第6話
最寄駅のホームに着くと、彼女は改札口に立っていた。そういえば、まだ自宅に呼ぶのは初めてだし、家の場所を知らないのは、当たり前だと思いつつ、彼女に一言声を掛けた。彼女は俺の声に気づいて、駆け寄ってきてくれた。
「ごめんな、俺待たせるのは嫌いなんだ」
「ううん、いいって。そんなに待ってなかったから」
彼の自宅に向かう途中、翠白は今朝話していた彼の「見せたいもの」が何かを訊いた。すると彼は、歩きながらスマートフォンを操作し彼女にこう言った。
「これだよ。今日の夜に逃がしてあげようと思って」
翠白は、スマートフォンの画面を差し出され、陵が学校外で密かに進めていた実験の動画を見せられた。
「え? これ本物?」
動画にはどこで捕まえてきたのかわからないようなドブネズミの死骸を、青い水溶液につけ、体内から皮膚の表面までを蘇生させている様子を写したものだった。一匹のネズミは未だに容器の中で瞳を閉じ眠っていた。
「水を全部抜いて、空気を取り込んだら命を吹き返すと思うよ」
スマートフォンを彼に渡すと、いつの間にか彼の自宅前まで来ていた。
家の中に入ると、部屋の隅に置いてある机の周りは、研究資料の書類が左右に山積みになっており、中央にパソコンが置かれていた。また別の机には、先ほど道端で見た動画と同じ実験器具が置かれていた。そこに例のネズミが収められていた容器があった。
「本気なんだね……」
翠白はネズミの姿を見て、思わず言葉を漏らしてしまった。
「このことはまだ誰にも話していないし、論文にする必要もないと思っている……」
「教授に伝えないの?」
「もうあの人はわかってると思うよ。俺が次に何をするのかってことくらい」
「……そう……」
翠白は何も恐れていない陵の態度を見て、不思議に思った。寧ろ恐怖というものは、最初から彼の中には存在しなかったのだろうと彼女は考えた。再生医療の倫理観さえも……――。
「ねぇ、例えばこのネズミが生き返ることをさ……、何を考えて莞爾君は実行したの?」
「何を考えてって……そりゃ――」
彼が何かを言おうとした時、翠白は言葉を遮るように――
「単なる〝不老不死〟とはちょっと意味が異なる気がするのよ。蘇るってことは……」
青い水溶液の中で眠るネズミを眺めながら言い放った。
「……っ――!」
陵は彼女の言葉を聞いた途端に、目を見開いた。それと同時に彼女に別の机に置いてあった書類を、二、三枚彼女に見せた。そこにはある男の直筆のサインが書かれていた。翠白はその男の名を見て、昨晩、喫茶店で待ち合わせをしていた男と同じ名前だったことに気づく。そして、その男を殺害した男の名を憶測で口にした。
「……もしかして、氷峰駈瑠って男が、あたしと会おうとした男を……殺したの?」
「そのうちバレると思うから話しておくけど、彼の遺体はある所へ運ばれていくんだ。それで――」
陵は翠白に見せた書類を裏返しに伏せて、こう告げた。
「俺が今後その人達を使って人体実験を行う……。あの人はそこまでもう計画済みで、今動いている……」
「…………何でわざわざそういう人達を死なせてまで……。死ぬ前に手術とか延命治療とかさ……それが限界なんじゃないの?」
「限界?」
「つまり、死亡した人間限定にしか応用できない技術なんでしょ……。莞爾君の言いたい事ってさ――」
翠白は何の躊躇いもなく、陵の顔を見つめながら――
「生命倫理が捻れる事がそんなに怖しい事なのか? って事だよね……」
机に手を添え凭れた状態で告げた。その言葉を聞いた陵は、緊迫した険しい表情が段々と綻び、微笑した。
「……。そこまで理解してくれて嬉しいよ。君は俺に相応しい女だよ……」
陵は先程裏返した二、三枚の書類を再び表に向け、何かをぼそぼそと呟いた。
その様子は一研究員として楽しそうな雰囲気を醸し出していた。その様子を見た翠白は彼の力になりたいと申し出る。だが彼は怪訝そうな顔をし、研究の邪魔はしないでくれと言い放った。更に――
「氷峰駈瑠のことにはあまり深く関わらない方がいいと思うけど? 君がどんな人間とつるんでいたかは知らないけど」
と、言葉を付け加えた。翠白は彼の言葉に歯向かうように――
「知ってたからさっきの書類見せてくれたんでしょ? あの男を殺したのは氷峰駈瑠以外にありえないって!」
と、言い返す。反発する程に彼女は陵に親しく接するようになった。
「……まぁ君がそこまで言うならそうかもしれないね……。今日泊まっていく?」
陵は仕方がないといった態度でため息をついた。そして、彼女に自分の家に泊まるか尋ねた。すると彼女は、『夜も遅いし、泊まれるなら泊まっていく』と彼の質問に快くゴーサインを出した。二人はベランダの端に青い水溶液の中で眠るネズミの入った容器を置いた。そして容器の蓋を開けた。水溶液の中の一匹のネズミがビクッと中で動き回り始め、容器から脱出しようと暴れ出した。容器が動き回った勢いで倒れて、ネズミは濡れたまま一瞬でその場を走り去っていった。翠白は、逃げ出したネズミの走り去って行く勢いに驚き、目を丸くした。
「目覚めて数秒間しか経ってないのに、すごく元気ね」
「液体には触っちゃダメだよ」
陵は逃げ出したネズミの入っていた容器を、手袋をした手で回収した。
「さてと、俺先に風呂入ってもう寝ようかな」
「わかった。あ、学校のテキスト家にあるんだったー…」
残念そうな顔をして嘆いた翠白に、陵は笑いながら『そりゃ明日、諦めて一旦家に戻って通い直すしかない』と一刀両断した。明日は『午後から講義があるからね』と二人で話し、一夜を共に過ごした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます