第8話 空が近い
貧乏牧場とオーイツは言った。
このヴィンセントドラゴンファームがやってることは主に三つ。
ひとつはドラゴンの繁殖。優秀なドラゴン同士を掛け合わせ、より優秀なドラゴンを生み出す。競走馬は血で走るという言葉をレージも聞いたことがあるが、ドラゴンも似たようなところがあるらしい。先天的才能を生み出すこと、そしてもちろん生まれてからの育成、後天的才能の開花も繁殖というものに含まれる。
ふたつめはドラゴンを軍に売ること。戦うことを教え込み、勇敢なドラゴンを育てる。ただし、この牧場で育てているドラゴンは、軍では下士官までが乗るドラゴンで、単価があまり高くないらしい。士官クラス以上が乗るドラゴンは、もう少し大柄で少し獰猛なドラゴンの種類らしい。少なくともヴィンセントドラゴンファームの厩舎では飼うことができない。全ての士官がその大きなドラゴンを使っているわけではなく、オーイツのところで育てているヴィーヴルという種類を乗っている人もいるそうだ。
みっつめはドラゴンの乗り方を生徒に教えるという、いわゆる乗馬クラブのようなことをしている。軍の竜騎士を目指す子供や、単なる趣味で乗る人もいるらしい。竜騎士という門戸を広くするために、ジュニアの指導料金は安めに設定されており、その分王国から補助金が渡されるそうだ。
「というわけで、レージも乗ってみよっか」
テルの言葉になにが「というわけ」なのかさっぱりわからないが、レージとしては少しわくわくしていた。
ドラゴンに乗るということはまさにファンタジーで純粋にかっこいい。しかも空を飛ぶという感覚は、おそらく乗馬の飛越とはまた違うだろう。一体どんな感覚なのか全く未知数でドキドキする。
さっそく乗ろうと思い、テルと一緒にドラゴンの装備を用意する。
ドラゴンの装備は馬によく似ている。
まずは頭絡。これはドラゴンの頭に着ける装具で、素材は火の加護を施した皮。これに鉄製のハミがついていて、ハミをドラゴンの口にはめる。ちなみにハミは二種類、水勒と大勒をつけ、それぞれのハミからつながる手綱を持つことになる。つまり、ドラゴンに乗る時はデフォルトで手綱が二本あるということだ。
続いて鞍だ。鞍を付ける位置は前脚のすぐ後ろ。これも馬と同じようなところだ。鞍を乗っけて、腹帯を締めれば準備完了。汗取りゼッケンやゲルパッド、ボアゼッケンのように馬の背中を守るための装具はドラゴンには必要ない。そもそも堅い鱗に覆われているので、多少鞍が擦れたところで傷ひとつ付かないというわけだ。ただ、競技の時にはゼッケンの着用があるらしい。
足周りの装備はなく、極力シンプルにすることでドラゴンが動きやすいような軽装備になっている。
「すげー」
レージの口から思わず感嘆の声が出てしまう。
頭絡を付ける時、それを見せただけでドラゴンが付けやすい位置に頭を下げたのだ。さらに鞍を置く時も同様に前脚をついて態勢を低くしてくれた。
全く抵抗することもなく、本当に賢い。
「じゃあ、まずは私がドラゴンの準備運動がてら乗って見せるから、よく見ててね」
テルはそう言って姿勢を落とすドラゴンに跨った。
手綱を短く握り、脚で扶助を行う。
すると、バサッバサッと翼を大きく振り、後ろ脚で大きく跳躍した。
ブワッ!
飛び立った瞬間の風圧がすごい。
というかそんな勢いよく飛び立つものなのか……。
テルは手綱を引き、空中でドラゴンを停止、つまりホバリングさせた。すでに二十メートルくらいの高さにいる。まるでヘリコプターみたいだ。常に前へ進まなければならない、というわけでもないらしい。
左に曲がりたい時は左の手綱を緩め、右なら右を緩める。馬術の基礎と似たような動作だ。
ただ、違う点としたら、移動方向が三次元であるということだ。
これについてはどうやら二本の手綱を使い分けつつ、体重移動で対処しているように見えた。上に行く時は体を起こしてドラゴンの体も起こす。下へ降りる時は重心を前にして手綱を緩めていた。さらに脚の位置も少し後ろで使うことで下に行く扶助としているようだ。
ざっと地上からわかるのはこのくらい。実際に乗ってみなければ本当の感覚はわからないだろう。
「ね、簡単でしょ?」
え、なにそれ口癖なの?
地上に降り立ったテルは笑顔でそう言い放った。
いや、全然そうは見えませんでしたが……?
「とりあえず、乗ってみる?」
正直言って、やぶさかじゃない。でも、そんな軽々しい感じでもない。
なにせ、空を飛ぶというのは生まれて初めてだ。
「いきなり1人で乗れるものなの?」
「ううん、それはムリ」
つまり二人で乗るってことか。
「まずは、高さに慣れないとね。私の後ろに乗ってみて」
「あ、まとも」
急にちゃんとしたインストラクターのような振る舞い。最初はからかわれてたってことかな。
テルが差し伸べてくれた手を掴み、レージはドラゴンの後ろに乗った。
ドラゴンの呼吸が伝わってくる。あと、テルの後ろ髪からものすごく良い香りがし、ドラゴンに乗れるという緊張感と相まって、わけわからない高揚感を感じた。
「じゃあ、私のお腹にちゃんと捕まってね」
「お、おう……!」
同年代の女の子をこんなに近くで感じたことは、元の世界では経験したことがなかった。
レージの心臓が大きな音を立てている。
テルが手綱を絞り、扶助を行なってドラゴンが翼を広げる。
途端に、レージの脳裏に人馬転の事故がフラッシュバックする。
「ちょっと待って!」
突然襲う恐怖感、額から流れる汗は冷たく、呼吸も荒くなった。テルを掴む手は震え、その異常さに、テルもすぐに反応し、ドラゴンを制止させた。
「だ、大丈夫?」
「はあ、はあ、だ、大丈夫、じゃないかも……」
レージの脳裏から、あの体験が離れない。
馬に乗っていた感覚、障害を飛越する感覚、試合を楽しむ感覚、空を見ると落ち着く感覚。
どれも大好きな感覚だったはずなのに、今はどれを思い出しても恐怖しか感じない。
すぐにドラゴンから降りて、フラフラになりながら厩舎の壁にもたれかかった。
「いやー、マジか。けっこうショックだなー」
手で目を覆って天を仰ぐ。
テルがドラゴンを繋いで、それからすぐに井戸から水を持ってきてくれた。
「どうしたの、て聞いても大丈夫?」
「うん」
一呼吸おいて、レージはテルに元の世界で死ぬ寸前に起きた出来事をゆっくりと語った。
「自分でいうのもなんだけどさ、結構馬術の才能あってさ。馬にも恵まれて、全国の同年代には負けたことがなくてさ、その大会を連覇中だったんだよね。もしかしたら奢りがあったのかもしれない。そこで勝ったら次からは大人たちの大会に出ようと思ってたんだ」
うんうんとテルが相槌をうつ。
「優勝を決める競技中に、馬に無理をさせすぎちゃったんだ……。馬は曲がりきれず、たぶん骨折して、走っている勢いのまま倒れこんじゃった。その先に障害があって、そこに突っ込んじゃったんだよね。俺の記憶があるのはそこまでなんだ。気付いたら全裸で竜房で寝てたってわけ」
苦笑しつつ、レージは震える手を抑えることができなかった。
そのレージの手を、テルの両手が優しく包み込んでくれた。
とても温かい手だった。
「大丈夫だよ。今、レージは生きてる。向こうの世界でどうなっちゃったかはわからないけど、たしかにレージは今生きてるから」
「……うん」
「それにさ、気休めかもしれないけど、そのパートナーの馬もレージを信じたから無理して曲がろうとしたんだよね。レージを勝たせたかったから無理できると思ったんじゃないかな」
「そうだと、いいな……」
「レージはさ、ドラゴンに向ける目がすごく優しいんだよ。ちょっと怖がってるけどね、ふふ。だからわかるよ。その子も、レージのことが大好きだったと思うよ」
「テル、ありがと。本当に」
少し、ほんの少しだけ涙が出た。
でも、ちょっとだけ元気が出た。
レージの不安は馬を死なせてしまったという点だ。自分が死んだという恐怖もあるが、それよりも罪悪感の方が遥かに強かった。そんなレージの心に、愛馬がレージをどう思ってくれてたか、もちろん本当のことは知る由もないけど、似た境遇にいるテルの言葉は素直に嬉しかった。
「無理する必要はないけどさ。レージ、もう一回ドラゴンに乗ってみない?」
テルはレージに手を差し伸べる。
「ちょっと、怖いけど」
一呼吸おいて、
「やってみようかな」
レージはテルの手を取り、立ち上がった。
ズボンについた砂を払い、両手で思いっきり頰を張る。
「よし、やってみよう!」
「うん! やってみよっ!」
意を決してドラゴンに跨った。
大丈夫、今のところは大丈夫。
ドクドクと鳴る心臓を押さえつけるように強気を意識する。
「じゃ、飛ぶよ」
「うん」
レージはテルの背にしがみつき、歯を食いしばった。
テルの扶助と共にドラゴンが羽ばたき始める。
瞬間、ドラゴンが後ろ足で跳躍し、一気に空へ羽ばたいた。
頭上からの風圧がすごい。風を切り裂いて飛んでいる感じだ。
あっという間に20mは飛んでいるだろうか。この高さはビル何階だろう。
「気持ちいいでしょ?」
レージは空を見上げた。
「あ、近い」
「なにがー?」
「空が、近い!」
初めて馬に乗ったときに思ったことと一緒だった。
空を見ると落ち着く。空が近いのが嬉しかった。
レージは無意識にテルから手を離し、両手を空へ伸ばした。
キラキラと注ぐ太陽の光を浴びて、雲ひとつない青空を掴めそうだった。
「あ、レージあぶないよ!」
テルのその言葉で、ふと我に帰る。
「あ、やっぱ怖いかも……!」
レージは急に平衡感覚を失い、慌ててテルに手を伸ばした。
「ちょっ!! どこさわって……!」
それからの記憶はなぜかなく、次に意識が戻った時にはドラゴンが地上にいる状態だった。
なぜか左頬がとんでもなく腫れ上がり、脳が揺れたような感覚がある。
「あれ、俺飛んだよね?」
「うん、飛んだよ」
「なんか、意識も飛んでたような」
「そう? 気のせいじゃない?」
ちゃんと空を飛んだことは確からしい。
テルが一切目を合わせてくれないのはなぜだろうか。
まだ、一人で飛ぶのは怖いけど少しずつ練習して、一人で空を駆け回れるようになりたいと、ひそかに目標ができたレージだった。
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