第6話 カラクリ

 助かる見込みのない病人等を苦痛から解放すべく延命措置を辞めたり、死期を早めたりするための法案、それが安楽死・尊厳死法案。最初は誰も相手にしなかった。しかし、ある人物の政治的影響力が増すにつれて大きく状況は変わった。

 その人物の名はかど はち。彼は「生きることこそが苦痛だ。その苦痛から救えるのは死しかない。なぜ死を選べる制度が我が国にはないのか?全ての者を救う制度があるべきだ」と説いた。どこかの宗教が彼に多額の出資を行なっており、当初は胡散臭さが漂っていた。だが、段々とそこかしこで演説が行われるにつれ、急速にSNS上で人気を集めた。特に、「エイト」という愛称で若者世代からの支持が厚かった。というのも、経済が停滞して久しく、少子高齢化は進む一方。税金はどんどん上がっていくのに、給料が上がる見込みはない。若者は皆、絶望していた。それと同時に、自問自答を繰り返していた。「なぜ自分は生きているのだろうか?」「この先、生きて報われることはあるのだろうか?」と。そんな問いに答えるかの如く、エイトが台頭し始め、あっという間に多くの議席を獲得。安楽死・尊厳死法案も通ったというのが法案可決の流れだった。

 可決はそこまで圧倒的なものではなく、僅差で可決された。若い世代に「自殺」されては困るご老体の足掻きだった。超高齢社会において、なぜこのようなことがあり得たのか。その理由は、あまりにも少子高齢化が進みすぎた日本では、就業者(若者・壮年)と非就業者(ご老体)の人口比率に応じて一票あたりの比重を変える比重変動制を採用していたためである。この法案が可決された時点で、就業者は約一割、非就業者は約四割だったため、就業者の一票は非就業者の二.五倍となっていた。これが可決のカラクリである。

 エイトは可決された際にこう演説した。「誰もが望んだ際にすぐ死ねる、という制度ではない。自殺を助長するためのものでもない。真に人間が幸せに生きるための制度である」と。生きることが苦痛であり、死が救済なのであれば尚のこと、死は尊いものでなければならない。徳は死を尊いものにする。よって、尊厳死で死ぬためには徳を積む必要がある。これが彼の考えだった。そこで、徳管理システムが日本社会に導入された。

 このシステムは、全ての人の動向を監視し、倫理委員会が定めた基準によって徳かどうかを判断する。徳と見做される行動を取るたびに加算されていき、八千ポイント貯まった時点で安楽死・尊厳死制度利用の権利が発生する。単純計算で一日一徳を行えば約二十二年で尊厳死制度を利用することができる。なぜ八千ポイントなのかはエイトに由来する、というそれだけの話である。


<終>

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エイトが死んだ。 紫乃 @user5102

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