20 淑女は奥歯を噛む
一週間の最終日、最後の授業。星聚学院ではそれがエスタ教の授業時間である。
週に一度あるエスタ教の授業は、学院に通ってる者はずっと受けているもので、百合のように初等部から通っていれば当然内容に重複もある。
何度も聞いていても話す講師によって受け取る印象が違ったりするのも、既にわかっていることだ。
本日のテーマは先週やった『火の聖堂の巫女』から助言を与えられていた名高い英雄の王……の側近として国の中枢にいた宰相についてだった。
《王と年の離れた弟でもあった宰相は、兄に長く子どもがなかったため次の王と目されていました。そのため、後継者として育成されていました。……が、結論から述べると彼が王になることはありませんでした》
聖堂は広いため、講師はピンマイクをつけて授業を進める。この授業の講師は固定ではないのだが、今日の講師は先週と同じ若い女性だ。普段は高等部校舎に併設されているこの聖堂に勤めている神職だろう。
常装である白をベースにした丈が長めのワンピースを着ていて、詰まった首元と膨らんだ袖口に赤い刺繍が入っている。各聖堂で少しずつ刺繍の色とデザインが異なるのだが、高等部校舎に併設されているのは火の聖堂だ。
《政治経済の情勢を見ることに長け、宰相として辣腕を奮いました。ですが記録ではこの人物が宰相の任に着いていた頃、王族の暗殺事件が何度か起こっています》
「…………、」
今更だが先週もこの講師の熱弁には苛立たされたのだった。先週はテーマそのものがまず苛立たしかったが、今回の場合は……。
百合は舌打ちしそうになるのを何とか堪える。多くの生徒がだらけたり内職したりしているが、どこで誰が見ているかわからない。
《真実は定かではありませんが、王になることができなかったことを妬む宰相が起こしたのではないかと言う説もあります。結局は暗殺はすべて未然に防がれ、王は自分の身と妃を護ったと伝えられています》
講師は声に熱を籠らせて語る。百合はそれに比例して高まる苛立ちを噛み砕くように奥歯に力を入れた。
この宰相が幼少から王教育を受けていたのは本当だ。兄に妃を迎える意志がなく、当然世継ぎがなかったため早い段階で後継者に定められていた。
だが結局は神獣の強い加護を受ける少女と運命的な出逢いをして妃に迎える。先週の表題だった『火の聖堂の巫女』がそうだ。
兄の婚姻後、弟は宰相位に着いて兄王の治世を支えた。政治情勢を見ることに長けていたのは王となるべく教育を受けていたのだから当然だが、それ以上に本人が優秀でもあった。
この王弟が宰相だった頃の国の平和は記録に明らかだ。諍いや天災がなかったわけではなく、それをさまざまな手腕で回避した記述がいくつも残されている。
ただ、後年に王夫婦の暗殺未遂が隠しようもなく記録されているのも本当だ。宰相によるものという見方をしてしまうのは仕方がないにしろ…… この言い方では宰相が黒幕だと決めつけているように聞こえてしまう。
おそらくこの講師は、言ってみれば件の王のファンなのだろう。王と火の聖堂の巫女とのロマンスに夢を見る乙女なのだ。
この時代のことを見てきた人間からすれば、暗殺事件が宰相によるものではないと知っている。百合にとってはあまり面白くない事実ではあるが。
耳障りな声を極力聞き流しながら百合はゆっくり呼吸する。
正式な教員ではないとはいえ、こうして人に教える場に立って私情が見え隠れするのでは講師に向いていないのではないだろうか。
くしくも先週の杏樹と同じ想いを抱いたのだが、当然ふたりが気づくよしもない。
○
不愉快な想いばかりの授業がようやく終わり、百合は誰とも言葉をかわすことなく聖堂を出た。この授業の後は自由に下校しても良い。
百合は寮生ではなく自宅から自家用車で通学している。もう既に家の車は百合を迎えるために到着しているだろう。
部活はしておらず、放課後無駄に残るタイプでもない百合は大抵速やかに帰宅している。今日もそのつもりだ。否、つもりだった。
「おーい、土浦!」
「……はい、先生」
廊下を淑女らしく優雅に歩いていた百合はクラス担任に呼び止められた。
「すまんが時間があったら中庭の掃除を頼まれてくれないか?植樹の枝を打ってそのままになっててな」
「植樹の枝、ですか」
「あぁ、枝打ちした木は二、三本だからそれほど量は多くないんだ。葉が茂りすぎてたんでな」
「わかりました。やっておきます」
「すまんな、助かる」
「いいえ」
百合が断ることなどないと思い込んでいる様子だ。実際なにか用事があるなら別だが、さまざまな対面から断ることはできない。
さきほどの授業の余韻というか苛つきを引きずったままなので実は相当に不愉快だ。行儀悪く舌打ちしたい気分だが、当然できるはずもない。だから噛みしめた奥歯から力を抜いて口角をうっすらと持ち上げる。百合は自分のこの表情がどれほど上品に見えるかを知っている。ところが。
「おっ、そこにいるのはクラス委員の緋上じゃないか。ちょうどよかった!」
百合の後ろを見た教師が更に能天気に声を上げた。それでなくても不愉快なのに、それに輪をかけて嫌な予感がする。
「……何でしょうか?」
聞こえてきたのは百合にとって一番聞きたくなかった人物の声。さすがに淑女の仮面が少しばかりひきつった。
「おまえ暇なら土浦と一緒に中庭の掃除してくれないか?」
「中庭ですか?」
背後から疑問符を飛ばす声が聞こえる。外部進学組の杏樹は今ひとつ場所にピンときていない様子だ。
「土浦について行けばわかる」
「はぁ、わかりました。手伝います」
百合と違って断れないわけではなく、単純に時間があるから手伝うと言っているとわかる声音だ。完全なる善意だからこそ忌々しい。
「そうかそうか!土浦、そういうことだから一緒に頼むな」
「……はい」
勝手に話をまとめた気になっている能天気な教師に苛立ちが増す。厄介事を押しつけるだけ押しつけて自分はのうのうと去って行った。
「えーと、ツチウラさん?」
「土浦百合です。緋上さん」
「そう、よろしく」
「こちらこそ」
考えてみれば、毎日教室で顔を合わせているのにまともに話すのは初めてだ。
親しい相手でも親しくなる予定の相手でもないのだから、別に愛想を振り撒く必要もないだろう。百合は表情を和らげることもせず言葉をかわした。
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