22 単なる些末な事実


 突然割って入った低い声。掴みかかっていた手が大きく震えて離れる。


「いずみ、先生」

「女子の取っ組み合いなんて見せてくれるなよ。土浦、緋上」

「……っ」


 凶悪で美しい顔面に鋭い一瞥を向けられ、百合はパッと踵を返す。そして少し離れた場所に置いてあった通学鞄を掴んで慌ただしく駆け去った。


   ○


 珍しく……というより初めて見る百合の淑女らしさを欠いた姿を見送り、杏樹は下に転がっている竹ぼうきを拾った。

 ──ユリちゃんには気をつけて。

 先日の昼休みの雑談で玲於菜が細かい説明もなくそれだけ言っていたのを思い出す。どこまで伝えていいかわからない、というような思い詰めた顔をして言うからこちらも突っ込んで尋ねたりはしなかった。

 実はその時は『ユリちゃん』にピンときていなかったのだが。


(仕方ないじゃない)


 人の名前を覚えるのが苦手なわけではない。だがクラスメイトと関わってこなかったせいで名前を言われてもすぐに顔が浮かばなかったのだ。だからさっき廊下で担任に呼び止められて対面した女子生徒が述べた名前に。


(ごめん、レオナ。気をつける前に会っちゃったわ)


 と心の中で随分適当な謝罪をした。

 ちなみに百合を見た第一印象は『うっわ、眼鏡がエロい』だ。いろいろ台無しなのは否定しない。

 そんなことはさておき、杏樹は止めていた作業を再開した。まだ掃除は終わっていないのだ。

 すると何を思ったのか数学教師・泉水統吾がそれに倣う。


「先生、何か用があって来られたんじゃないんですか」


 無言で掃除を手伝われても気持ちが悪い。杏樹のほうから用件を促す。


「騒がしいから気になって様子を見に来ただけだ」


 杏樹は箒を掃く手を止めた。


……?)


 数学教師がどこにいたのか知らないがこの広い星聚学院高等部で、しかも屋外の中庭で起こった喧騒がそう耳に入るとは思えない。

 となると騒がしかったのは杏樹と百合の一触即発のやり取りではなくて……


「それは、の気配のことですよね?」


 顔を上げ、視線の先にある気配を。杏樹にとってはごくごく身近な、それこそ家族のような気配ではあるのだが。


「あぁ」

「「あぁ」って……」


 躊躇なく肯く様子に杏樹は顔をしかめる。

 杏樹にとっては身近だが、他の人にとってもそうだとは限らない。


「そんな不服そうにしなくていいだろ。神獣の加護を受けてるのが自分だけだと思うなよ」

「それはまったく思ってないです。さっきの……土浦さんもでしょ。それにわたしの家族だってそうですから」


 程度のほどはわからないが土浦百合が何れかの神獣の加護を受けているのは間違いないだろう。そしてたった今肯定したように目の前のこの男もまた。


(最初の頃にわたしが風の加護を受けてること普通に見抜いてたっけね、そう言えば)


 こういう学院だから不思議には思っていなかったが、何のことはない自分も加護を受けているから精霊の気配を察していただけだ。


「まぁ、おまえに用があったのも確かだがな」


 自分の顔がさっき以上に歪むのを自覚した。どう考えてもこの男の用事がいいことのはずがない。


(あれ、)


 不意に、手にした箒が何かに引っ張られた。同時に、どこからともなく風が吹いてきて散らばっていた枝や葉っぱをかき集めていく。

 瞬く間に途中だった作業を片付けられて、杏樹は呆気に取られた。更に先ほどよりも強く箒を引っ張られ、とうとう諦めて手放す。ちらりと視線をやれば、泉水の手からも熊手が離れるのが見えた。

 風に連れていかれる掃除用具一式を見つめ、暗澹たる気持ちになる。これはもうこの男の用件とやらに向き合いなさいという精霊達のお膳立てだ。


「……何でしょうか?」


 すごく気は進まないが促してみる。


「昨日の続きだ」

「デスヨネー」


 随分と適当な返しになった。


「さっきの土浦とのやり取りからすると、おまえ……を憶てるんだよな?なら何で人違いなんて嘘をついた」

「女の子同士の内緒話を勝手に盗み聞きしてんじゃないですよ。……るんじゃなくるだけですから。嘘じゃないでしょう。わたしはです。じゃありません」


 、つまりの記憶を幾らか持っていることは否定しない。前世だとか輪廻転生だとか、そう称したいなら好きにすればいい。


(だからってそれと杏樹わたしが同一人物にはならないってだけの話で)


「わかった。今はそれでいい。……なら俺のことはわかるか?俺のが誰だったか」

「『王さま』ですよね?嫁も貰わずふらふら独身謳歌しといて、イイ年になって年の離れた小娘を強引に召し上げたロリコンの。しかも相手は聖殿の巫女」

「ほぉ?よく知ってるじゃねぇか。もっと言っていいぞ」

「ちょうどさっきの授業で習いましたし。実の弟に政権任せてた期間に夫婦ともども何回も暗殺されかけて、弟に濡れ衣がかかるほどだったスキャンダラスな国王陛下」

「そういやそうだったな。政権は自分でやるより弟が回したほうが効率がいいのがわかってたんだよ。あいつのが優秀だったし。暗殺の濡れ衣に関しては真実が公になるより自分が疑われてるほうがまだ厄介ごとが少ねぇって本人が言うんで放置したんだがな」

「存じてます。王さまよりよほど王さまらしい人でしたから」

「俺もそう思う。……世間はそうじゃなかったがな」

「そうですね。それは、でも……仕方がないんじゃないですか」


 宰相位についていた王弟は聡明で政治手腕も優れていたが、兄王は国民からの人気が絶大だった。王弟が駄目なのではなく、駄目だと言うならきっと他の誰でも駄目だった。言葉では説明し難いカリスマ性という一点において、この王に敵う者はなかっただろう。


「他人事みたいに言うが、当事者だった記憶はあるんだろ?その強引に召し上げられた巫女だった時の」

「他人事だと思ってるので。何度も言うようにその人とわたしは別の人間です。そんなの、あなただってそうじゃないですか」


 それとも今の生でもロリコンなんですか?と続ければ、軽く笑い飛ばされた。違うらしいとわかって密かに安堵する。

 この一〇代の少年少女が集う高等部校舎の教壇に立つ身でそれを肯定されたら困る。

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