21 世界が君を見てる


(いっそ断ってくれていたほうがよかったわね)


 倉庫に掃除用具を取りに行った後、百合と杏樹はもくもくと掃除に取りかかった。

 担任教師はそれほど量はないようなことを言っていたが、思ったよりも植樹の周りには枝や葉っぱが落ちていた。だがそれをしても、やはりひとりのほうがまだマシだったと思う。


(でも、この人は単純に勉強ができると言うだけではなく、頭の回転が速い。それにレオナと仲良くしているようだから……この間の一件、裏で糸を引いていたのが私だと予想はしている、わよね)


 ならここは警戒して距離を置くところではないのか。それとも承知の上でこちらを挑発にかかっているのか。


「土浦さん」

「はい……何か?」

「あそこに枝が引っかかってるから落としたいな、って。竹ぼうき借りていい?」

「それなら私が……どこですの?」

「あそこ、ちょっと高いでしょ」

「確かに」


 竹製の熊手を片手に杏樹が指差した先に打った枝が引っかかっている。熊手よりは箒を使うほうが適切だろう。それでも何とか届くぐらいの高さだが。百合は持っていた竹ぼうきの上下を逆に持ち替え腕を伸ばす。

 場所を譲るように移動した杏樹が自分を見ていた。


(こうして並ぶと、随分と差がある……)


 百合は特別小柄ではない。それでも杏樹とは一〇センチほど差がある。物言いたげに見てくる目が見下されているようで不満だ。実際には見下ろされているだけなのだが。

──思えばもそうだった気がする。


「気をつけて」

「えぇ」


 ぐっと腕を伸ばし枝を払おうとしたが思いの外場所が高く、手にした箒の重さにぐらりと重心が前に出る。慌てて両腕に力を込めたが、払おうとした枝が箒に中途半端に引っかかれて自分達の頭上に落ちてきてしまった。


「土浦さんっ」

「きゃあっ」

「……っ」


 ぐん、と躰が引っ張られた。だが目前に迫っていた枝は空気を含んだ凧のようにふわっと浮き上がり、進路を変えて地面に落ちる。

 落ちた枝を見ると、思ったよりも長さがある。伐った断面のギザギザとしたところを見て、これが頭上に落ちてきていたら顔に怪我でもしたかもしれないと顔を青くした。

 傍らで気配が動いたのに気づいて百合が顔を上げると、姿勢よく立った杏樹が視線を一箇所に止めてゆっくりと瞬いている。

 頬を撫でるように吹いた風で、杏樹の仕種の理由に漠然と気づいた。


「今のはもしかして、風の加護に救っていただいたのかしら?」


 強張った声で尋ねると、杏樹は少し躊躇うように沈黙した後に小さく肯く。


「……うん、そういうこと」

「そう……神獣に愛されてますのね。前の時もそうでしたものね」

「あー、」

「美しくて、神獣からも王家からも愛されて必要とされて、人々から持て囃されて。それを疑問に思うこともなく受け入れていて。躰を使って金銭を搾取しないと言うだけで、まるで娼婦のようね」


(実際には神と王の寵愛を受けた巫女として民衆からも崇められたのだから、お布施という形で金銭の搾取をしていたとも言えるわね。なら娼婦そのものかしら?)


 これまで奥歯で噛み砕いて押し留めていたものが堰を切ったように次々と言葉になって出てくる。こうなるとわかっていたから直接話をしないようにしていたのに。

 少し百合に冷静さが戻ってきた頃、感情の揺らぎを見せることもなく杏樹が口を開いた。


「あなたの言うは今のわたしとは無関係だけど。確かに神獣の加護を乱用して平然としてられるわたしは、娼婦って言われても仕方ないのかもね」

「……っ」


 その時、バサバサと髪が舞い上がった。


(風が……?)


 今日の天候は穏やかで、雨は勿論、風の気配もほとんどなかったはずだ。

 すると今度は足元にかすかな振動を感じて、百合は目を見開く。


「勝手に始めないでよ……」


 同じように髪や制服を乱されていた杏樹が小さく呟き視線を持ち上げる。視線を一箇所に止めて軽く首を振ると、突然の強風は徐々に収まった。

 杏樹は風の行く先を追いかけるように見つめ、ゆっくりと瞬く。

 いつの間にか足元に感じる振動もなくなっていた。


「今、貴女」


 どんなやり取りがあったのか詳細まではわからない。だが何かが起こりそうだった事態を杏樹が収めたことは確かだった。


「わたしは別に何も」

「嘘よ!」


 平然と宣う杏樹に再び怒りが蘇り、百合は自分より背の高い杏樹に詰めよって睨み上げる。

 半袖から伸びる染みひとつない白い腕を制服の胸に寄せ、ぐっと襟元を掴んだ。身長差のせいで自分は見上げ、向こうに少し屈ませるという情けない格好にはなったが構っていられない。


「ちょ……っと、なにやってんのお嬢サマ」

「っ、またそうやって馬鹿にして……いつもいつも貴女は私を下す」


 違う。本人に他人を馬鹿にする意図はない。自分を下していくのは、否、下されたと感じるのは単純明快に彼女のほうが優れているから。生まれた瞬間から世界に選ばれた人。


(わかっているのよそんなこと。それが正解。だからと言って正論だけでは気持ちが納得できないのよ!)


 ぎゅっと握り込んだ手の中で、ぐしゃりと皺になる白い布。


「そこまでにしとけ」

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