。

 俺は少し気まずく思い、励ましの言葉をかける。


「きっと、もうすぐいい出会いがありますよ。これからも頑張ってください。応援してますから」

「朱染、お前いいやつだな」


 そういうと斉藤先生は俺の背中に腕を回し、熱い胸板で俺の顔を受け止めた。

 俺のファーストハグは中年のおっさんによって奪われた…………

 とても暖かかったです。

 話題があらぬ方向に向いていることを痺れを切らし、宝生先輩が口を開く。


「で! ここに来た本当の目的は何ですか!」


 言葉に節々に苛立ちを含んでいた。


「あぁ、忘れてた。これだよ、これ」


 斉藤先生が肩にかけていた白い布を渡してくる。

 受け取り、広げてみると布の正体は白衣だった。


「見た目は大切だぞ、これで子供だけでなくお父様方からの票も期待できる」


 実際に着てみると、着られている感はぬぐえないが科学者らしくはなった。

 後ろに目を向け、二人の白衣姿を拝む。

 佐倉さんは小柄ということもあり、白衣の裾が地面につきそうな長く、手のまともに出せなく指の先端が可愛らしくちょこんと見え隠れしていた。

噂に聞く『彼シャツ』と同じ現象が起きている。

 着られている感によってあどけなさを感じ、この華奢な体を抱きしめてあげたい衝動がこみあげてくる。

俺の視線に気づき、わざとらしく萌え袖で口元を緩く隠し『似合って……ますか?』と弱々しく上目遣いの潤んだ目で訴えてくる。

背後で斉藤先生がつぶやく。


「九十点、足が隠れてるのがマイナスポイントだな」


 最低だなと思いながらも共感してしまう。

 確かに彼シャツの魅力の一つである見えそうで見えないが欠けている。

科学者の皆さん、下に大きなスリットが入った白衣の開発をよろしくお願いします。

 何かがはじける音がして佐倉さんに捕らわれていた目線を向ける。


「先生、私の白衣サイズが小さいんですけど」


 床に何かが転がっていた。

 白く丸いものが床をころころと転がり俺の上履きにあたって止まった。

 ボタンだ。


「そりゃ~、佐倉ちゃんの白衣がダボダボなんだ、宝生ちゃんの白衣はピチピチじゃないとつり合いが取れないだろ」


 見ると、宝生先輩の胸元のボタンがはじけ白衣が胸の下で大きく開き、そのままでも男の本能に主張してくる二つのマシュマロの存在感を高めていた。


「意味が分かりません。とにかく他の白衣をとってきてください!」


 怒りからか恥じらいからか顔全体を朱色に染め、膝をもじもじと擦り合わせながらこっちは本気で目もとに涙を溜め、潤んだ目に真剣な眼差しを浮かべ抗議した。


「そんな時間はもうないぞ。ほら、もうスポットライトの下に行く時間だぞ」


 斉藤先生が袖をまくり、腕時計を見せてくる。

 確かに長針は十二、短針は一を指していた。


「ということは、私はこのまま人前に……」


 流石に可哀そうに思い、俺の着ている白衣と交換する。

 少し大きめだったが佐倉さんほどダボダボではなかったので、萌え袖にはならなかった。

 代わりに俺が胸元のはだけた白衣を着る。

 『ありがとう』と口の形だけで伝えると部長らしく心を引き締める一言を言う。


「人前に出るのは嫌い。でも、私たちの居場所を壊されるのはもっと嫌い。だから、頑張りましょう。私たちが一緒でいられる大切な化学部を守るために!」


 言い終わると興奮からか肩で息をしていた。


「何かあったときの責任はお願いしますね、せ~んぱい」


 少し踵を浮かせ耳元に唇を近づけ呟いてきた。

 そういえば佐倉さん、斉藤先生が来てから今まで一言も話さなかったな。

 一度関わりたくないと思うとその人の前だと一言も話さなくなるのか、女子って怖えな。

 俺たちはゆっくりとスポットライトのもとへ歩く。 

 この瞬間だけは三人の心は一つだった。

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