23 平々凡々な高校生
「馬鹿言え。見た目が多少いい程度の、色気も胸もない小娘に盛るかよ」
あまり言葉は美しくないが、この凶悪美しい数学教師の口から出たと思えば妙に納得できるから不思議である。
「それを聞いて安心しました。正常でよかったです」
「おまえな、」
「あぁ、でも。見た目だけじゃなく頭もいいので。そこのところはよろしくお願いします」
しれっと自分の秀でたところを主張しておく。
(だって事実だし)
誰が何と言おうとびた一文負からない純然たる。
「……頭がいいってわりに、評判のよくない男とつき合いがあるようだな」
「人の交遊関係に口を出すほど教師というご職業がお暇だとは」
「誤魔化すな。随分と深い仲だと噂になってる。事実か?」
誰のことを差しているかはもちろんわかっている。
(ミーくん自身がよかれと思ってわたしに有利になるように操作してくれたしな)
だが馬鹿正直に答える気はない。だから話の矛先を別のところに向けてみた。
「こういう、生徒間の根拠のない噂話を突っつくとか、教師の立場でしていいことなんですかね」
不快だとはっきり態度に出して言ってみた。
教師は中立であるべきではないだろうか。一方が評判が悪い生徒だからともう一方に関わるのを控えろと言うのは、些か問題発言だ。
「教師としてじゃなく個人的に尋いてるんだ」
「いやそれなら尚更問題でしょーが」
(個人的に交遊関係に口挟まれるような覚えないわ)
「いいんだよ、そんなことはどうでも。俺のことよりおまえの身の安全が優先だ。自分がどういう立場かわかってんのか?ただの高校生じゃねぇんだぞ」
「あなたがわたしのことをどう思ってるかは知りませんけど、どう思ってようと勝手ですけど、わたしはただの高校生ですよ」
見た目と頭が飛び抜けていいこと以外は、至って普通。平々凡々な高校生だ。神獣の加護を受けていることは稀少ではあるが、それにしたって自分だけのことではない。
「『緋上』の名を名乗っておいてか」
「っ、好きで名乗ってるわけじゃ……!」
カチン、と癇に障ることを言われ頭が瞬時に沸騰した。応じるように体温も急上昇するかと思われた。が。
『───』
鼓膜を震わせるのではなく、頭に直接響くように呼びかけられ杏樹はびくりと動きを止めた。途端にヒートアップしかけていた頭も躰も平静を取り戻す。
ごく自然に、まるで景色から溶け出したかのように現れたのは杏樹をいつも気にかけてくれる風の精霊。
美しい少女の姿をしているが人間とは違う、実体を伴わない軽やかな気配で杏樹を見て佇んでいる。
「……はい」
咎めるというよりは案ずる眼差しを向けられ、杏樹はおとなしく肯いた。優しい風が宥めるように頬を撫でていく。
杏樹の様子に微笑んだ精霊は、続いて数学教師のほうに視線を向けた。
泉水はそれを受け無言で目礼する。口も態度も悪い男だが、神獣とその眷属に対する敬意はあるらしい。
精霊はふたりの会話に口を挟むつもりはないようで、現れた時と同様ごく自然に景色の中へ姿を消して行った。
それを見送り、泉水が口を開く。
「確かにそっくり同じなわけじゃねぇな。別におまえの考え方を咎める気もねぇ。どこで何をしようがおまえの勝手だ。好きにしたらいい。だが監視されるのを拒否はできない。いくら別人だと主張しても、おまえの中に『アルカ』がいるのは間違いない。それに気づいて利用しようと近づく輩がいないとは限らないからな」
まるで護ってやってるとでも言いたげな物言いを、杏樹は一蹴する。今度は冷静に、頭に血を昇らせることなく。
「言われなくても好きにします。そっちこそ監視したいなら好きにすれば?わたしの中に『アルカ』がいること知ってるなら大体の人間は利用しようとする輩でしょ」
「何だと……?」
「気に触りました?でも『アルカ』を神聖視してる教会の人間ほど、わたしを利用したいのは事実じゃない」
神に愛され、複数の神獣の加護を受け、精霊達に慈しまれて。ついには時の王の心を射止めた類希なる巫女。
そんな人物が再来したのなら教会の象徴として掲げるのに打ってつけだろう。それを悪いとは言わない。教会も事業なのだろうから。だが個人の意見としてはただ単純明快に『面白くない』だ。
「おまえは『アルカ』として扱われるのが……不服なんだな」
「わたしだけじゃ、ないんですけど」
「なに……?」
「帰ります」
「あ、おい!」
ぽつりと溢した言葉を聞き咎められる前に、杏樹は帰宅宣言をする。これ以上はなにを尋かれても答える気はないと態度で示して。
だが踏み出しかけた足を一旦止めて、瞬巡した後に口を開いた。実に嫌そうに渋々と。
「お掃除、手伝っていただいてありがとうございました」
精霊と違い、人間相手だと言葉にしなければ伝わらないのが厄介だ。
なにかをしてもらったら感謝を伝える。ごくごく当たり前のこれは杏樹が家族から受けた教え。
(別に頼んじゃいませんけどね。しかも大半は精霊がやってくれたし)
返事は聞かない。迷いのない足取りで杏樹は踵を返した。
○
帰宅する前に杏樹は職員室に立ち寄った。教師に言いつけられた掃除が終わったのでその報告をしておこうと思ったからだ。
「土浦は一緒じゃないのか?」
杏樹がひとりだったことに、教師は不思議そうにする。
「何か具合が悪そうだったんで先に帰ってもらいました。体調悪かったの我慢してたんじゃないですかね。彼女優等生そうだし、先生に頼まれたら断り難いだろうし」
若干嫌味に聞こえる言い方をしたのはわざとだ。
なぜなら杏樹は気づいたからだ。教師の口の端にお菓子の食べかすらしきカケラがついているのを。
(生徒に雑用言いつけといて自分は優雅にティータイムですかそうですか)
心の中の呟きは棒読みである。
案の定、杏樹の嫌味に気づいた教師は、む、と顔をしかめる。
「そうか、なら緋上ひとりでやってくれたのか?そのわりには速かったな」
言外に『ちゃんとやったのか?』と嫌味を返されたので、間違ってはいないが真実すべてではないことを言うことにする。
「ひとりじゃないですよ。偶然通りかかった先生が手伝ってくれました。数学の……えぇと、泉水先生」
「なに?トウゴ先生が……そうなのか」
実際に手伝ってもらったのは少しだけ。ほとんどのことは精霊がやってくれた。とは言えそれを言う必要はないだろう。
名前を思い出すのに言い淀んだ後に例の数学教師の名を出すと、目の前の教師はばつの悪そうな顔になる。
(トーゴ?そう言えば苗字ではあまり呼ばれない、って言ってたっけ)
杏樹にはどうでもいいことだが。
だが目の前の教師のちょっと怯んだ様子からして、あの王の記憶を持つ数学教師は今度の生でもそれなりの権力がある立場らしい。
(遅かれ早かれだとは思ってたけど、やっぱり目はつけられたくなかったな)
前の生の時は夫婦だったのかもしれないが、今回は同じ学院のただの教師と生徒でしかないのだから。
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