幕間~宝生雪の憂鬱~その1

幕間~宝生雪の憂鬱~


 「宝生先輩、たまには一緒に帰りませんか?」

 

 その言葉を朱染君に言われた時、私こと宝生雪の心臓は唐突に全身に血液を運ぶという仕事を活発に行うようになり全身に少し熱っぽい感覚と心拍数の上昇をもたらした。


 さすがに二人で帰るのは恥ずかしかった。

また、ちょうど最終下校時間ということもあり下校路にたくさんの生徒がいるため、自分はいいが朱染君が周りの人から嫌な噂を流され傷ついてしまうのを恐れた。

自分は友達を呼べる人は多く見積もっても片手で足りる。

でも、朱染君は友部君という親友とでもいうべき相手がいるし他にもひとりひとりどれだけ仲がいいかはわからないけど多くとはいえないまでも友達はいる。

自分とは全く違う。他人とかかわるのが苦手な自分とは全く…………違う。

 朱染君は大切な後輩だ。


一年前先輩から新入生歓迎担当を任され、私は内心少しワクワクしていた。

私の所属している化学部はこの学校の部活動の中でも一番と言っていいほど変わっていて実験や研究などの実技もしないし部員の中で教師役を交代しながら講義をしたり顧問に講義をしてもらうなどの座学もしなかった。

そんな感じのため我ら化学部はいつも教員陣に目を付けられていた。

でも、私はこんな何やってるのだか何がしたいんだかわからないこの部が好きだった。

だって、暖かかったから、人と話すのが苦手な私を受け入れてくれて輪に入れてくれた。同級生は一人も入ってくれなかったけど本当に楽しかった。

いつもウノやボードゲームで盛り上がりゲーム終盤に近付くに連れてどんどん声のボリュームが上がっていって上がっていって上がっていって…………最終的に科学部の部長や顧問がよく怒鳴りに来ていた。

 いつもワイワイ騒いでるくせに何故か心が落ち着く、そんな化学部が大好きだった。

だから、新入生歓迎担当を任された時自然と胸が少し高鳴るのを感じた。

人と話すのが苦手な自分にできるだろうか、化学部を名乗っているくせに全く化学の道を志していないこの部に入ってくれるだろうかという不安はあったが頑張ろう、先輩達はもう受験生なのだからできるだけ頼らず自分にできることは精一杯やろうと思った。

しかし結果は散々だった。

最初にやったのはビラ配りだった。

新入生が合格発表後初めて学校に来るガイダンスでビラを配ろうと思った。

ただビラを配るだけじゃほかの部に埋もれてしまうと思ったから新入生の目に留まるようなポップなビラを作ろうと思い、帰りに近くの書店に行き参考になりそうな本を何冊か買って何度も読んだ。

結果、とても満足のいくビラが作れた。

ビーカーやフラスコ、試験管など化学の実験で使用する器具をデフォルメしてゆるキャラ風に仕上げた。

これなら「なんだ、この無駄に頭よさそうなキャラクターは!」と目に留まってくれるかと思った。

しかし、新入生ガイダンス当日、一枚もビラを配ることは出来なかった。

新入生ガイダンスは学校の授業がない土曜日の午前に行われた。

受験生にとって休日は一日中自分のための勉強ができる大切なものだと思ったから先輩たちに手伝いを求めなかった。

正門から入ってくる新入生にビラを配るだけだから自分一人でも出来る。初対面の人と会話するわけではないのだから、話す言葉は決まっているのだから先輩たちがいなくても私だけで出来る、そう思っていた。

しかし、そんな考えはいともたやすく打つ砕かれた。

当日は、ガイダンス開始一時間前に学校につき、化学室で今まで雑誌やインターネットで調べた効率のいいビラの配り方を再度確認した。


その一、ビラはターゲットを絞って配る。


化学部に入ってくれそうな人にだけ配る。サッカー部やバスケ部に入りそうな話しかけるのが怖いような人には配らない。私一人で新入生全員に配るなんて出来ないから。


その二、ビラは体の中央に差し出す。


渡す相手が右利きだろうが左利きだろうが受け取りやすいから。受け取ってもらはなければどんな良いビラもただの紙切れになってしまう。


その三、受け取ってもらえなくても諦めない。


いくら進学校といっても化学部に入りたいと思う人は少ないだろうしうちの高校には科学部がある多く見積もっても五人が限度だろう。ほとんどの人が私のビラを受け取ってくれないだろう。そんな状況でも諦めないで笑顔でビラを配り続ける。


何度も何度も読み返し、虚空を相手に何枚も何枚もビラを配った。

頭に詰め込むのではなく実際に再現できるよう体に教え込ませた。

ガイダンス開始三十分前になったあたりから新入生がちらほら正門から校内に入ってくるのが化学部から確認できた。

言う言葉は決めてきたし、ビラ配りの練習の気が済むまでやった。

これで万全だ。

最後にもう一度虚空相手にビラを配り、自分の仕上がりを確認した後化学室を出て正門に向かった。


私は昇降口を飛び出し階段をいつもより勢いよく下り正門のほうへ目を向けた。

その時、私は自分の考えの甘すぎたことを理解した。

階段を下り一番初めに目に飛び込んできたのは人込みだった。

しかもその人混みが大音量を発しながら押し合い圧し合いを繰り返していた。

学生のビラ配りにいちいち教員は関与してこない。その結果、自分たちがより新入生に近づくために、よりビラを受け取ってもらいやすい位置を陣取るために人と人がぶつかり合い押しのけ合いを繰り返していた。

春日部北高校の正門から体育館の入り口は近い、その結果新入生が通る道の両側すべてが戦場と化していた。

 どうすれば多くの人がビラを受け取ってくれるかに集中しすぎてそもそものどうすればビラを配れるかを考えていなかった。

今頃になって去年、自分がビラ配りの人込みに飲み込まれ前にまったく進めなくなった記憶がよみがえってきた。

 しかし、こんなところではくじけない。「その三、諦めない」だ。詳しい内容は違うが臨機応変に理解した。

 私は校門の近くまで歩き、大きく深呼吸をして人込みに飛び込んだ。

サッカー部や野球部などの運動部は当然だが他の文化部のビラ配りのために何人も人を集めていて新入生が見える位置に行くことがそもそも難しかった。

また、人波に流れてたまたま新入生の近くまで行ってもビラを渡すのを緊張でためらってしまい結局渡せずに波に流されて新入生から離されてしまった。

こんな状況では効率のいい渡し方なんて関係なかった。

運よく前に行けたとき新入生に向かってビラを差し出す。

緊張でビラを差し出せないときもあったが、それでも何度かは新入生の前にビラを差し出すことができた、しかし差し出した全員がビラを受け取ってくれなかった。

 化学部という需要の少ない部のビラを渡す人を選ばず、しかもたまたま新入生の近くに行けた時の少しの時間しか新入生の前に差し出すことができなかったのだ。

そんなの一枚のビラを配れなくて当然だ。

 また、それ以外にビラを受け取ってもらえなかった原因があるとしたら、それは位置だ。出来るだけ人が少ないところを探して体育館の入口付近に行ってしまった。

何故人が少ないのか少し考えればわかることなのに。

私はこの時そんなことにすら頭が回らないほど動揺と緊張にとらわれていた。

 実際、体育館入口付近まで来た新入生はすでにたくさんのビラをもらっていて飽和状態だった。

すでにほとんどの人がどのビラをもらっていてどれがもらっていないか判別できない状況にいた。

そんな人たちがどんなことを考えるか想像するに容易い。

「もう持ちきれないほどあるしこれ以上ビラはいらない」

そんな状態の人が化学部のビラを見せられてする反応と言えば「もらったかどうか分からないけどあんまり興味ないしいいや」ぐらいなものだ。

化学に本当に興味がある人に運よくビラを差し出せたら受け取ってもらえたかもしれない。

だが、この日化学部のビラを受け取ってくれる人はいなかった。

私はこの日、自分の考えの甘さを悔いた、自分の人見知り具合に心底あきれた。自分の協力性のなさに絶望した……私はわたしが大嫌いになった。


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